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 目が覚めると白い天井が見えた。 「レオ……っ」  そして、がたっと椅子から立ち上がる音がして、心配そうな表情のエヴァンが覗き込んだ。見たこともない姿で、こんな顔も出来るんだと思わず笑ってしまう。  ふわっと彼の髪の毛が頬をくすぐり抱きしめられる。ひんやりとしたエヴァンの体温が心地いい。  そして次第に記憶が浮かび上がり、さっと血の気が引いてきた。 「エヴァン、ヴィンセントさんが……」  身体を離しエヴァンと目を合わせる。 「連れてかれちゃって、俺、助けられなくて」  ずっと行方を探られていたヴィンセント。乱暴な誘拐の仕方を見て、彼が何をされるのかは予想したくもなかった。  エヴァンはぎゅっと眉根を寄せて俺の手を握った。 「無茶するな……少しは自分のことを考えろ」  低い声は少し責めるようで、僅かに震えていた。 「ヴァンパイアは人間より力が強いんだ……。お前がこの怪我で済んだのだって幸運だっただけだ。お前が俺達より脆い身体で相手しようとしたって敵うわけがない」 「で、でも……ヴィンセントを」 「俺がっ」  珍しく感情的に、エヴァンが声を荒げた。  真っ直ぐと俺を見つめる青い瞳が悲しそうに揺れる。 「俺がどれだけ心配したか……お前が倒れているのを見つけた時、どれだけ怖かったか……」  強く手を握られ、何も言えなかった。 「ごめん……」  青白く光る刃物が脳裏に浮かぶ。  喉元にあてがわれ、もう少しで俺は死ぬところだったんだと今更実感した。  エヴァンがもう一度、覆いかぶさるようにしてベッドに横たわる俺を抱きしめた。こうしていると恐怖や不安も多少和らいだ。 「お邪魔してすいません。少々よろしいですか」  ふと男の声がした。エヴァンが身体を離し、二人で声の方を向く。 「一桜寺署の者です。目を覚まされたばかりで申し訳ないのですが、捜査協力お願いします」  男女二人組の刑事が警察手帳を掲げて立っていた。今回の出来事が現実なんだと、改めて突きつけられるようだった。  身体を起こそうとすると背中に鋭い痛みが走る。 「あー、楽な姿勢のままで大丈夫ですよ!」 「は、はい」 「それでヴィンセントさんが連れ去られた現場にいたのですよね?」 「はい。いました」  男性が質問をし女性の刑事がメモをとりながら話を聞いていた。尋ねられるままに、あの時の状況や覚えている限りの犯人の特徴を伝えていった。とは言え、雨の夜道での一瞬の出来事だったのもあり、出せる情報は少なかった。  途中で携帯が鳴り男性の刑事が電話に出た。 「えぇ、はい……今、病室に、はい」  顔を引き攣らせて、明らかに緊張した面持ちになる。  電話を切ったあと女性刑事と二人で会話しているのを横目に、握られたままのエヴァンの手を引き寄せた。 「どうした? 何か必要か?」  エヴァンが心配そうに俺の顔を覗き込む。 「ううん、ただ……もうちょっと近くにいて」  バカなお願いなのは重々承知だけれど、それでも、事件当時の状況を話していて再び湧いてきた後悔や助けられなかった心苦しさを落ち着けたかった。  力で叶わないのは、わかっていたけれど……もっとやりようがあったはずだ。これでもしものことがあったらと思うと焦燥感が襲ってきた。 「クラウに連絡しないと……」 「本人の連絡先を知らなくて……マネージャーには電話したんだが」 「ほんと? クラウにも直接電話したいけど、俺のスマホは……」 「あぁ……家かもな、後で取りに行くよ」  エヴァンはふっと鼻で笑って、俺の頬を撫でた。 「お前は重症だな……。こんな状況で人の心配ばかりして」 「俺は別にちょっと怪我しただけ……て、ごめん」  死にそうになったのは頭ではわかっていても、痛み止めも効いていて動かなければ痛みもほとんどなく、怪我したのすら忘れそうになる。  こんなんだから心配させてしまうのに。 「いい、わかってるよ……」  エヴァンが優しく微笑んでくれて、それだけでなんだか安心した。  少し落ち着いてきたところで、荒っぽくドアが空いた。40代くらいの強面の男性刑事と20代くらいでくすんだアッシュブロンドのがたいのいい白人男性が病室に入ってきた。 「失礼します、警視庁捜査一課の四方(よも)と申します。悪いが二人は」  警察手帳を見せ四方と名乗った男に促されて、元いた刑事二人は病室を出ていった。  四方とブロンドの男は、険しい顔つきで俺とエヴァンを一瞥した。 「少しだけ話をよろしいですか?」  四方は咳払いをして話を続けた。 「私は捜査一課の特異犯罪対策室に所属しています。まぁなに、つまるところヴァンパイアや魔女なんかの事件を担当しています」  エヴァンと出会うまで存在すら架空のものだと思っていたヴァンパイア。彼らのための機関が警察組織に組み込まれていたことを知ったのも初めてだった。 「こちらはアリス・アルゲンティスのナサニエル・アシュトン代表です。今回、合同捜査を行っています」 「よろしく」  アリスということは、彼もヴァンパイアなのだろうか。ナサニエルは、Yシャツにジャケットを羽織った姿でもわかるくらい筋肉質で、背丈も大きいのもあり威圧感がある。それでいて顔立ちはどこか可愛らしさもある人だった。 「今回の襲撃事件を含め、東京都内で事件が頻発しているのが現状です。一連の事件は同一犯、同一組織によるものだと予想して捜査を進め、捕らえた犯人からエクリプス・オーダーという組織名を聞き出しています」 「エクリプス・オーダー……」  ぼそりとエヴァンが呟いた。 「たしかアメリカで活動していた」 「さすがホークさん、話が早いな。そう、彼らはアメリカに拠点を置いており、何度か事件を起こして来ました。今回は、恐らく件のヴィンセント・コンティの古書の情報を聞き、日本にまで活動の範囲を広げたと予測しています。我々は奴らの居場所を突き止め、捕らえるために捜査をしています」  ここまで大掛かりに裏では人が動いていたのかと驚いた。 「その捜査協力をぜひお願いしたいのです、エヴァン・ホークさん」  四方はそこまで言うとちらりと隣のナサニエルに目配せした。 「エヴァン・ホーク公爵。突然の依頼の無礼をお詫びします。エクリプス・オーダーがアリスへの反対勢力であり、アリスの活動を認めてくださっている我らが王に対して、クーデターを企てていることは、既にご存知かと思います。我々ヴァンパイアの平和と秩序のため、どうかお力添えをお願いいたします」  ナサニエルはエヴァンをまっすぐと見つめ、胸に手を添えながら力強く語りかけた。そして深々と頭を下げる彼の姿を見つめながら、エヴァンは黙って考え込んだ。  ちらりと俺に目配せし、四方とナサニエルに向き直ると、エヴァンははっきりとした声音で続けた。 「協力しよう。ただし、今回の件に関してのみ個人的に情報を共有するだけだ。アレクサンドル卿の意志は含まないものであると理解してくれ」  エヴァンの言葉に、四方もナサニエルも顔を綻ばせる。 「早速お話を伺っても?」  二人に促されて立ち上がるエヴァンは、ぱっと振り向くと俺の額にキスを落とした。 「ゆっくり休め」  不意打ちの優しい微笑みに心臓が跳ねる。  エヴァンと四方、ナサニエルは連れ立って部屋を出ていった。  病室は、一気にしんと静まり返った。個室に一人、身動きを取ることもままならず、ぼんやりと思案を巡らせた。  思っていたよりも、この事件は大事になっているようだった。  ヴィンセントが広めた情報によって日本に集まった、エクリプス・オーダーにエヴァン。事件が頻発していることでアリスの代表までもがこの場に現れた。  古書の内容を解読することだけでなく、エヴァンに近づくことを目的にしていたヴィンセント。社会の変革を望む彼にとってしたら、エヴァンの公爵としての地位や政界での立場に惹かれるのもよく分かる。  王への反乱、平和と秩序――とても一般人の俺には身近に感じられない言葉ばかりだった。  あの古めかしい本には、一体どれほどの価値があるのだろう。  その真相を知っているヴィンセントは誘拐され行方知れずだ。彼が戻れば、きっと真相が明らかになる。  だがそれよりも何よりも無事でいて欲しい。  人のことばかりと何度もエヴァンに言われたが、それでも心配せずにはいられなかった。  静寂に包まれた病室の中にいると若干、強く殴られて石塀に打ち付けられた肩や後頭部が痛むように感じる。  しばらくして担当医と看護師が回診にやって来た。怪我の具合は、ひびや骨折はないものの背中の打撲は全治3、4週間ほど。また頭部の打撲は軽いものの脳震盪を起こしたこともあり経過観察が必要だと言うことだった。  事件が起きた夜から半日以上意識を失っていたらしく、午前10時を過ぎていた。念の為今夜も入院し、明日には退院できるそうだがしばらくは安静にしていなければならない。  そこまでの怪我ではないと思っていたが、身動きを取れないもどかしさがあった。

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