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★エヴァン  眼の前にいるマヤの姿に驚きを隠せなかった。  見覚えの無い埃っぽい部屋の中、微かにカーテンの隙間から西日が漏れ出していた。日が傾いてもなお、肌に纏わりつくような暑さを感じる。手足を椅子に縛り付けられていて身動きが取れない。  まるで彼女に殺されかけた時と同じような光景に、冷や汗が滲んでくる。  マヤはただじっと俺を見つめていた。 「ここはどこだ?」  彼女は何も答えなかった。  どれくらい時間が経ったのだろう。レオの病室で眠りについたのが最後の記憶だった。とすると、マヤは寝ている隙に室内に侵入して俺を拉致したのだろうか。 「答えろ。なぜ俺を連れて来た……レオに何かしたわけじゃないだろうな」  マヤは自分の頬に手を当てて微かに笑みを浮かべた。 「不思議な子だったわね。あなたが気に入るのもわかる気がするわ」 「質問に答えろ。彼に手を出したら」  嫌な想像が次から次へと湧き上がった。身体を揺するが、思っていたよりもきつく縛られ身動きが取れない。  焦る俺をよそに、マヤはおかしそうに声を出して笑った。 「あなたがそんなにも心を乱すなんて、本当に珍しい。昔から他人に関心など寄せなかったのに」 「マヤ……今更あなたと話すことなんて無い」 「やぁね、ほんと。せっかちな男も話を遮られるのも大嫌いよ。安心して、彼には何もしていないわ。むしろ治療してあげたのよ? 感謝したら?」  ため息をつき、マヤの顔から笑みが消える。 「ねぇ、なぜ日本に来たりしたの? ずっと隠れていれば私に見つかることも無かったのに。それほど価値のあるものなの? 例の本は」  今にも殺したいとでも言うような、殺意を孕んだ瞳を逸らさず見つめ返した。 「そうでも無ければ、ここまで大々的に情報を広める意味がわからないと思った。だが、実際のところはわからない」  魔力透視が無ければ読めないとヴィンセントは話していたが、それが真実とも限らない。 「……単に内容に興味を惹かれているだけなら、好きなだけ調べたらいいわ。協力は惜しまない」  マヤは腕を組み、怪しく輝く緑色の瞳を俺に向ける。 「調査は、あなた達を頼らなくともできる」 「あら、それはどうかしら。ここから逃げ出せたらの話になるわよ。100年前のようにじっくりと弱らせて、日の下に磔にするのも素敵だし……再生できないくらい血を流させるのもいいわね」  彼女の好きそうなことだ。  それに日光耐性をつけていない分、肉体的な力や魔力も彼女の方が遥かに勝っているのは事実だ。 「……日本に来たのには、別の目的もあったんだ。マヤ、あなたなら知っているかもしれないが、父上には血を分けた弟がいた。遥か昔に異国に旅立ったあと行方知れずの弟がいると、そう話していた。その彼のことを探してもらっていたんだ、ずっと」  それは今から千年以上前の出来事だったが、ヴァンパイアならば生きている可能性はゼロではない。 「彼が、日本に渡ったという話があった……その真偽を調べる目的もあってここに来た」  もし今もどこかにいるのならば、死を伝えないわけにはいかない。誰よりも家族を大事にしていた父の唯一の血を分けた人物なのだから。  それで、俺の犯した罪が消えるとは思わないが、拭い去れない後悔と苦しみを向ける先を見つけたかった。  マヤはきつく睨みつけ、俺の首元に手を掛けた。容赦ない力で握り込まれて首が締まる。 「なぜなの父上! こんなやつに……私にはそんな話してくれなかったのに!」  そのまま力任せに投げ飛ばされ、椅子に縛り付けられて受け身も取れないまま床に叩きつけられた。 「いつもいつも気に入らなかったのよ! あなたが現れるまで、私が父上の一番だったのに……それでも、それでも私は、あなたのことも平等に愛していたのに! 酷い仕打ちだわ!」  感情的に涙を流しながら、マヤは俺に掌を向けた。魔法の予備動作だと感づき、身体を揺するも思うようには動けない。口元が動き、彼女の掌に魔力が光になって集まる。 「マヤ、落ち着け」 「っ、……邪魔しないでマーク」 「我々の目的を思い出せ。今、すべき事も」  いつの間にか現れたマークと呼ばれた男は、彼女の肩に手を置き、なだめるように言った。彼は真っ黒な外套に身を包み、顔を覆い隠していた。 「やぁ、エヴァン・ホーク公爵。手荒な真似をしてすまないね。そして、感動の再会を邪魔したことにも謝罪しよう」  冷たい響きの声色で彼は言う。 「マーク……エクリプス・オーダーのリーダーか?」  彼の名は何度か耳にしたことがあった。 「お見知り頂き光栄だよ。血の審判を終わらせた英雄エヴァン・ホーク公爵」  マークは側に寄るとしゃがみ込み、横倒しになって身動きの取れない俺を見下ろした。フードの隙間から覗く口元がうっすらと笑みを湛えていた。 「何が目的だ? 俺を捕らえた所で何になる」 「かつて覇権を示していたセリウス派に与し実権を握り、その破滅後も今の政権を担うアレクサンドル派の傘下に下り権力を維持しているあなただ。次に付くべきは、腐敗した彼らよりも我々だときっと理解してくださるだろう」  どう人に見られているかは知っていたから、今更何も思うことは無いが、それにしても酷い言い様だった。 「人間よりも力を持つヴァンパイアがなぜ人間の世の中に従い、人をたてて生きる? なぜこうも堕落した? 全て王の導きによってだ。王でありながら、我々の尊厳を踏みにじる愚かさ故だ」  マークの偏った思想が滲み出る言い回しに、どうしても間違った道に進んで行ってしまった父の背中を思い出さずにはいられなかった。 「我々は王を殺す。彼の世を終わらせる。怠惰で欺瞞に満ちたこの社会に変革をもたらす」 「王がなぜ王か知らないのだろう。だからそんな」 「王がなぜ王なのか? そんなことを知って何の意味がある? それよりも彼の治世の結果を見るべきだ。安寧の皮を被って堕落していく同胞を」 「安寧を得ることの難しさは理解し難いだろうな。力の愚かさを我がものとして見てきた者でなければ」 「力こそが全てだ。議論をするつもりはないんだよ、エヴァン公爵」  マークはゆっくりと手を伸ばすと、俺の前髪をすき頬を撫で、満足そうに微笑んだ。 「僕は、あなたの命が欲しい。協力して頂けないのなら、他の貴族連中と同様に命を奪うまでだ。もちろん、公爵であるあなたの首はきっとこの革命の良き象徴となるだろう」 「愚かだ。力を示したとして、素直に従う者がどれほどいる。数百年生きながらえている連中の多くは個人的な目的の為に生きているだけだ。今更他人の指図や主張に興味を示すものか」 「だから一掃するんだ。古臭い考えに固執してる奴らは全員な」  話を遮るように電話の着信音が鳴り響く。マヤがコートのポケットからスマートフォンを取り出した。 「久良岐からよ」  マークが頷き、マヤが電話に出た。数言交わし、そしてまたマークに視線を送る。 「条件を飲んで、例の古書とエヴァンの身柄を交換したいそうよ」 「そうか」  にやりとマークの口元がにやけるのが見えた。 「さぁ、行こうか? エヴァン公爵。変な動きをしたら、わかってるね」  マヤが紐を解き、椅子から離れ立ち上がった。  マークは大きな外套から拳銃をちらつかせる。 「もちろんこんなピストルじゃ君を殺せないのはわかってる。でもさ、人間なら簡単に死んでしまうだろうね」  嬉々とした声色に嫌な予感がした。 「まさか」 「レオは本当に良い子だね。わざわざ本を持って来てくれるなんて」 「あいつに何かしたら、お前を許さない」 「それは君次第だよ」  俺のことなど、放っておけばいいものを。  毅然と振る舞いながらも、レオが来ていることに、彼をまた巻き込んでしまったことに胸が痛んだ。

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