60 / 98

幕間 The Raven

★???  ぶくぶくと水を張った湯船から水泡が沸き立つのを見ていた。  昔ながらの常套手段だ。人間だろうがヴァンパイアだろうが、同様に苦しめられる。 「っは、げほげほっ……」  髪を掴んで引き上げられ、咳き込むヴィンセントという強情な男は、数時間の拷問でやっと疲れを見せ始めた。 「それで、話す気にはなれたかな? 僕もあまり悠長にはしていられないんだ」 「……はは、そうだろうな。こんなにも騒ぎを大きくしてしまって、後始末に困ってるんだろう」  疲弊した様子はあるものの、未だに突っかかる元気はあるらしい。  最も、これくらいいかれた男だからこそ信憑性があるというものだ。 「それはあなたも同じことだろう。様々な勢力がヴィンセント・コンティという男を探している。歴史的な価値のある発見。停滞しきった時代遅れの貴族社会にうんざりしている者を焚きつけるにはいい燃料だ。変革を望む者にとっては。なぁ、あなたもそうなんだろう?」  窓から差し込む月明かりに照らされ水面が揺らめくのが見えた。彼の茶髪や目を覆う布からぽたぽたと水が滴り、浴室に水音が響く。 「僕らの目的はそう遠いものじゃない。我々ならば確実に君の願いを果たせる。クラウディオ、彼の演奏は僕も好きなんだ。守りたいと思うのはあなたと同じだよ。彼だけじゃない。王のくだらない成約の下で不自由に才能を腐らせている同胞は数え切れない。人間を尊重すべきか? 人間の支配を受け入れるべきか? ノーだ。力あるものが力なきものを支配するのが世の正しき理じゃないか」  この状況でなお、ヴィンセントは笑う余裕を見せた。 「愚かなことだ。青い思想だよ。力での支配が、暴力での圧政が長続きしないことは人の世の歴史ではっきりしている」 「それは人と人による歴史だ。我々が関与した結果ではない」 「詭弁だな。人間とヴァンパイアにどれほどの違いがある? むしろ人間の血液に依存している我々のほうが生物的には弱者じゃないか」 「これだけ痛めつけても、よく頭が働くようだな。できることなら協力してもらいたいんだ。問答をするために招待したわけじゃない」 「悪いが誘いには乗れない。……君と組む道を想定していなかったわけじゃないんだよ。だけど、こうして君と話してはっきりしたよ。今どき血の革命なんて古臭いやり方に頼る気はない」  きっぱりとした彼の物言いに笑いが込み上げた。 「はは、古臭いか。力での支配、弱肉強食……一番わかりやすくて僕は好きだよ。長く生きているだけの頭の凝り固まった支配層を一掃して、我々の時代を築き上げるんだ。……そう、あなたに選択肢があるわけじゃない。いつだって優位なものに選択権がある。そうだろ? たとえば、そうだな……ヴァイオリンを演奏するのはきっと片腕だけじゃできないだろうね」 「……彼に、クラウディオに危害を加えたら僕の協力を乞えると思わないことだ」  ヴィンセントの表情が引きつり、低い声が響く。抑え込まれながらも身じろぐ彼の健気さに心を打たれそうなくらいだ。 「あはは、いいね! それだよ、その顔を見たかったんだ。……わかってるさ、愛する人を傷つけられたやつってのは何をしでかすかわかったもんじゃない。クラウディオには手をださない……今はまだね」  固唾をのむ彼の耳元に寄るとはっきりと口にした。 「僕が望むのは例の古書だ。在処とその内容を教えるんだ」 「……断る」  顎で指図し、ヴィンセントを取り押さえていた部下がまた彼の頭を水の中に沈める。  ばしゃばしゃと水がはね、空気が泡になって水面に浮かぶ。  出来ることなら協力して貰いたかったが、無謀な賭けだということはわかっていた。情報を引き出せないのならば、このまま……。 「マーク、少しいいか」  声を掛けられバスルームの外に出た。 「どうした」 「例の協力者の久良岐なんだが、その」 「なんだ、はっきり言え」 「実はクラウディオと一緒にいないみたいで……あの、どう情報が伝わったのか、ヴィンセントが拉致されたことを知ったようで引き止められず」 「ちっ、だから素人頼りはやめとけと」  本来ならば久良岐にクラウディオと行動をともにしてもらい、状況に合わせてヴィンセントの脅しに使うつもりだったが。 「はぁ、マヤの奴が人間なんかを当てにするから……だが、まぁいい……、状況的に見て接触したエヴァン・ホークが臭いのは確かだ。マヤから連絡はあったか?」 「はい、今しがた身柄を確保したと」 「そうか」  あわよくば古書の現物と内容を確認できたならば目標達成だったが、仮にも王族の血を引く公爵の身柄を確保できるならば、それもそれで悪くはない。  何よりもあのエヴァン・ホークだ。  血の審判を終結させた英雄。同時に自らの父親、かの有名なセリウス・ドラコ公爵を手に掛けた男。カリスマ性に富んだというセリウスを崇拝する者は未だ多い。  従わせるも殺すも、どちらに転んでも強力な一手になる。  我ながら運が良かった。  日本でヴィンセントを探す傍ら、多くの腐敗したヴァンパイア貴族の命を奪った。  それに加え、偶然にも取り逃がしたのがあのエヴァン公爵だった。  これは我々エクリプス・オーダーにとっての大きな転機になるはずだ。 「ふ、やっとだ……ダミアン」  右手の薬指に付けた指輪をそっと撫でる。  あの日からおよそ20年。やっと動けるだけの力を手に入れられる。運が確かに回ってきている。  何もできずに涙を流すだけの日々は終わりだ。この手で、今度こそ必ず――。

ともだちにシェアしよう!