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 タイミングの悪い来訪者に内心落胆しつつ、急いで玄関に向かった。扉を開くと、そこには雨に濡れるヴィンセントが立っていた。数日ぶりに会う彼は、以前のような覇気は無くやつれて見えた。 「ヴィンセントさん、大丈夫ですか!」 「あぁ、レオ……すまない、いきなり来て」  力なく笑う姿が不憫で仕方なかった。いつも余裕があり飄々としている彼らしくない姿に戸惑った。 「連絡もつかないから心配していたんですよ!」 「そうだよな……どうするべきか悩んでいて」  言葉を詰まらせてため息をつくヴィンセント。 「今までクラウディオのために生きてきたから、どうしたら良いのか、もう……」  目に涙を浮かべ、項垂れるヴィンセントを見ていられず抱き寄せた。  ずっとクラウディオのために、クラウディオが自由に生きていけるようにする為に全てをかけてきたヴィンセント。そこまで出来るほど大好きな人から、あんな風にはっきりと別れを告げられて平気なわけが無い。  首筋に頭をもたれる彼の湿った髪の毛と涙で肩口が冷たくなる。  そっと背中を撫でると耳元で鼻をすするのが聞こえた。どうにか慰めたくてきつく抱きしめた。 「クラウが……クラウがヴィンセントさんのこと心配してましたよ。自分は側にいてはいけないから、俺にあなたのこと気にかけてやってくれって、そう言ってました」 「そう……それでいいと覚悟していたはずなのに。彼の為になるなら、側にいられなくたって良いって思っていたはずなのに」  上擦ったヴィンセントの声が悲痛に響く。 「君とエヴァンを見ていたら羨ましく思えて……クラウの声を聞いたら、顔を見たら……その手に触れたら、どうしても欲に逆らえなくなっていって……それが怖くて……。ほんと馬鹿だよな」 「好きなら、当たり前のことですよ……それだけクラウを愛しているってことですよ」  言いながら涙が滲んできた。  きっと、好きなことを諦めるのは容易に出来ることじゃない。  三浦さんがどれだけ俺を想って苦しんでいたかを測ることは出来ないけれど、ヴィンセントの姿と重なって胸が痛んで仕方なかった。  啜り泣く彼の大きな背中を撫で、しばらくそのまま寄り添った。 「ありがとうレオ。少し落ち着いたよ」  多少は慰められただろうかとほっとしていると、黙って見ていたエヴァンが俺に抱きつくヴィンセントを引き剥がした。 「落ち着いたなら、話せるか」  エヴァンの低い声が、どこか冷たく響いた。 「古書の内容をもう既に解読していたんだろう?」  その言葉に驚いた。  だって解読を一人でできないからエヴァンのもとに来ていたと言っていたのに。 「あぁ、それは……」  ヴィンセントは雨で湿る前髪を掻き上げると、顔を伏せて深くため息を吐いた。 「解読を口実にして、本当は俺に近づくのが目的だったんだろ」 「まぁね、それも理由の一つだ」  ヴィンセントは涙を拭き顔を上げると、吹っ切れたように言葉を続けた。 「エヴァンのことは尊敬してるんだ。有名な『父親殺し』の話だけじゃない。それ以前も後も、君の活躍は見ていた。君ならアレクサンドル卿にも話を通せるだろう?」  さらっとでた「父親殺し」という言葉に耳を疑った。  エヴァンがお父さんを……?  とても信じられない話だ。  ヴィンセントの言葉に動揺する様子もなく、エヴァンは話を続けた。 「あぁ。だが俺である必要も無いんだろう。食いついてきた利用できるやつなら誰でも利用するんだろう」  淡々とした言葉にヴィンセントは薄っすらと笑みを浮かべる。 「まぁ、そのつもりだったよ。それにもう引けない所まで来てる。どうにかして収集をつけるよ……。ただ、この本を預かっていて欲しいんだ」  彼は革製のカバンから本を取り出すとエヴァンに差し出した。古めかしい装丁の例の古書だ。 「僕はもう居場所が割れてしまっている。クラウに情報を流したのは恐らくルブロ・リブラの連中だ。あいつら協力的だが信用しきれない」  エヴァンは素直に本を受け取り、留め具を外して開き、中身を確認した。 「君も気をつけたほうが良い、エヴァン」 「そうだな」  エヴァンは本を閉じると真剣な眼差しでヴィンセントを見つめた。 「僕は場を収めるために、もう少し考えを纏めたい……クラウディオがもし本気で弾かないとしたら本末転倒だからね。それだけは避けないと。……それで、しばらく身を隠すことにするよ」  ヴィンセントはそう言う。来たときよりも僅かに気力を取り戻したようだった。 「この本は大した内容じゃない。ある男の日記だ。だが特殊な力を使えば別の内容が読めるらしい。魔力透視、エヴァンなら知っているだろう」 「あぁ、だがそれは上級魔女か」 「そう古代や原初のヴァンパイア……より純血に近いものならば読める。より強力な魔力の持ち主ならば。例えば王や君のお父上とか、ね」  ヴィンセントは力なく微笑みながら続けた。 「仮にも王族の血筋の君なら読めるかとも思ったが、やはり純血並とまではいかないようだね」  二人の会話についていけないまま、ただ聞いていた。  ヴァンパイアについて、エヴァンについて――まだまだ知らない事だらけだと、突きつけられるようだった。  「それから日本にもいるんだ。日本のヴァンパイア・ハンター……、彼らが捕らえている鬼の存在を知っているか? 長い金髪に紫色の瞳、少年の姿で……古代に日本に渡ってきたとか」  それまで真剣な表情で話を聞いていたエヴァンが驚いたように目を見開いた。 「君もよく知る人の血を分けたお方の、ようだよね」  ヴィンセントの含みをもたせた言葉に動揺するエヴァン。  彼らの言葉の意図するところは全くわからないけれど、ただそれがエヴァンにとって特別な意味を持つ事なのはなんとなくわかった。

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