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実家は、今住んでいる祖母の家から歩いて20分ほどの距離だ。日が傾き始めた住宅街を二人で歩いた。
どこにでもあるような二階建ての家先にはプランターがいくつか並び、白やピンクの花々が色を添えている。インターホンを押してしばらくすると、中から女性が出てきた。
「春樹 さん、こんばんはー!」
俺を一目見ると、彼女はぱっと顔を綻ばせる。肩にかかるほどのふわりとした茶髪を揺らして駆けて来ると、勢い余って抱きついてきた。
「玲央くんよかった! 心配してたよ~~!」
屈託ない反応に思わず笑みがこぼれる。
とは言え5歳程しか年の変わらない彼女と抱き合うのは気恥ずかしさが勝り、とんとんと肩を撫でて身体を離した。
「ごめんね、すぐ行きたかったんだけど実家に戻ってて」
「ううん、それでお母さん大丈夫だった?」
「うん、腰をやっちゃって。でもお姉ちゃんが面倒見れることになったから、もう大丈夫! ところで」
一通り挨拶を済ませると、彼女の視線が俺の後ろに向かう。
振り返るとエヴァンは面食らったように春樹さんを見つめていた。そりゃ驚くよなぁと苦笑しつつ、彼の腕を引いて近くに引き寄せた。
「彼はエヴァン。俺の……友達なんだ。エヴァン、こちらは春樹さん。一応俺の義理のお母さん、になるね」
「はるき……そうか、この人が」
エヴァンはなにか引っかかるのかぶつぶつと呟き、それから笑顔を浮かべ手を差し出した。二人が握手している様子をほっとしながら見守っていると、開いたままの玄関の奥から父さんが顔を出した。
「おー、玲央待ってたぞ」
「れおー!」
そして父さんの足元からばたばたと走ってくるちびっこが一人。
「まさくん、会いたかったよー!」
玄関に駆け寄ると勢いよく胸に飛び込んでくるまさくん――弟の正樹 をぎゅーっと抱き締めた。
「さ、上がって、エヴァンさんも」
父さんと春樹さんと正樹、俺の家族の中にエヴァンがいるのは、なんだか不思議な光景だった。
家の中に入るとすでに美味しそうな匂いが立ち込めていた。
父さんと春樹さんが夕飯の準備をしている最中、俺とエヴァンは正樹と遊ぶことにした。
リビングにはおもちゃや絵本が並ぶ一角があり、早速正樹がおもちゃ箱を探っていた。ぬいぐるみにカラフルなブロック、なかには俺が買ってきたものもいくつかある。この年になってできた弟は、正直可愛くてしかたない。
エヴァンは近くに座り、俺と正樹がぬいぐるみで人形遊びをしているのを眺めていた。
「おにいちゃん、はい、どーぞ!」
「どうもありがとう」
正樹は、人見知りせずにエヴァンにもおもちゃを渡す。にこりと微笑んでエヴァンも嬉しそうにしていた。
その後も柔和な笑みを浮かべながら、正樹のたどたどしいおしゃべりに付き合うエヴァンの姿に思わず頬が緩んだ。子どもが苦手なタイプだったらと心配していたのも杞憂に終わった。
しばらくして、アニメを見始めた正樹を父さんに預けて、エヴァンと二人で二階の俺の部屋に向かった。
すっかり日が落ちて暗くなり、手探りで部屋の明かりをつけた。
実家を出る前に整理していたのもあり、物はもうあまりない。ベッドや机はそのままで、昔集めていた漫画が本棚に並んでいるのと、クローゼットに服が数着あるくらいだ。
「すごい数のトロフィーだな」
部屋に入ってすぐ、机の横にある棚の前でエヴァンが足を止めた。
そこには、中学や高校の時に陸上の大会でもらったトロフィーやメダル、賞状が並んでいる。母さんがどうせならと綺麗に飾ってくれたものだった。
「こんなに実力があったのに……なぜ陸上をやめたんだ?」
見上げると、少し寂しげな表情のエヴァンにはっとした。自分の中では、陸上をやめたことはもう昔の出来事で、納得出来ていることだが、やはり違和感を覚えるのだろう。
「……ちょうど大学行ってる時にね、ばあちゃんが病気になったんだ」
無機質に輝くメダルを目に留めながら続けた。
「病院に通ったり家のことしたり、手伝えるのが俺だけだったから。だからやめたんだ」
後悔がまったくないとは言い切れない。悔しくなかったわけじゃない。
「同じ頃にね、春樹さんの妊娠がわかって、余計な気苦労をかけたくなかったし、父さんは新聞社で働いていて毎日忙しいからそれどころじゃないし……。一応プロ目指してた。けどやっぱり家族の方が大事でしょ?」
簡単に諦められはしなかった。ばあちゃんも父さんもみんな最後まで続けるように説得してくれた。たくさん悩んで、自分で選んだことだった。
「なぜいつも自分を後回しに、ないがしろにするんだ」
エヴァンはぎゅっと眉根にシワを寄せて、真剣な表情で俺を見下ろした。
「そんなことないよ」
笑ってみせるが、エヴァンは一層不機嫌な顔をするだけだった。
「いつもそうだ。自分のことは置いといて、人のことばかり……」
確かにエヴァンの言う通りなのかもしれない。
人の心配ばかりして、自分の欲や望みを無碍にしている節が無いわけじゃない。
見ないふりをして押し込めているものが出てきそうで堪えているのに、エヴァンが辛そうな表情をするから、俺までうまく笑えなくて、涙が滲みそうになった。
「どこにもいかないで、側にいて……」
思わず、抑え込んでいた願望を口にしてしまった。
エヴァンははっとしたように目を見開く。
「……なんて、わがままでしょ。困らせるだけ」
誤魔化すように微笑むけれど、彼は眉間に皺を寄せて俺を真っ直ぐと見つめた。
「レオ」
優しく名前を呼ばれて、募っていた不安や寂しさが一気に込み上げた。
こんなこと言っちゃいけないと困らせたくないと思っているのに、彼の優しさについ気持ちが溢れ出した。
「いつも思わせぶりなことばっかしてさ。俺こんなに、好きになっちゃったのに……いなくなるなんて」
彼の胸に手をついてぎゅっとシャツを握りしめた。
どこにも行かないで欲しい。ずっと側にいたい。
だけど、エヴァンにはエヴァンのすべきことがあるから。俺のわがままで彼を困らせるべきじゃないと、わかっている。
「何度もお前を危険な目に合わせた。これからだって、その危険性はつきまとう。……怖いんだ。お前を失うのが」
エヴァンに引き寄せられ抱きしめられて、涙がじわっと滲んできた。
彼に抱きつき、泣きそうになるのを堪えながら何度も瞬きするが、どうしようもなくぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「聞いたんだろ? 俺が犯した罪を、父を殺したことを」
顔を伏せながら、こくりと一つ頷く。
「マヤのように、父の信奉者はまだ数多くいる。彼らにとって俺は忌むべき存在だ。政治的な権力を理由に狙われることもある。お前を大事に思うからこそ、距離をとらないといけない。守るためには、お前の側にいてはいけないんだ」
エヴァンは静かな声音で、まるで自分に言い聞かせるように言葉を紡いだ。
「――ずっと昔、人間だった頃に大切な人を失った。ヴァンパイアになり、できた兄弟達を見殺しにし、父をこの手で殺めた。俺は……俺は、もう愛しい人を失う辛さに耐える自信が無い」
力強く抱きしめられ、幾度も彼に守られた瞬間を思い出した。
自分が傷つくのも厭わずに俺を必死で守ろうとしてくれた彼の姿を。
「誰も求めなければ、親しくならなければ、自分の世界に閉じこもっていれば楽だったんだ」
エヴァンは身体を離し、俺を見下ろし頬を撫でた。さみしげに微笑むのが辛くて、涙が次々と溢れた。
「そう思っていたのに、お前が俺の心に入り込んだ。感じたことのない温もりをくれた。レオ、好きなんだ。大切なんだ。……だからこそ、俺に関わることで巻き込みたくない。傷つけたくない。失いたくない。お前を愛してくれる人達から、お前を奪いたくない」
不安そうにしながらも本心を語ってくれたのが心の底から嬉しかった。
エヴァンにとって特別な存在でいられていることが、嬉しかった。
「うん、わかった……」
頷いて、笑って見せる。
エヴァンと出会って、彼に寄り添えたらと思った。大好きで大切な存在にいつの間にかなっていた。
彼が苦しみを吐露してくれたように、俺も少しだけ彼に苦しみを預けてもいいだろうか。
「ひとつだけ、わがまま言ってもいい?」
俺の涙を拭い、エヴァンは微笑んで頷いて見せる。
「エヴァンが帰るまででいいから……恋人でいさせて? もう引き止めないし、邪魔にならないように」
言葉を遮るようにエヴァンに唇を塞がれた。何度も何度も繰り返される優しい口づけに心が満たされていく。
「俺でいいなら、喜んで」
「エヴァンじゃなきゃ嫌だよ」
優しく細められる深い海のような瞳も、節ばった大きな手もこんなにも愛おしい。
彼を離したくなんて無い。
けれど、これでいいのだと、繰り返し自分に言い聞かせた。
例え少しの間でも繋がっていられるなら、それでいいのだと。
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