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三浦さん――三浦美晴 さんは、何度か食事や映画に行ったことがある男性だった。仕事終わりなのかアイボリーのTシャツに薄手のブラウンのジャケットをあわせ紺のスラックスときれいめなコーデだった。年齢相応に落ち着きながらも短めの茶髪を綺麗にセットしていて魅力的だった。
「よかった、いつもと違う雰囲気だったから。って邪魔しちゃったかな?」
ちらりとエヴァンに視線を向けて言う三浦さん。
「あ、いえ……大丈夫ですよ!」
甘ったるい空気が流れていた余韻で、ドキドキとまだ心臓が脈打っていた。
それに加えて、エヴァンと出会う前に二人きりで出かけていた男性を前にしていると、なんだか罪悪感もあった。
三浦さんはエヴァンに会釈しながら、俺の目の前の席についた。
「ずっとあまり連絡もなくて心配だったんだ」
三浦さんは眉を下げて本気で心配してくれていたようだった。
数日前に『また会ってくれる?』と彼からメッセージが送られてきた。次の日『仕事が忙しいので、落ち着いたら』と返信したのが最後で、それ以降は連絡もまともに取れていなかった。
実際に陸上の大会が今月末に控え、忙しいのは事実なのだが、少し距離をおきたい気持ちもあり、後ろめたさを感じていた。
「す、すいません。忙しくて」
「ううん、謝らないで忙しいのは知ってるから。渡辺くんが元気そうで安心した」
優しい微笑みに胸を締め付けられる。
やはり気になるのか彼の視線がエヴァンに向かう。
「はじめまして、三浦美晴です。渡辺くんにはよく遊んで貰ってたんです」
にこやかに、けれど多少含みをもった自己紹介をする。
エヴァンはじっと三浦さんを見つめ、
「エヴァン・ホークだ」
と、一言だけの軽い自己紹介で済ませた。
なんとも微妙な空気が流れる。
正しくはどちらとも付き合ってはいないけれど、板挟みにされているような居心地の悪さだった。
「えっと、エヴァンはその、……親戚の、友人で……しばらく一緒に住むことになって。それもあってバタバタしてて」
なんとか誤魔化そうと必死に頭を働かせ、明るく振る舞ってみる。
「一緒に住んでるの? へぇ、そう」
三浦さんは驚いた表情で俺とエヴァンを交互に見た。
「えっと、三浦さんは最近どうです? 映画の方は順調?」
「あぁ、そうだね。そろそろ撮影が始まるよ」
「いよいよ撮り始めるんですね! 少しずつ形になっていくのわくわくしますね」
三浦さんは映画監督をしている。大々的に有名な方ってほどではないけれど、それでも何本か作品を発表していた。今回制作している映画は、数年の構想を経ているらしく、彼もだいぶ思い入れがある作品のようだった。
「もし、もし時間あれば……見学に来ない?」
正直めちゃくちゃ行ってみたい気持ちはあったけれど、いつまでも思わせぶりに彼と会うのもどうなんだろうと思ってしまい、しばらく言い淀んだ。
「考えといて。ワンシーンだけ冬場に撮りたいカットもあるから、夏忙しかったらその時でも」
「あ、はい! 考えておきます」
何度も誘ってくれて、会いたいと言ってくれ、好意を感じているのに、こんなはっきりとしない態度を取ってしまうことが申し訳なかった。
三浦さんのことは嫌いじゃない。一緒にいて落ち着く人だ。だけど、エヴァンのように側にいて胸が高鳴ったり、惹かれる感覚は薄いのも事実だった。
エヴァンのことは好きで、もっと彼を知りたいし仲良くなれたらと思うが、その気持ちをエヴァンに受け入れてもらえるのかは、いまいち自信がない。
そんなどっちつかずに踏み切れない俺に対しても、三浦さんは優しい。彼を傷つけたくはなかった。
もやもやとしながらアイスティーに口を付けると、隣のエヴァンがふっと笑みをこぼして顔を近づけてきた。
「ヴィンセントとクラウディオ、ホテルでもう少し話そうって」
三浦さんの登場ですっかり頭から抜けていたけど、いつの間にやら、そこまで進展していたらしい。
思わず嬉しいのとびっくりしたのでエヴァンと目を合わせる。
「やったね」
なんて言うと、エヴァンも頷いてほっとしたように微笑んでいた。あまり他人の事に興味の無いエヴァンだけれど、なんだかんだで二人のことを心配してたのかな。
「えっと、じゃあ、僕はそろそろ行こうかな。人を待たせてるし」
三浦さんが少しさみしそうに笑って言った。
「渡辺くん、またね」
「はい、撮影頑張ってください!」
「ありがとう」
三浦さんの背中を見送りながらほっと胸を撫で下ろす。
修羅場になりかけるんじゃという嫌な想像が実現しなくてよかった。
加えてクラウディオとヴィンセントもうまく行っているようで、それにも安心した。
楽しそうに食事をとる二人を眺めながら、うっとりとしてしまう。
もし、もしも、エヴァンともこんなふうになれたなら。
今日三浦さんに会って、申し訳ないけど、よりはっきりとした気がする。
俺はエヴァンが……。
「レオ」
低い声でそう囁かれてどきっとしてしまう。
エヴァンを見るとまっすぐと見つめられて、更に胸が高鳴った。
「帰ろう」
どこか嬉しそうな期待を寄せるようなエヴァンの瞳。
なにを意味しているのかわからないけれど、ただただずっと見ていたいくらい綺麗だった。
立ち上がるエヴァンの後を追って店を後にした。
エヴァンが払うからとタクシーを呼んでくれて、並んで後部座席に座った。
「うまくいったみたいでよかったねぇ、あの二人」
「あぁ……よかった」
「ふたりともかっこいいのもあるけど、ロマンチックでドラマでも見てるみたいだった」
先程までのクラウディオとヴィンセントの様子を思い浮かべながら話した。
200年ぶりの再会、甘い言葉に愛おしそうな眼差し。どこを切り取っても美しい二人だ。
あんな風に、俺も……なんて、つい考えてしまう。
「あのまま恋人に戻れたら素敵だよね」
ヴィンセントを思って取り乱し、涙を流すクラウディオの素直な思いやりと、陰ながらクラウディオを見守り想い続けていたがゆえに、距離を置こうとしていたヴィンセント。
お互いに想い合いながらもすれ違ったままなんてとても耐えられない。
「恋人か……」
エヴァンはそうぽつりと呟いた。
彼を見ると遠くを見るようなあの寂しい表情を浮かべていて、胸がざわついた。
「今は、いないんだよね?」
誰かを思っているようにも見えてしまって、切なくなる。
考えたくはなかったけれど、エヴァンにもヴィンセントやクラウディオのように、ずっと何年も想う人がいてもおかしくはない。
「あぁ、いない」
今はいない。
「……昔は、どんな人と?」
つい口をついて出てしまった言葉にはっとする。
「…………」
そして、エヴァンの寂しさの中に愛おしさを滲ませるような微笑みに胸が苦しくなった。
聞かなければよかった。
エヴァンにも、こんな表情をするくらいに愛していた人が、いたんだ。
しばらくの沈黙の後で、エヴァンが口を開いた。
「馬鹿みたいに真っ直ぐなやつだったよ」
胸が締め付けられて痛い。
他人に興味を示さない彼が、こんな、こんな風に笑う相手がいたんだと思うと情けないくらいに嫉妬してしまった。
ほんと、聞かなきゃよかった……。
後悔しながら両手を握り合わせた。
「レオは? さっきの男と親しそうだったな」
さっきの男、三浦さんのことだろう。
「あ、うん……。三浦さんとは、エヴァンと出会う前に何度か出かけたことがあって」
隠すのも気が引けて素直に口にする。
「そうか……デート相手?」
「まぁ、そうだね。でも最近は会ってないよ。今日久々に会った」
「あぁいう男が好み?」
「え?」
淡白な彼がやけに関心を示すから、期待が膨らんでしまう。
顔を向けると、じっと目を見つめられる。
「うーん、どうだろ……かっこいいと思うけど、好きってのとは違ってて」
だんだんと不機嫌になるエヴァンの表情に、また期待を寄せてしまう。
「エヴァンは、……めちゃくちゃタイプ、だよ?」
彼の瞳を見つめたまま言うと、エヴァンは表情を和らげてふっと微笑む。
そっと彼の冷たい指先が手の甲を撫でて、手を繋がれる。
ドキドキする心臓の音が伝わってしまいそうだ。
窓の外を眺めるエヴァンの顔がやけにかっこよく見えた。
早く、早く家に着かないかなとそればかり考えていた。
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