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黒尽くめの男たちに追われたり危険があるかもと、急遽取った休みは今日で終わり。
明日からは日常が戻ってくる。
エヴァンとの出会いが夢だったり、妄想だったり、そんなオチではないといいけれど。
リビングのソファで黙々と漫画を読むエヴァンの姿を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考えていた。
エヴァンと過ごせば過ごすだけ、好きという気持ちが強くなった。
優しく流れる時間が幸せで満たされて、心地よかった。
大の大人にこんなこと思うのはどうかと思うけれど、エヴァンは側にいて守りたくなるような儚さがある。
ふとした瞬間、海の深いところに溺れていってしまうような危うさに胸が締め付けられた。
なにかしていないと落ち着かない質なのだけれど、こうしてついつい彼を眺めてしまっていた。
さり気なく助けてくれる優しさや好奇心旺盛なところも素敵だし、俺の大好きな漫画を一緒に楽しめるのもこの上なく嬉しい。
手持ち無沙汰に冷蔵庫を物色して、今晩はなにを作ろうかと考える。
冷凍していた鶏肉で唐揚げときんぴらごぼう、あとはさっぱりめに海藻サラダと……ってもうすこし消化が良さそうなメニューにしないと。
なんて、晩ごはんを考えるだけで脳裏にエヴァンのことがちらついてしまう。
あぁ、こんなふうに誰かを想うなんていつぶりだろう。
冷めた心に蓋をして好きだと思い込もうとして、それでいつも勝手に負い目に感じて苦しくなって。ここ数年はずっとそんなことの繰り返しだった。
人並みに欲情もするし、人肌恋しい気持ちもあって相手を探しながらも、何度も相手を傷つけてきた。
「……ふぅ」
シンクに手をついて大きく息を吐く。
窓の外では青々とした木々が風に揺れていた。
そして暗い気持ちに追い打ちを掛けるように雨粒が窓を叩く音がぽたぽたと聞こえ始めた。天気予報では洗濯日和と謳っていたのに、その雨音は増える一方だ。
「わ、洗濯物干したままだ!」
はっとして、ばたばたと開いたままだった縁側の窓辺まで走った。
外に出てみると思ったより雨脚は弱いが急いで半乾きの衣服をかき集める。
両手いっぱいの洗濯物をエヴァンが受け取り室内に運んでくれて、本降りになる前になんとかすべて運び終えた。
窓を締めて室内干し用のラックを広げると、エヴァンはそこに洗濯物を掛けていった。
「……ありがとう、エヴァン」
「あぁ」
なにも言わなくても手伝ってくれる彼の行動が新鮮だった。
元恋人と呼べる人の中には、もともと家事をなにからなにまでやるタイプの男性もいたけれど、大体が俺が甲斐甲斐しく世話をする構図ができあがってしまって。そうやって甘えてもらえるのも世話を焼くのも好きだから苦ではないけれど。こんなふうに一緒に家事をしてくれるのって、くすぐったくて、それだけでドキドキしてしまう自分もいた。
「天気良かったのにね」
なんて何気ない会話を投げかけながら、彼を盗み見る。
季節外れのゆるっとしたグレーのトレーナーに黒のスウェットと部屋着のまますっかりリラックスしているようなエヴァンの横顔や、思ったよりもたくましい腕に見惚れながら、なんとなく恋人っぽいかもなんて顔がにやけてしまう。
さとられないようにしつつ、しばらく二人で洗濯物を干していった。
外は本降りになり空もどんよりと雲に覆われてきていた。
「一人で住んでるのか?」
心地いい沈黙を破ったのは珍しくエヴァンの方だった。
「うん、そうだよ」
最後のTシャツを干し終えて、エヴァンの方に向き直る。
「家族は?」
まっすぐと彼の瞳に見つめられると、少し居心地が悪くて手遊びする自分の指先を見下ろした。
「えっと、結構複雑っていうか……」
「そう、なのか。すまない」
確かに聞かれるのが苦手な話題ではあったけれど、エヴァンにはなんとなく聞いてほしくて、首を振って見せる。
「ううん、大丈夫。高校生の頃に両親離婚して父さんに引き取られたんだけど、今は父さん再婚してて」
どんな顔をしたら心配させずにすむかわからなくて、顔を伏せたまま続けた。
「父さんたちは近所に住んでるんだ。それでここはばあちゃん家で、ばあちゃんは一昨年に亡くなったんだけど、新婚の父さんたちのとこに行くわけにもいかなくて。だから2年くらい1人かな」
ちらりと見上げると思ったよりも真剣な表情に心臓がどくんと跳ねた。
今なら少しくらい、彼の素性を聞いても大丈夫な気がして、ぼそぼそと言葉を続けた。
「エヴァン、は? 家族いるの?」
いつもの遠くを見るような表情に胸がざわつく。
「いや、もういない」
変わらず感情の乗らない低い声で言う。
「こ、恋人とか……は?」
恐る恐るそう続ける。
彼ほど美しくて優しくて、”英雄”なんて言われても驕らない落ち着いた大人の男なら、恋人の1人や2人いてもおかしくない。
途方もない時間を過ごしてきた彼なら、きっと俺の悩みなんてちっぽけに思えるくらいの大恋愛なんてのを経験しているはずで。
自分で聞いておきながら、予防線を張るように思考を巡らせていた。
「いや、いない。ずっと長いこと一人だ」
「え……?」
何でもなさそうに淡々と言葉にするから俺のほうが悲しくなってきた。
ずっと。
その三文字の重みが俺とはきっと違う。
550年も生きてきた中の”ずっと”って?
100年前に吸血した相手は恋人でもなんでもない人だったの?
それからの100年間、ずっと本を読む生活をしてたって……それも独りで?
彼の乏しい感情や寂しさを覚える瞳はそれを裏付けるようで、言いしれない悲しみに襲われた。
「エヴァン」
言いながら彼のひんやりとした骨ばった手を掴んでぎゅっと握りしめた。
「嫌じゃなかったら、ずっとここにいてよ! 独りはさみし、わっ」
真剣に紡いでいた言葉を遮るように、握っていた手が引かれて、エヴァンの腕の中に引き寄せられてしまった。どくんどくんと自分の心臓の音が聞こえるくらい胸が高鳴る。
「……あまりそう人を簡単に信用するな。会ったばかりの見ず知らずの男を」
耳元で低い声で囁かれて、びくっと肩をすくめた。
「え、エヴァっ」
「俺が悪人で、追われていて、身を隠すためにお前を利用しているだけかもしれないだろ」
至極真っ当な言葉ではあったけれど、どこか突き放すような言い方で切なくて、胸が締め付けられた。
「こないだのもう忘れたのか?」
ぐいっと乱暴にTシャツの襟ぐりを掴み、首筋に顔を寄せられる。
熱い吐息が降りかかり、それだけで頭はすぐに、あの日のあられもない自分の痴態でいっぱいになった。同時に、あのときの快感を覚えているかのように体の奥にずくっと熱が広がる。
「あ、えゔぁ、ん……っ」
「俺達にとって、人を傷つけるのも支配するのも、快楽が一番手っ取り早い。わかるか?」
苦しいほどに快感に支配されて、今まで経験したことがないくらい身体が敏感になって――。
エヴァンの低い声ですら、身体に響いて心地よくて。
「そんな、こと……しないでしょ?」
恐怖なのか緊張なのか、それとも期待が高まりすぎたのか……絞り出した声は震えて聞こえた。
言葉にしたのは本心で、彼のような穏やかな人が支配や傷つけることを望んでいるとはおもえなくて。
なのに、脈絡もなしに牙があてがわれて、止める間もなく首筋に小さな痛みを感じた。
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