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7章 幸福と愛惜と 1

 事件から一週間ほどが過ぎた。  ひどい怪我がほんの一晩で良くなったことに、病院の先生や同僚にも不思議がられたが、若さや健康体だからということで一応の納得を得ていた。  とはいえ、本来予定していた新潟での大会への引率は他の人に変わってもらうことになり、代わり映えのしない日常が過ぎていた。  今回の事件で、ヴァンパイアにとって歴史的な価値を持つ古書とその情報を広めたヴィンセントを巡る、エクリプス・オーダーの動きは一旦の収束を見せた。現場で主犯格のマヤが逮捕され、他の構成員も数名が捕まったらしい。とは言え、捜査に協力的な者はほとんどおらず、未だに逃亡中のリーダーであるマークを探して、警察とアリス・アルゲンティスの調査は続いてる。  クラウディオは今回の件でマネージャーで恋人だった久良岐が逮捕され、凄惨なシーンに立ち会ったショックもあり、しばらく休養をとるとのことだった。結果的にヴィンセントとクラウディオの関係は丸く収まったとは言え、彼らの関係に口出ししてしまったことへの後悔は残っていた。それでも、二人とも口を揃えてこれで良かったんだと言ってくれた。  久良岐は、いくら愛していたとは言え、超えてはならない一線を超えてしまったのだと、そう納得するしかなかった。  ヴィンセントは古書の内容を公開し、その本を王政府に託すことを正式にヴァンパイア達に向けて発表したそうだ。彼の本来の目的だった人間とヴァンパイアが対等に暮らせる世界への道へはまだまだ遠いが、少なくともエヴァンやナサニエルなどの重役の数名にその意志は広まったようだった。  クラウディオとヴィンセントは、二人とも傷つきながらも心の内をさらけ出し、寄り添いあい、愛し合っているのが良くわかった。もう二度と離れないと誓えるほど確かな関係の二人が、正直羨ましかった。  エヴァンは、事件に関してアリスや警察との事後処理を終えたら、今回の件の報告と古書の研究も兼ねて、東欧のヴァンパイアの王都スブ・ソーレに戻ることに決めたらしい。姉であるマヤの減刑を嘆願するためでもある。おおよそ数日から数週間後にはエヴァンは俺の家を去ってしまうのだ。  行かないでとは言えなかった。彼の責任や、務めなのだと理解できたから。  出会った頃のように孤独を纏い、殻に閉じこもっているような姿ではなく、目的に向き合う強さを取り戻したエヴァンの姿を応援したい気持ちもあった。  それでも穏やかな日常を過ごしながら、どうしてもそのことばかり考えていた。  別れることの寂しさが胸を締め付けた。  大会にほとんどの学生が出払い、いつもよりも余裕を持って仕事を終えて帰宅した。  6月ももう終わり。本格的な夏の暑さが夕暮れ時にもまだ残っていた。 「ただいま」  出迎えてくれたエヴァンは、どこかに出かけていたのか、涼し気な水色のシャツと紺のスラックスに身を包んでいた。 「おかえりレオ」  迎えられるままにハグをして、ゆっくりと身体を離した。 「また警察に?」 「あぁ、事件の進展は無いが、日本のヴァンパイア・ハンターにも協力を仰ぐことになった」 「日本にもいるんだ?」  エヴァンはふっと意味深に微笑む。 「陰陽師というらしい」 「え! 陰陽師? クロオンじゃん!」 「俺も真っ先にそれを思い浮かべてしまった」 「エヴァンまで」  思わず二人して笑ってしまう。  俺とエヴァンのお気に入りのマンガ「クロノ陰陽師」。タイトル通り陰陽師達の話なのもあり、一種の憧れのようなものがあった。  漫画やアニメの世界のものだと思っていたけれど、現代日本にもいるなんて。 「もう会ったの?」 「いや、これからナサニエルたちが京都に出向いて直接話をするらしい」 「そうなんだ。うまくいくといいね」  エヴァンは頷いて、俺の頬を指先で撫でた。火照った身体にひんやりとした彼の体温が心地良い。  事件の後、前以上に距離が縮まったけれど、お互いにはっきりと言葉にすることはなかった。  もうどれだけの間、一緒にいられるかわからないのだから、仕方ないと自分に言い聞かせていた。エヴァンを困らせたくはないから。 「そうだ、これからさ、俺の実家に一緒に行かない?」  ふと切り出すと、エヴァンは少し驚いた表情をした。 「実は、事件があった後から顔出してってせっつかれてて。晩ごはんどうかって今日も連絡来ててさ。そのエヴァンもどうかなって」 「俺は構わないが、行っていいのか? 家族との時間だろ」 「大丈夫! 俺が入院してた時、父さんと会ったんでしょ。紹介してって頼まれてるんだ」  せめて、出来るだけ残りの時間で思い出を作りたかった。勝手だけど、向こうに行ってからもずっと俺を覚えていて欲しかった。 「平気なら、うん、行こう」 「やった! じゃあ着替えてくるね!」  俺もそう、出来る限りエヴァンと一緒にいたい。先のことを案じるよりも今をエヴァンと楽しみたいんだ。  夕暮れに蝉の声、むわっとした暑ささえもどこか愛おしく思える。

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