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昼食を終えて父さんはまた仕事に戻っていった。
着替えやスマートフォンなどを持って来てくれていて、職場への連絡を済ませた。
続けて、ずっと気掛かりだったクラウディオに電話を掛けた。しばらくコール音が響き、一度切ろうかと思った時に電話が繋がった。
「レオか? どうした?」
声色は前回話したときよりもずっと明るかった。
と、言うことは、マネージャーの久良岐はクラウディオに何も伝えていないのだろう。
「えっと、その」
「なんだよ、言いにくいことなのか……わ! ちょっと今電話してるだろ」
がさごそと音がして、クラウディオが他の人と話す声がした。
彼がヴィンセントに別れを告げた場面を見ていた。その覚悟はきっと計り知れないほどで、今更ヴィンセントの話題に触れない方が良いのかもしれない。そう一度は思ったが、流石に生死が関わってることを黙っているわけにはいかなかった。
ヴィンセントの安否を気にして俺の家に押しかけてしまう程に、クラウディオが彼を愛していたのも事実なのだから。
「悪い、それで?」
「ヴィンセントが、その……誘拐されたんだ」
「え……」
電話口にも息を飲んだのがわかった。
「昨日の夜に……。今警察が捜してくれてるけど、まだ見つかって無くて。その、昨晩マネージャーさんにエヴァンが連絡したみたいなんだけど、聞いてない?」
「聞いてない……そんな。おい彰紀、お前黙ってたのか……ヴィンセントが」
クラウディオの声が冷たく響き、胸が締め付けられた。
「もう諦めたんだろあいつのこと、それなら」
「だからって隠してたのかお前」
口論しているのが聞こえてきて、連絡をするタイミングが悪かったなと思った。恐らくすぐ近くにいた人物はマネージャーの久良岐だったのだろう。
「レオ今、家か?」
「いや、病院に……その、ヴィンセント逃がそうとして怪我しちゃって」
「そんな……はぁ」
クラウディオが怒りを滲ませながら、深くため息をついた。
「今、彰紀と静岡まできていて、……急いで戻るから。その、ヴィンセントはまだ生きてるよな……?」
不安そうに声を震わせて、クラウディオが言う。
「うん、きっと大丈夫だよ……」
まだ誘拐されてから24時間もたっていない。きっと、大丈夫。そう信じたかった。
「うん……じゃあ東京着いたらまた連絡する。レオ、教えてくれてありがとう」
電話が切れて、深く息を吐きスマートフォンを枕元に置いた。
昨日から一気にいろんなことが起きて頭がいっぱいいっぱいだった。
三浦さんと会い、告白され……ヴィンセントが誘拐されて……。
もっと前に、自分から断るべきだったのにとか、焦らずに見た目の特徴や車のナンバーを見るべきだったとか、頭の中でぐるぐると考えが巡る。
クラウディオとヴィンセントのことだってもっと、うまくやれただろうに……。
一人部屋の病室は静かだ。
背中と頭部に鈍い痛みを感じる。
白い天井……窓の外、青空には雲が少し。
消毒液と湿布と清潔なシーツの匂い。
胸を上下させる呼吸の音。
エヴァンは、今頃どうしているだろうか。
不安が渦巻いて、心細くてたまらなかった。
ぼんやりしているとがらっと扉が開き、エヴァンが顔を覗かせた。
目が合うと控えめに微笑むエヴァン。彼の姿を見るだけでほっとして、俺も自然と頬が緩んだ。
「警察と話した後に家に戻って、いろいろ持って……」
トートバックを差し出しながら、エヴァンの視線が俺のスマートフォンに向かう。
「あ、父さんがさっき来ててね、持ってきてくれたんだ。連絡すればよかったね」
「見つからなくて無くしたのかと思ってた。よかった」
荷物を脇に置いてベッドの側にしゃがみ込むエヴァンに手を伸ばすと、ぎゅっと握ってくれた。
近くに来たエヴァンからは、ふわりと石鹸の香りがして、黒髪も湿っているように見えた。
「シャワーしてきたの?」
「ん、あぁ」
「今日も泊まるつもりなの?」
エヴァンの指先がすりすりと掌を撫でる。ひやりとして心地いい。
「俺は平気だから、家でゆっくり休みなよ」
病院に運ばれてからずっと近くにいてくれたらしいから、少し心配だった。
「いい。側にいたいから個室にしてもらったんだ」
はっきりとした言葉に、胸がぎゅうっと締め付けられる。
エヴァンは立ち上がり、覆いかぶさるようにベッドに腕をついた。ぎしりと軋む音が微かに聞こえ、顔が近づく。エヴァンの長い前髪が頬をくすぐり、唇が重なった。
形を確かめるような、じっくりと味わうような……ゆっくりとしたキス。ドキドキしているのがバレてしまいそうなくらい、優しい口づけにうっとりする。
薄く目をあけるとエヴァンと目が合った。間近で見る彼の美しい瞳に目が奪われた。
もう一度唇が重なる。
いろんな心配事が掻き消えて、エヴァンの事だけが頭を占めていた。
三浦さんとの関係も友達になって、今は誰とも付き合っていない。エヴァンと、恋人になれたらって思うけれど、今こうして優しくしてくれる彼を嘘だとは思わないけれど、不安な気持ちもあった。
彼はヴァンパイアで、人間の俺とは別の時間を生きている。
ほんの数週間一緒に過ごしただけ。
俺だって自分の気持ちに戸惑っているんだ。
「何を考えてる?」
すぐ近くで見つめ合うエヴァンの瞳がかげり、細められる。
「何を?」
聞き返すとエヴァンの指先が頬に触れた。
「泣きそうな表情してるから」
心配して貰えることが嬉しくて、彼の瞳に映っていることが幸せで、もっともっと触れ合っていたい。彼が俺を愛してくれたらなんて思ってしまっている。
それが気まぐれでも構わないから。
「……エヴァンのこと、好きだよ」
そっと左手で頬に触れていたエヴァンの手を握る。
「…………」
エヴァンは何も言わずにただ俺を見つめていた。
以前のように勘違いと言われなくてほっとしたけれど、同時に困らせてるんだろうかと心配になった。
そして、勘違いさせるような行動ばかりするエヴァンを恨めしく思った。好きじゃないなら甲斐甲斐しく面倒を見たり、心配そうになんてしないで欲しい……愛おしそうに見つめないで欲しい。
涙が出そうになって目を伏せた。
あぁ、好きなんて、言わなきゃよかった……せめて勘違いだと聞き流してくれたらどんなに良かっただろう。
目が潤んで喉が締め付けられて、今にも泣いてしまいそうだった。どうにか誤魔化したいけれど、こんなにも至近距離にいたら隠せるわけもない。
無言に耐えられず横を向いて、目を瞬かせる。
どうせ叶わないってわかってた。
だけど、こうして彼を困らせるなら、流されたりせずに言葉を飲み込めばよかった。
ぽたりと涙が溢れてくる。
「……っ!」
ふと首筋に唇が触れて身体がびくっと跳ねた。
噛むのかと思ったけれど、そうではなく、ただ何度もキスを落とすだけだった。優しく触れて離れるのがくすぐったくて、愛情を含んだ行動のようにもとれて戸惑う。
そのまま指先や困惑して見つめる俺の額や、涙で濡れるまぶたにもキスを落とされる。
はぐらかすにしてはあまりにも思わせぶりで、少しだけむっとするけど、でもずっとそうしていて欲しいくらい甘く心が安らいだ。
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