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いつもより早く帰宅できた平日の夜。
梅雨入りも騒がれ、むしっとした暑さが続いていた。
今日の晩御飯は簡単にそうめんと豚しゃぶサラダ。
近頃、箸を持つ練習を始めたエヴァンを見守り、ほっこりしながら夕食を楽しんだ。
「特殊な訓練でも積んでいるのか?」
と、キラキラした目で見られた時は正直日本人に生まれてよかったって心の底から思った。
それからあっさりしたそうめんと、ねぎや大葉といった薬味はさっぱりとして食べやすいらしく、香りも良いと気に入ってもらえた。
味には慣れなくてもいい香りってのはわかるもんだもんなと妙に納得したり。
食後の後片付けをしていると、エヴァンも手伝いにやってきた。
エヴァンは量も食べないしほぼ1人分の食器で済んでいるから別にいいのにって言ってるんだけど、こうして時々、食器を拭いたり、食べ残しを冷蔵庫にしまったりといろいろ手伝ってくれる。
俺が洗って水で流した食器をふきんで拭きながらエヴァンがいきなり切り出した。
「このあとルブロ・リブラ……ロスの店に行ってみないか?」
いきなりのことにぽかんとしてしまう。
「ボトル買いに行くついでにどうかと思って」
あの出不精のエヴァンがとうとうお出かけすることに内心歓喜して、そして、
「え、俺も一緒に行っていいの!」
頷くエヴァンに、誘われたんだと改めて感じてはしゃいでしまう。
「うれしい! 行こ!」
うきうきしながらまた食器を流す作業に戻る。コップを洗ってエヴァンに差し出す。
エヴァンはコップを受け取ってそれを拭く。
さっさと片付けを済ませ、服を着替えて意気揚々と二人で外に出た。
ロスの店は家から徒歩30分くらいの距離だった。
住宅街から大通りに出て川を渡り、JRの駅のある方面に向かう。駅周辺から一つ二つ奥まった通りに迷いながら、ひっそりと佇むおしゃれなカフェ・バーGraymalkin についた。木製の看板に吊り下げられた鉄製の天秤が揺れている。一見すると目立った特徴もなく、どこにでもありそうなお店だった。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると落ち着いたジャズが流れ、数人の客が入っていた。
「エヴァン様、渡辺さん! 来てくれて嬉しいです」
カウンターにいたロスに声を掛けられる。
こうしてみるとバーテンダー姿が様になっている。
カウンター席に二人で腰掛けた。
「何飲まれます?」
「どうしよう、エヴァンは?」
「……サゼラックを」
こういう場所は初めてで落ち着かなかった。お酒は大して飲まないし、行くとしても友達数人と飲み屋でということが多い。
あまり社交的ではなさそうなエヴァンだが、こういう場所も経験あるんだなと意外に思う。
「俺、あんまりわからなくて、おまかせでもいいですか?」
「もちろんです。飲みやすいものをお作りしますね。甘いものは平気ですか?」
「あ、はい! 好きです」
ロスは目の前でグラスに氷を入れ、お酒をいれテキパキとカクテルを作っていく。
パーマのかかった茶髪を掻き上げてセットしていて、黒いベストの下の白シャツを腕まくりし、どことなく色気が漂い美しかった。それに加え慣れた手さばき……そのかっこいい姿に見惚れてしまった。
「今日ヴィンセントが接触してきた」
カクテル作りを興味津々で眺めていると、エヴァンが前置きもなしにロスに情報を共有した。
「え、ヴィンセント様が?」
ロスは驚いた様子でしばし手を止める。
「あぁ、共有しておいたほうがいいと思ってな」
「えぇ……ありがとうございます。まさか、まさか直接接触されるとは」
そりゃ驚くよなと思う。話を聴くにかなり探すのに苦労していたようだし。
「っと、ブランデー切らしてるな……、少し失礼しますね」
空のボトルを抱えてロスは奥の方に入っていった。
「エヴァンはさ、バー慣れてるの?」
手持ち無沙汰で、そうエヴァンに声をかけた。
「昔、仕事の付き合いで何度かな」
「へぇ。そういえばさ、どんなお仕事してたの?」
「んーなんと言えばいいか。いろいろやったがまぁ……議員、政治家、とでも言えばわかりやすいか」
「え、うそ! そうだったの!」
全然イメージと違う役職に驚いた。
本が好きだから作家とか、古い遺物も好きだから学者さんとか、そんな予想を勝手にしていたから。
ロスが戻ってきてカクテル作りを再開した。
「父親がそういう仕事をしていたから、それを引き継いだようなもので、大したものじゃない」
「ふぅん、お父さんの。エヴァンのお父さんも偉い人だったんだ」
「……まぁな」
ちらりと目線をエヴァンにむけると、例の遠くを見るような目をしていて心がざわついた。
そう言えば家族はいないって言ってたし、そのお父さんも亡くなってしまったんだろうか。
「おまたせしました。サゼラックと、こちらアプリコット・クーラーです」
会話が一段落ついたところで、ちょうどカクテルができた。エヴァンの前にはロックグラスに琥珀色のお酒。大人っぽくてエヴァンのイメージに良く合っている。
俺の前にはアプリコット・クーラー。透き通った赤みがかった色が目に美しかった。
「じゃあ、いただきます」
ひとくち口を付けると名前の通り甘酸っぱい杏の風味が広がる。炭酸の刺激も合わさって飲みやすいカクテルだった。
「おいし」
「お気に召してもらえて何よりです」
ロスに微笑み返し、エヴァンの様子を伺う。
想像していた以上に、グラスを傾けている姿が様になっている。
最近は家の中で部屋着姿のリラックスした姿ばかりみていたから。淡いブルーのシャツにグレーのスラックスと、こうしていつもよりきめている服装や整えられた黒髪も相まって、いい男だなとどきっとしてしまう。
素をみてからの男前なエヴァンはギャップがあり、大げさだけれど惚れ直しちゃいそうなくらい素敵だった。
「それで、古書の方は確認できたんですか?」
ロスがグラスを洗いながら切り出す。
「あぁ、想像していたよりも古いもので価値も充分あるだろう」
「へぇ、それはすごい。エヴァン様は書物の目利きもできるんですね?」
「とはいえ資料を取り寄せて確認を進めないとはっきりしたことは、まだ」
「そうですよね。必要な書類などあれば私経由でも連絡とれますし、お気軽に言伝ください」
「気を使ってくれてありがとう。だが友人にスブ・ソーレの司書がいるから」
「そうなんですね、すごい」
二人の話を聞きながら気分良くお酒を飲んでいた。
こうしてエヴァンとお出かけできているという事実だけでもだいぶ浮かれているのに、エヴァンから誘ってくれて……。
ニヤけそうになるのを堪えながら、麗しい外国人男性の流暢な日本語での会話に耳を傾ける。
「じゃあ、内容の解読を進めるために情報を広めたと?」
「ヴィンセントはそう言っていたが、流石に他の意図もあるだろう。だったらわざわざ全世界に向けて情報を発信する必要はない」
「そうですよね。なにより、エヴァンさんをピンポイントで探して接触してきたのも不思議です。ルブロ・リブラの捜索を巻きながら、どうやって探したのか」
「そう、だから……あまり信用はしきれない男だな、ヴィンセントは」
たしかにここ1週間うちに籠もっていたエヴァンの場所を知ってるのって、ごくごく限られた人に絞られそうだ。
「そういえば気になってたんですけど、渡辺さんは学生さん?」
ある程度話がついたのかロスが話を俺に振る。
「いや社会人です、これでも。大学の陸上部でスポーツトレーナーしていて」
「あぁ、そうなんですね! もしかして一桜寺大学?」
「あ、はい!」
「たしか強いって有名ですよね、一桜寺の陸上部」
「詳しいですねロスさん」
「ほらすぐ近所ですから、お客さんから聞いたりして」
ロスの言う通り、徒歩圏内に大学がある。家からも30分ほどの距離だ。
「陸上してたのか。それで」
まじまじと俺を見ながら、なにかを納得したようなエヴァンに首をかしげてしまう。
「お二人って仲良さそうですよね。まだ出会ったばかりなんでしょう?」
ロスは好奇心のたっぷりこもった視線を送りながら言う。
「まだ一週間くらい?」
「それで一緒に住んでるんですか」
驚く様子に、確かに変だよなぁと思う。
「運命的ですね、出会ったばかりなのに相性がいいなんて」
「そんな」
と言いつつもまんざらじゃない。
仕事が忙しいのもあり、お互い適度に距離感を置きつつも、夕食の時間や一緒に家事をする時間は楽しい。
からかわれてるだけかもしれないけれど、エヴァンに触れられるのもすごく幸せだし……。
「っと、いらっしゃいませ、2名様ですね。……では、楽しんでいってくださいね」
他の来客があり、ロスはそちらに向かう。
エヴァンを見ると目が合う。
「運命的、だってさ」
なんて言いながらにこっと微笑みかけてみる。身体がポカポカしてすこし酔ってきたかもしれない。
「そうかもな」
薄く微笑みを浮かべて、エヴァンが言う。
「またからかってるんでしょ」
「さぁ。……でも実際、俺はずっと長いこと1人だったから、こうして誰かと苦なく暮らせているのには驚いている」
「ほんと? 俺もそうだよ。エヴァンよりは短いけどさ、2年くらい独りだったし。彼氏いたりもしたけど一緒に暮らせるかって言ったらまた別でしょ。むしろやってけないだろうなぁって人多かったし」
相手の家に半同棲状態で入り浸りかけたとしても、細かい部分が合わなかったり、急に態度が変わったりっていうのはよくある話だ。
「だからエヴァンと出会ったばっかで一緒に暮らしていけてるのは、ほんとすごいことだよ」
「ありがとう」
いきなりのお礼に首をかしげる。
「助けてくれたお礼、ちゃんとしてなかっただろう。ありがとう、レオ」
まっすぐ見つめられ、そんな風にストレートな感謝をされると胸がきゅっと締め付けられる。
普段口数も少ないし、からかってきたりすることも多いのに……この、こんないきなり律儀にされると不意打ちでときめいてしまう。
「どういたしまして!」
照れてしまってぐいっとお酒を一気に飲んだ。
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