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久良岐はクラウディオとの旅行先に取り残されたままだった。となると旅先である静岡の集真 市にいるのではと推測ができた。警察の調査とも合致するところがあり、恐らくその周辺だろうとして捜索が続けられた。
俺は事件の渦中の古書を手に、クラウディオ、四方、ナサニエルの四人でその場に向かうことになった。青白い顔から更に血の気を引かせ、クラウディオは見ていて痛々しいくらいだった。
「散々、彰紀を傷つけてきた私への罰なんだ」
呆然としながら泣き崩れる彼を抱き寄せて励ました。
今この瞬間にも命を脅かされているのかもという想像は、嫌でも頭にこびりついていた。後悔で胸が締め付けられて気が気じゃないのは彼だけではない。
3時間ほど車を走らせ続け、山間を南下し、やっと観光地としても有名な港町についた。集真署に着く頃には昼を過ぎ、夏らしい強い日差しが燦々と照りつけていた。
地元警察に捜査をしてもらっている間、俺達はクラウディオと久良岐が宿泊していたという海沿いのホテルまで足を運んだ。美しい海を臨む一室はがらんとしており、荷物だけが取り残されていた。
四方とナサニエルが事前に連絡していたのもあり、そこから更に1,2時間ほどでおおよその犯人の居場所を掴むことができた。
現場に向かうと、山奥の廃ペンションに似つかわしくない、黒塗りの車が一台停まっていた。ヴィンセントの誘拐に使われていた黒いバンは、感づかれたのかすでに他の場所に移動し、警察が追っているそうだった。
「彰紀の車だ」
クラウディオの声に焦りが感じられた。
警官数人が先行し、建物の捜索が始まった。俺とクラウディオはもどかしく思いながらもその様子を眺めていた。
蒸し暑い外気に汗が滲んでくる。
数分後。建物内が騒然とし、犯人が刃物を持ち、立てこもっているという声が聞こえてきた。クラウディオはもう耐えられないといった様子で駆け出し、俺も続いて彼を追いかけた。
ペンションの一室の入口に集まる警察を掻き分けて、部屋の中に入ると、そこにはぐったりと傷だらけで横たわるヴィンセントと、その上にまたがり刃物を持っている久良岐の姿があった。
「……彰紀やめてくれ! 私が悪かった、だから」
警官に引き止められながらも、クラウディオは涙を零しながら悲痛に叫んだ。
はっとした表情の久良岐は、青ざめた顔で彼を見つめた。
ヴィンセントの頬は殴られたのがわかるくらい赤く腫れ上がっていた。手足を縛られ身動きが取れないだけじゃなく憔悴しきっている。
「クラウ……なぜ止めるんだ? こいつがいるから、こいつが」
手に持ったサバイバルナイフを振り上げ、皆が息を飲んだ。
「彰紀……! ほんとうにすまない……」
クラウディオは警官の手を逃れて、よろよろと久良岐の元に近づき彼を抱きしめた。
「私は……お前に縋って、お前の愛を利用していた。お前に依存することで、自分の弱さから目を逸らしていた」
「クラウ、それでかまわない。それでいいんだ。俺は……」
「好きだと言ってくれて嬉しかった。いつも必要としてくれた。支えてくれた。ありがとう、クロード・モンローを一緒に作ってくれて」
クラウディオは身体を離し、久良岐の下敷きになっているヴィンセントに視線を移した。
「だけど、馬鹿みたいに彼を求めてるんだ……別れてから、何度も何度も忘れようとした。私は弱いから……自分の愛にさえ向き合えないでいた」
泣き崩れるクラウディオにヴィンセントが力なく微笑みかけた。
「クラウ……僕を許してくれ。君を苦しめて、泣かせてばかりいる……」
ぼろぼろになりながらもそう掠れた声で呟く。涙を溢れさせヴィンセントに笑いかけるクラウディオを見て、久良岐は顔を歪めた。
「そうだ、苦しめてるんだ……わかってるなら、消えろよ!」
もう一度、久良岐はサバイバルナイフを振り上げ力任せに振り下ろした。
その刃はヴィンセントの胸に向かっていたが、庇うようにしてクラウディオが覆いかぶさり、彼の右腕に突き刺さった。引き抜かれたところから血が溢れ出しぼたぼたと滴り落ちる。
「クラウ……! そんな……なんで」
呆然としてよろめき、後ろ手を付く久良岐。その下から這い出たヴィンセントは、縛られ不自由なまま身を捩り、クラウディオを覗き込んだ。
「なんてことだ、大事な腕が……」
今にも泣き出しそうにヴィンセントの顔が歪められる。そんな彼に、クラウディオは笑ってみせた。
「大丈夫、これくらいすぐ治るから。ヴィニー……あなたが無事ならそれでいいんだ」
「クラウ……いつも君に助けられてばかりだ。ずっと平気だと思ってたんだ。側にいられなくても、人知れず君の力になれたらそれでいいって。でも、手の届くところに君がいるのに、なぜ手を伸ばさずにいられるだろう。それで、余計に君を苦しめると知りながら」
クラウディオは血が滲むのも気にせずに、ヴィンセントの頬を撫で、そっとその唇に口づけをした。
「どれだけ離れていようと、ずっとこの胸にはあなたがいた。あなたの側にいられる強さが欲しい」
「クラウ……君が苦しまずに幸せに過ごせる世界がいい……けれど、できるならその隣に……僕もいさせてくれ」
「当たり前だろ? あなたがいて初めて本当の幸福を得られるんだ」
やっと、二人が本心を伝えられている様子に、幸せそうに微笑みあう様に思わず瞳が潤んだ。
彼らの様子を唖然として見ていた久良岐は、ふらつきながら立ち上がり、真っ青な顔をして彼らに近付くと、ヴィンセントに寄り添うクラウディオを力任せに突き飛ばした。
そして、再びヴィンセントにまたがると、抵抗できない状態の彼の身体に闇雲に刃を突き下ろし始めた。何度も何度もナイフを刺しては引き抜き白いシャツが血に染まっていく。
「死ね! 消えろ! お前が、お前が居なければ……お前さえ!!」
久良岐は涙を溢れさせ半狂乱で叫んだ。
動くこともできず眺めることしかできない俺とクラウディオをよそに、一斉に警官が久良岐を取り押さえた。
血の匂いが部屋に充満し、床に赤黒いシミが広がる。
よろよろとクラウディオはヴィンセントの近くに寄り、様子を伺った。
「……そんな、傷が……もしかして血を飲んでなかったのか?」
ヴィンセントはぐったりと憔悴し、顔の殴られた傷跡すら残ったままだった。
「お、俺の血を!」
エヴァンに出会った頃、弱っていた彼が吸血して良くなったのを思い出して咄嗟に近くに寄った。
「だめだ……もう意識が」
近付くと思っていた以上に酷い傷で、見ていられなかった。
大量出血で意識も朦朧としているヴィンセントが自ら血を飲むことが難しいのは言われなくてもわかった。何もできないもどかしさを感じながら、せめてもと羽織っていたシャツを脱いで傷口に押し当ててみた。だが刺し傷が多すぎて意味を成さないことは、はっきりとしていた。
「いやだ……やっとお前の本心を聞けたのに」
クラウディオはヴィンセントの肩に頭を寄せて泣き崩れた。
「ふたりとも、ちょっと離れて」
消沈する俺達のもとにナサニエルがやってきた。彼は手に持ったポーチから、淡く緑色に輝く液体の入った小瓶を取り出し、ヴィンセントに振りかけた。
「あぁ、よかった……」
クラウディオがそう安堵の声を漏らす一方で、俺には何が起きているのか良くわからなかった。
ナサニエルは、手をかざすと短く呪文のようなものを唱えた。すると、掌にぼんやりと光の粒子が集まりほのかに温かさを感じた。
まるで陽だまりの中にいるような柔らかな心地よい熱。昨夜、マヤと出会った時に感じたような気がする。彼女が言っていた治癒魔法というやつだろうか。
みるみるうちに傷が閉じていっているようだった。信じられない光景に息を飲みながらも、やっと彼が助かったのだと理解してほっと胸を撫で下ろした。
久良岐は警察に取り押さえられ、そのまま現行犯逮捕となった。
数分後、目を覚ましたヴィンセントとクラウディオは抱き合い、心の底から幸せそうに涙を流していた。
その一方で、ヴィンセントを誘拐したエクリプス・オーダーの連中は姿をくらませてしまっていた。エヴァンの行方も未だわからず、俺は一向に気を休めることができなかった。
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