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 そのままどれくらい意識が飛んでいたのだろう。 「わ……!」  冷たく濡らされたタオルが腹部に触れて、目が冷めた。  仰向けのまま肘をついて上体を起こそうとするが、ちかちかと星が舞って頭痛に襲われ、また身体をおろした。  目線の先にちょうど黒髪の男が映って、心臓がどくっと脈打った。 「大丈夫か?」  エヴァンは気だるげに、しかし朝見たときよりもずっと元気そうにそう声を掛けた。 「う、うん……って、わぁぁ!?」  相変わらずの顔の良さに惚けそうになる意識が、再び冷たいタオルが腹部にあてがわれ、現実に引き戻された。  身体を起こすのはまだ辛くて目線だけむけると、脱げかけのズボンはそのままで、力なく萎んでいる俺自身も外気に晒されていた。  慌てて手を当てて隠すも、エヴァンは不思議そうに俺を覗いた。 「じ、自分でふ、ふくから!!」  声を大にして言うと、エヴァンは何も言わずにタオルを差し出し、俺はそれを受け取った。  彼なりに後始末してくれようとしてくれたのはありがたかったが、さっきの行為と自分のあられもない声と、それに今のこの情けない姿に一気に羞恥心でいっぱいになった。  なんとか軽く拭き取ってズボンを履き直し、貧血でふらふらする身体を起こす。 「悪かった」  そんな俺を見ていたエヴァンはそう抑揚のない声で言った。  そこにはさっきまでの熱っぽさも、欲も含まれていなくて、少し不安になって彼を振り返った。  コートを脱いで地味な紺色の薄手のニットに身を包んで、その表情は初めて彼を見たときのように寂しさに溢れていた。 「あ、謝らないでよ。俺がいいって言ったんだし……」  真正面から彼の顔をみると、『レオ』と名前を呼ばれた声や優しい唇の感触を思い出して、ひとり気まずくなる。  正直あんなことになるとは、一切考えもしなかったけれど。 「えと、俺の方こそ……すいません」  あんなになってとボソリと続けると、エヴァンは深く息を漏らした。 「いや、俺のせいだ。うまく調節できなくて……怖い思いしなかったか」 「すこし……」  気持ち良すぎて怖かった。  けどエヴァンが怖いわけじゃなかった。  むしろ、欲につけ動かされながらも優しくしようと努めていた彼の仕草に好感を持てたくらいだった。  自由を奪われて襲われたようなもんなのに、何言ってるんだって話だけど。  エヴァンは、俺と目線を合わせるように膝をつくと、まっすぐ俺を見つめた。 「ほんとうにすまない」  眉根を寄せて、後悔に沈むような青い瞳にぎゅっと胸が苦しくなった。 「そんな顔しないでよ。エヴァンが元気になってよかった!」  安心させようとにっと笑って見せると、彼は目を細めて、口元だけ少し微笑んだ。  その後、重い体を動かしてシャワーを浴びて着替えた。  エヴァンにも勧めて、俺の持っている服の中でも大きめのを見繕ってタオルと一緒に脱衣所に置いた。 「着替えここにおいとくね!」  ありがとうと声がしたのを確認して、俺はいそいそとキッチンに向かった。  築年数のけっこうある我が家だが、植物が茂る庭に面した、窓の多いキッチンはお気に入りの場所だった。今日も光が入り込み、木々が風に揺られ、その影がカウンターの上に落とされていた。  なんだかんだあってもう昼近くになっていた。  ささっと冷蔵庫の中をみて、肉うどんをつくることにした。  昨夜の飲みで胃は本調子じゃなかったし、吸血されて若干貧血気味だから。  割引シールの付いた牛こま肉を小鍋でさっと炒めて、玉ねぎも入れようかと思ったけれど、ヴァンパイアって玉ねぎも無理か? と思ってやめた。  人間と同じ食事を摂るのかすらわからなかったけど、二人前なら余っても夕飯になるだけだ。  火の通った牛肉に、酒、みりん、醤油を垂らし水を入れて軽くひと煮立ち。  味見して、物足りなさをかんじて和風だしを加えて、かけつゆの完成。  うどんはまた別の小鍋で規定通り茹でる。 「なんか、ばあちゃんと居たときみたいだな」  25歳で一軒家に住めているのは、大学に通うために祖母のとこに居候して、そのまま彼女が亡くなったあとに引き継いだ形になったからだった。  それももう2年も前のことで。  それからはこの広い家に一人っきりだった。  一人でいるのに慣れすぎて意識したこともなかったが、こういう時に孤独を感じるもんなんだな、なんてしみじみしつつ。  タイマーが鳴って急いで止めると、うどんをザルにあけて湯切りした。  今すぐにでも食べたいくらいにお腹は空いていたけれど、一応エヴァンを待つことにした。  隣のリビングに向かって何気なくテレビを付ける。  天気予報が流れ、そろそろ梅雨の時期かとぼんやり考えながらソファーに腰を落とした。 「つづいてはニュースです。先日行われた全国ツアーをおえたクロード・モンロー氏は――」  テレビの音を聞き流しつつ、スマホを開いた。  そしてメッセージが来てないのを確認して、予定表を何気なく開いて確認して、ぼんやりとソファに横になった。  窓の外は青空が広がっていて、庭の紫陽花が色づいて見頃だった。  なんてことのない日常。  あぁ、順番すっ飛ばしすぎたけど、気持ちよかったな……。  なんて、つい数時間前の情事を思い起こしてまた身体が熱くなった。  にしても、エヴァンがヴァンパイアなんて。  空想上の生き物だと思っていた。  でも確かに牙を立てられて、おかしくさせられて……。  スマホの内カメラを起動して、首元を映すと、たしかにそこに噛まれたような2つ赤い点があって、滲むように吸い付かれた赤い痕もついていて。  『レオ』  あぁ、あの声で呼ぶのほんとにずるい。  一目惚れなのか、熱で絆されているだけなのか自分でも判断がつかなかったが、彼のことを考えるとどうしようもなく胸が高鳴った。 「レオ」  今度はほんとに俺の名を呼ぶ声で、どきっとして身体が跳ねた。

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