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2章 温もりと寂しさと1
それから数日、仕事をこなしつつバタバタとした時間が過ぎていた。
俺は一桜寺 大学の陸上部でトレーナーとして働いている。選手それぞれのトレーニングメニューや記録の管理、食事やメンタル面のサポートなど仕事は多岐にわたる。特に大会の多い夏場は早朝から夜まで選手も練習メニューをこなし、かなり忙しい。
朝早くにいそいそと大学に出向き、夕方や夜に帰宅というルーティンだとどうしてもエヴァンと過ごす時間は限られてしまっていた。
それでも時間が合うときは一緒に夕食を摂り、今日はなにがあったかなど会話に花を咲かせた。
その数日の間にまたルブロ・リブラのロスが荷物を持って訪れていたらしく、見慣れない文字の書籍が部屋に増えていっていた。
そんな日々を過ごしながら、やっと休日だ。
早朝に目が覚め、いつものランニングコースをぐるっと走る。公園の木々の香りを胸いっぱいに吸いながら走るのが気持ちいい。帰宅しシャワーで汗をながし、朝食を摂る。そして溜まっていた家事をこなすと、あっという間に昼になった。
その間、エヴァンはゆっくりと10時頃に起きてシャワーを浴び、ぼんやりと庭を眺め、読書という実に優雅な午前を過ごしていた。
俺が仕事でいない平日もこんな感じなのかなぁと思うと、少しうらやましくもあった。
昼食を終えてのんびりしていると、インターホンが鳴りロスがやってきた。
「こんにちは!」
「はい、こんにちは。……そういえばお名前伺ってなかったですね」
「あ、渡辺玲央っていいます。ロスさんですよね?」
「はい、渡辺さん」
久々に会ったロスの爽やかな笑顔に心が洗われる。カールしたダークブラウンの髪型も良く似合っているし、どこかミステリアスな雰囲気も相まって、目を惹かれてしまう。今日も白シャツに黒いスラックスを合わせ、サスペンダーをつけている姿が良くきまっていた。
「エヴァン様いらっしゃいますか?」
「あ、ちょっと待ってください! 呼んできます!」
室内にもどるとエヴァンはリビングのソファで長い脚を組み、本に視線を落としていた。手にしてるのは最近気に入ってるらしい『鬼のあれやそれや』という日本の鬼について書かれた本だった。祖母の蔵書の中でも、貰い手がつかなかったのを納得するようなマニアックな一冊だ。外国人のエヴァンにとっては興味を惹かれる内容らしく、スマートフォンやパソコンで調べものをしながら熱心に読み込んでいた。
内向的でクールな印象を受けるエヴァンだけれど、その実、かなり好奇心旺盛で探求への熱意の強いヴァンパイアのようだった。
「エヴァーン」
声をかけるとぱっと顔を上げて、インターホンの音で訪問者にだいたい察しが付いていたのか、すぐ本を置いて立ち上がった。
一緒に玄関口に戻ると、ロスが日を避けて庇 の下で佇んでいた。
「こんにちは、エヴァン様」
「あぁ」
「こちらで最後の荷物になります。不備があれば、連絡お願いしますね」
「ありがとう」
軽く抱えられる程度の段ボール箱を渡して、ロスはもの寂しい表情を浮かべる。
「エヴァン様とこうして住めるのうらやましいです」
俺を見てロスがはにかむ。
そういえばロスはエヴァンのファンと言っていたなと思い出す。今日で届けるものも無くなるということは、会う機会もなくなってしまうのか。
「またいつでも会いに来てくださいよ! 今度は、ゆっくりお話しましょう」
せっかくの縁が途切れてしまうのも悲しいからと、そう言ってみると、ロスはぱっと目を輝かせる。
「はい、ぜひ! 駅の近くのグレイマルキンっていうカフェ・バーで働いてるので、よかったらお店にも二人でいらしてください」
カフェ・バーと聞き妙に納得した。彼のクラシックなスタイルは、言われてみればバーテンダーらしい服装だ。
「エヴァンさんの話もよかったらしますよ?」
小声でロスに耳打ちされ、一気に気持ちが高ぶる。
「絶対行きますね!」
エヴァンのことをもっと知りたいけれど、彼はあまり自分のことを話さないから。人から聞くのも手かもしれない。
二人で笑い合ってる俺とロスをよそに、エヴァンは会話にはあまり興味なさそうに、ぼんやりと外を見ていた。早く読書や調べ物に戻りたそうにも見えてつい笑ってしまった。
微笑ましげな俺の目線に気付いて小首をかしげて見せるエヴァン。
「あ、そうです、ヴィンセント様の情報もいくつか手に入りましたよ」
ロスは思い出したように、そうエヴァンに話しかける。
「目撃情報から大体の行動範囲がわかったようです。都心部を中心に、一般人の家やホテルなどを出入りしているとのことで。あとは……こちらを購入されていたそうです」
そう言ってロスに雑誌を手渡される。女性向けの雑誌で表紙にはプラチナブロンドにきらきらと輝くような碧眼、ため息が出そうなくらいの美形の白人男性が微笑みかける姿があった。
「クロード・モンロー!」
「素敵ですよね。実は僕も好きで」
ロスと見合いながら思わず声が出る。数年前に表舞台に出始めてからというものヴァイオリニストという肩書きも文句無しで評価されつつも、その整った容姿でかなりの人気をかっさらった人物だった。年齢問わず女性ファンが多く、まさにアイドル的な存在。当然テレビにも引っ張りだこで、演奏だけでなく食レポや旅ロケなどなんでもこなし、嘘がつけないというような素直な反応がいちいちかわいい人物だった。かくいう俺もしばらく追っかけていたくらいのファンだった。
「ただ、内容にざっと目を通しましたが、僕のほうではどう関与しているのかよくわからず……。エヴァン様ならなにか気付くところがあるかもしれないですね」
「一読してみよう」
「はい、古書に関連する情報があるのかもと思ったのですが。……そういえばヴィンセント様は、以前にクロード・モンローのコンサートにも脚を運んでいたようですし、もしかしたら彼も関係者なのかも、なんて想像も勝手に」
「なんであれ、ヴィンセントにどうにか接触できたらいいんだがな」
ヴィンセントという人物が古書を持っていて、彼を探すためにエヴァンはルブロ・リブラって機関の人間から情報を貰っている。それってよくよく考えたらかなり信用されてる立場なんだろうなと思う。
続けてロスが口をひらく。
「大事な話がもうひとつ。アリス・アルゲンティスの方から都心部で3、40代の白人男性が襲われる事件が頻発しているから注意せよ、とのことで東京を中心に関東に警告がありました。巻き込まれて数人が死亡しているようでかなり大事になっています」
最近テレビやネットニュースでも見かけていた内容だった。死亡している事件もあったなんてのは初耳だったが。
「そうかアリス・アルゲンティスまで動いているのか」
「アリス・アルゲン……って?」
「ヴァンパイア内部の……警察、検察……そんなような組織だ。罪を犯したヴァンパイアを捕まえるための組織」
アリス・アルゲンティス……現実味がなくて、まるで映画や漫画の世界を覗いているようだと思ってしまう。
「警察組織まであるんだ! じゃあ今、そのアリス……が事件を調査しているの?」
「えぇ、みたいですね」
警察だけでなく、ヴァンパイアの中のそういう組織まで動いてるなんて……。
「じゃあエヴァンはまだ外出できなさそうですかね? 危ないですよね」
エヴァンはここに来てから数日間、家の中に籠もって生活していた。黒尽くめの男たちに襲われる危険があるから仕方ないとはいえ、買い物にも出られないのは不便だろうし心配だった。
「このあたりでは襲撃事件の話は全くないですから、大丈夫だとは思いますけど不安ですよね」
ロスはそう言ってエヴァンを見つめる。
「早く犯人が捕まってほしいですね」
視線につられるようにしてエヴァンを見上げると、彼は考え込むように深くため息をついた。
ロスが帰っていき、縁側で二人話すことにした。だいぶ暑さが身にしみて来たけれど、風に当たっていると暗い気分も薄まる。
エヴァンは眩しそうにして、日陰に腰を下ろしていた。
「ヴィンセントって人を探してるのは、古書を持ってるからなんだよね? その本ってそんなに重要なものなの?」
ロスから手渡された雑誌を早速開くエヴァンに聞いてみる。
「重要かどうかは、内容とそれを扱う人による。たとえ大した内容で無かったとしても、うまく使えば情報はかなり強大な力になる」
「そういうもんなんだ」
エヴァンは真剣な表情で話し、それに頷いて見せる。
「あぁ。一月 ほど前に全世界に向けてヴィンセントが情報を発信したんだ。我々……ヴァンパイアの未来を左右するであろう、歴史的価値のある古書を発見したと」
未来を左右……やけに大げさな謳い文句だなと思う。
エヴァンは雑誌から顔を上げて、続けて言った。
「恐らくその内容によっては、その本は二度と表立った場所には出てこないだろう。こんなに目立つ行動をしてるんだ、事件に巻き込まれて紛失する可能性も考えられる。だからできるだけ早く接触して、内容を確かめたい。彼の素性からしても中身の期待はできる」
「素性? ヴィンセントさんもすごい人なの?」
「すごい、というと主観によるが、聖遺物や遺跡やらの守り手の一族出身なんだ」
「せいいぶつ……」
全く想像もつかなくてぽかんとしてしまう。聞き馴染みのない単語だった。
「人間の世界だとキリスト教や宗教に関係するものが多い。十字架やローブ、聖人の遺骨。ヴァンパイアでも似たようなもので、原初や古代のヴァンパイアの遺品や記録などを指している」
「じゃあほんとに重要な内容かもしれないんだ」
「そうだな。そうであってほしい」
エヴァンは切実そうにそう呟く。
「そのために日本に来たくらいだもんね」
ずっと引きこもって本を読んでいた彼が、外に出ようと思えたほどの秘密がその本にあると思うと俺もわくわくしてきた。
「以前からヴィンセントたちが守護している遺物や遺跡には興味があったんだ。ただなかなか、身軽に動けない時期が多くてな」
「そうなんだ?」
俺の知らない彼は、どんなことをして、どんな時間を過ごしてきたんだろう。
もっと彼のことを知れたらいいのになとじれったく思う。
とは言え質問攻めにするわけにもいかないから、聞ける時に聞ける分だけ少しずつ知っていくしか無い。
「はやく会えたらいいね?」
「あぁ」
エヴァンはそう言うとまた雑誌に意識を向けた。
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