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「おまたせしました、どうぞ」
「ありがとう渡辺さん」
グラスを受け取り、俺を見上げるクラウディオの目元が赤くなっていた。彼は変わらずどこか落ち着かない様子で、見ているこっちまで悲しくなってきた。
「大丈夫ですか?」
「はい……」
そう言いながら彼はカフェオレを一口含む。
「ヴィンセントさん、たまに家に来てエヴァンと古書の翻訳をしてるんですよ」
氷が溶けかけてきた自分のグラスを傾けて、話を続けた。
「一昨日にも来てましたし、元気そうでしたよ」
「そう……あいつまた、そうだよな」
ぎゅっと眉間に皺を寄せて、クラウディオはため息をつく。
「昔から危険も顧みずに行動するやつで」
透き通るような青い瞳から、またぽたりと涙がこぼれ落ちた。
はっとしてグラスを置いて肩を抱くと、彼は素直に俺に身体を預けて鼻をすすった。
「そんな彼を待つのが辛くて別れたのに……先月、ヴィンセントが歴史的に重要な内容だろうと古書の存在を大々的に発表して……。その話を聞いてしまったら、嫌でも彼のことを考えてしまって」
震える声で話すのを聞きながら、背中を擦った。
「近頃はヴァンパイアの内部でも武力行使して、権力を得ようとしたり、人間に反発しようとする連中もいてね……そんな状況で彼を利用しようとする者が現れるのなんて百も承知のことだろう?」
使い方によっては情報は強大な力になるというエヴァンの言葉を思い出す。
「それに加えて最近の事件……あぁ、これはヴィンセントを狙ってのことだってすぐ思った。それでルブロ・リブラや知人を頼って探してもらっていたんだ」
クラウディオの仕草や話しぶりから、ヴィンセントのことを心から心配しているのだと良くわかった。
「だから、ここに居るんじゃないかって情報を得て、居ても経ってもいられなくなってしまって……いきなり訪ねて、本当に申し訳ない」
腕の中でその美しい瞳を涙ぐませて見上げられると、なんでも許してしまいそうになる。
「全然、俺は大丈夫ですよ」
「そうならいいんだけど。ヴィンセントも出入りしてるなら、迷惑かけてしまってるだろうし」
やけにベタベタされたりと思い当たる節も無くは無かったが、首を振って見せる。
「いえ、むしろ手土産にお菓子くれたりで」
「そう? そっか」
どこか懐かしむようにクラウディオが微笑む。
間近で見る彼の表情一つ一つが美しい。
「ありがとう、話していたら少し落ち着いてきた」
身体を預けたまま、彼は小さくため息をついた。
「出来ることならもう一度あいつの顔を見たかったけど、生きているならそれで充分だ」
弱々しく微笑むクラウディオの姿に、どうにかしてあげたい気持ちが自然と湧き上がった。
「エヴァン!」
未だにキッチンにいて、こちらを眺めていたエヴァンを振り返り声をかけると、彼は近くにやってきた。
「ヴィンセントさんの連絡先わかる?」
「……いや、聞いてなかったな」
「そっかぁ、俺も知らないんだよなぁ」
ここまでヴィンセントのことを心配しているクラウディオの力になってあげたかった。彼のことを、見ず知らずの人間の家に押しかけてしまうくらい、涙を堪えられないくらい大事に思っているのだから。
「じゃあわかった、ヴィンセントさんが来たら電話させよう。連絡先教えてもらえます?」
俺の提案にクラウディオは嬉しそうに目を見開き、そしてはっとしてまた目を伏せてしばらく考え込んだ。
「あ、そうですよね……芸能人だし、連絡先、いきなりこんな一般人に教えるわけにも」
「いや、こうして親身になってくれたのに悩むなんて失礼なことを……教えてほしいです、渡辺さん」
身体を離して、改まってクラウディオはそう言った。
「レオでいいですよ。じゃあ、これ俺の番号です」
こうして話してみると、クラウディオはテレビの画面越しに見ていた素直で真っ直ぐな人そのままで、好印象しか無かった。
連絡先を交換し、彼の表情も目に見えて明るくなった。
「ぜったいぜったいぜーったいヴィンセントが来たら連絡させますから!」
「あはは、ありがとうレオ」
俺があまりにも強調するからか、クラウディオは微笑んで嬉しそうにぎゅっと自分のスマートフォンを握りしめた。
と、その握られた電話が彼の手の中で震えた。
笑顔から一変、焦ったような表情を浮かべるクラウディオ。
「マネージャーからだ」
彼は、嫌そうにしつつも慌てて電話に出た。
窓辺に向かい話す彼をぼんやり眺めていると、エヴァンがすっと俺の食べかけのホットサンドの皿を持ち上げた。
「冷めただろ、温めてくる」
「え……、どうしたの?」
今までにない行動に、ついそんな言葉が出る。
「食べるんだろ」
「う、うん」
質問に応えるでもなくエヴァンはそう言ってそそくさとキッチンに戻って行った。
なんだか、最近のエヴァンは変だ。からかってきたり、優しくしてみたり……。
嬉しいのは嬉しいけれど戸惑ってしまって、どう反応したら良いのかわからなかった。
「あぁ、もうわかってる! 次の撮影には遅れないようにするって言ってるだろ! いいから現場で待ってろ!」
クラウディオはというと、マネージャーに小言を言われたようでイライラと電話口に声を荒げて通話を切った。
喜怒哀楽、全部はっきりしてるというか、見てて飽きないなこの人。
目が合って気恥ずかしそうにしながら、クラウディオはまた俺の横に腰を下ろした。
「うるさくしてすまない。ショウキがあまりにも心配性で」
「大丈夫です、今日もお仕事なんですか?」
「うん、午後から雑誌の撮影と録音と、インタビューと……まぁ、いろいろ」
指折り数えるだけでもすごい仕事量だった。
「というか、よそよそしいから敬語はよしてくれ」
「え! そ、そう?」
「うんっ、仕事関係の知り合いは大勢いるが、普通に話せる友人があんまりいないから」
「じゃあ、ふつうに……クロード……クラウディオ?」
「クラウでいい、そう呼んで」
きらきらと効果音が付きそうなくらいの満面の笑みで言われて、なにかこう心が洗われるような気持ちになった。
「クラウ」
気恥ずかしさを覚えながら呼んでみる。
こうも出会ってすぐなのに懐かれてしまい、まだ頭では理解が追いつかない。画面の向こう側にいた人と話せるなんて現実味が無かった。
「レオ、熱いから気をつけろよ」
エヴァンが戻ってきてホットサンドが乗った皿を差し出した。
「ありがとう」
ほかほかと湯気が出て、同時にチーズとハムとパンのいい香りに空腹が刺激され、口に運んだ。一口かじるととろっとチーズがとろけて美味しい。
すると横でごくりと喉がなる音がして、見るとクラウディオがじーっと俺を……というかホットサンドを見ていた。
「食べる?」
「い、いや……いいのか? 昨夜からあまり食事が喉を通らなくて、その」
「いいよ、あ、でも食べかけだけど」
「全然平気! いただきます」
そう言えば旅ロケやグルメ番組でも美味しそうに食べていたよなぁと思い出す。クラウディオは、その時の印象のまんま、はふはふとホットサンドを食べ始めた。
「ん~、おいし」
あまりにも美味しそうに食べるものだから、自然と頬が緩んだ。
「美味しいならよかった。好きなだけ食べて!」
「いいのか? レオの分なくなってしまうぞ」
「まだ材料あるから作ればいいし」
「お前は本当に良いやつだな」
屈託ない笑顔で言われて、きゅうっ胸が締め付けられる。それと同時にこんなに純粋そうな人を泣かせたヴィンセントにふつふつと怒りも沸き起こる。
元恋人とはいえ、こんなにも心配してくれる人が居るのに……なにを考えているんだか。
「はぁ」
と、今度は横からため息が聞こえて、見るとエヴァンが不服そうに俺を見ていた。
「え、エヴァンさん?」
なにかまずいことでもしただろうか?
「エヴァン様もいかがですか? レオの手料理美味しいですよ」
そんな不機嫌なエヴァンにも、クラウディオはきらきらとした笑顔を向ける。
「知ってる」
そう言ってまたため息をつくと、エヴァンは立ち上がった。
「ではデュラック卿、ゆっくりしていってくれ」
そしてエヴァンにしては珍しくにっこりと笑顔を浮かべて自室に戻って行った。むしろ不気味なくらいの作り笑いだった。
「はぁ、レオ。エヴァン様は本当に素晴らしいお方だな」
それを知らないクラウディオは、素直に嬉しそうにしている。
エヴァンの見たこともない様な笑顔が多少気がかりではあったが、来客を放っておくわけにもいかずその背中を見送った。
「遠くから見ることはあったんだが、こうして近くで会うとやはり堂々としていらしてかっこいいな」
「クラウもエヴァンのこと知ってるんだ? 実はまだ出会って2週間ちょっとくらいなんだよね」
「それもそうか、随分と仲が良さそうだから変な感じ」
自分でも不思議なくらいなのだから、他人から見てもそうなのだろう。
それでもまだまだ彼のことは知らないことばかりで、こうして人づてに聞くエヴァンの話に興味を惹かれた。
「彼がずっと休養していた話は知っていたから、会うまで日本に来ているのも嘘なんじゃないかって思っていたよ」
「100年くらい、休んでたんだもんね」
「そうそう、その頃からフェスタ・ルナエで会うこともなかったし」
「そのフェスタ・ルナエってなんなの?」
「うーん、日本で言うお月見というか……。貴族の代表が城に集まって儀式に舞踏会なんかもするし、城下もだいぶ賑わうお祭りだな」
「へぇ、お祭りかぁ。じゃあそこでクラウが演奏を?」
ヴァンパイアのお祭り。美しい彼らが集って、城で舞踏会……おとぎ話や映画のような光景を想像し胸が高鳴った。
「大きなステージでね。あのステージ好きだなぁ。でも日本のお祭りのほうが好き」
クラウディオは、そう言うとにこっと微笑む。
「たこ焼きにお好み焼き、やきそば……あといちご飴も大好き」
「ふふ、全部食べ物ばっかじゃん」
「あ、あとほら……花火と浴衣も綺麗だな」
楽しそうに話しながら最後の一口を口に運び、満足そうなクラウディオ。カフェオレもごくごくと飲み干して気持ちいい食べっぷりだった。
「クラウもヴァンパイアなんだよね?」
「そうだよ」
「でも食べるの好きなんだ? エヴァンなんてずーっと食べ物食べてなかったって」
「あぁ、人によるからね。人間で言うとタバコやスイーツやお酒みたいなもので、好きな人は好きだし、接種しない人は全く摂らない。でもまぁ、摂らないヴァンパイアの方が多いかな」
「そういうもんなんだ」
彼がこんな風に食事を楽しめているなら、もしかしたらエヴァンもそうなれる日が来るかも知れない。
お節介ってまた言われちゃいそうだけれど、食事を楽しめるのと楽しめないのとでは日々の充実感は変わって来るはずだ。
「ごちそうさま! おいしかったよ、ありがとう。私はそろそろ仕事に行かなくちゃ」
「お粗末様です。お仕事頑張って!」
「うん、ありがとうレオ。また会いに来ても良い?」
「もちろん! ヴィンセントのことも任せて。なにがあっても連絡させるから!」
「はは、頼もしい。ほんとにありがとう」
感情の昂ぶりのままにぎゅーっと抱きついてくるクラウディオを抱きしめ返す。
そして彼はばたばたと帰っていった。
晴れ晴れとした初夏の日。表情豊かで食欲旺盛なヴァンパイアの友達が出来た。
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