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 食卓を囲んで夕飯の時間。  カレーに唐揚げと俺の好きなメニューが並んでいた。トマトが彩りを飾るサラダにきんぴらごぼうなど副菜の種類も多く、どれも美味しそうだ。 「なんか久々な感じするな」  父さんが椅子を引いて俺の目の前の席に着き、ぼそりと呟いた。 「そう? この前、幼稚園にまさくん迎えに行って、夕飯食べてから帰ったでしょ」 「パパってば、玲央くんがいないと寂しいって」 「ちょっとママ」  春樹さんにからかわれて照れる父さんに思わず笑みが漏れる。  正樹をハイチェアに座らせて、春樹さんが父さんの横に座り、皆が席についた。 「さ、エヴァンさんも玲央も食べて食べて」 「いただきまーす!」  父さんに促されて手を合わせた。  ずっと食欲をそそる香りを漂わせていたカレーにまず手を付ける。豚肉に人参、玉ねぎと定番の具材に夏らしいナスも入っている。しっかりとスパイスの効いたカレーに食欲を刺激され、白米をかき込む。 「ん~、美味しい」  思わずそう感想を口にすると、春樹さんはぱっと表情を和らげた。 「よかった~。玲央くんいっつも褒めてくれて嬉しい」  笑顔で返し、心待ちにしていた唐揚げに箸を伸ばす。何度か食べたことがあるけれど料理上手な彼女の唐揚げが大好きだった。衣はざくっとしていて肉は柔らかく、味付けが絶妙なんだよなぁ。  横に座るエヴァンにも勧めると、彼も美味しそうに食べていた。  彼女の手料理を食べる度に、きっと春樹さんは父さんの胃袋を掴んだんだろうなと思う。 「エヴァンさん、改めてありがとうございます。すぐ救急車呼んでもらえたおかげで、玲央も何事もなく退院できて」  食事に舌鼓を打っていると、父さんがおもむろに切り出した。 「……この子は、ほんとうに昔から無茶ばかりする子で」 「ほんとうに、そうですね」  父さんの言葉にくすりと笑って、俺に視線を向けるエヴァン。 「エヴァンまで、もう!」  無謀で無茶ばかりしている自覚は無くには無いけれど、まさか父さんだけじゃなくエヴァンにまでからかわれるなんて思いもしなかった。 「でも、俺も彼には助けられてばかりで……。レオの優しさや勇気を尊敬してるんです」  恨めしく見つめる俺に柔らかな笑みを向けてエヴァンが言う。  不意打ちのストレートな褒め言葉につい顔が熱くなった。 「玲央くん耳まで真っ赤」 「ちょっと春樹さん!」 「れお、まっかー!」  春樹さんについで、正樹まで真似してそんなことを言うものだから更に顔が火照った。  終始笑いが溢れて賑やかな時間が流れた。 「おにいちゃん! はい、あーん」  正樹はすっかりエヴァンに懐いていて、自分のカレーをすくって差し出した。エヴァンは少し困ったように微笑み、口に含むと「ん~」と大げさに声をあげて正樹を喜ばせた。  子どもと接する優しいエヴァンにきゅんとしつつ、正樹の実の兄としてはちょっとだけ嫉妬してしまうわけで。 「まさくん、兄ちゃんには?」 「れおにも、はい、あーん!」  きゃっきゃと喜ぶ我が弟の可愛さにくらくらしてしまう。  家族で食事する賑やかさとエヴァンの意外な一面を見られて大満足のひとときだった。  父さんも春樹さんもエヴァンのことを何も言わずに受け入れてくれているのも素直に嬉しかった。もし、エヴァンがずっと日本にいられるなら、またこうして……なんて思ってしまうくらいに。  夕食後、春樹さんと正樹はお風呂に向かい、父さんはベランダに出て仕事の電話に忙しそうにしていた。  食事のお礼に俺とエヴァンとで片付けをした。 「良い家族だな」  食器を拭きながらエヴァンがそう呟く。 「でしょ。エヴァンは楽しめた?」 「あぁ、楽しかった」  心なしかここに来てからエヴァンの笑顔も多い気がして、俺もつい頬が緩んだ。 「正直言うと、お前の居場所が無いんじゃないかと勝手に思っていた」 「居場所?」  ふと手を止めるエヴァンにつられ、俺も洗っていたコップを置き彼を見上げた。 「元はお前の実家なのに、今は……赤の他人の母親と年の離れた弟がいて、父親には別の家族が出来たようなものだろ」  外から見たら複雑な家族関係だよなとは俺も思う。  兄弟ほどの年の差の母親との関係なんて、どうしたらいいのか最初わからなかったのも事実だ。  エヴァンはお皿を置いて俺を見た。 「だけど、お前は父親を責めるでもなく、母親と気まずくなるわけでもなくうまくやってて、なんというかほっとした」 「エヴァン……もしかして心配してくれてたの?」  思いもしない反応にじわじわと胸が暖かくなる。  エヴァンがこんなにも俺のことを思ってくれていたなんて。 「まぁな。……お前はすごいよ、レオ。許して受け入れることは簡単に出来ることじゃない」  真っ直ぐな言葉に頬が熱くなった。  口数の少ない彼の、飾り気のない褒め言葉にうまい文句も見つからず、泡だらけのコップをすすいでいった。 「俺は、……俺は、別に何も」 「レオ」  名前を呼ばれて伏せた顔を上げると、唇を奪われた。  触れるだけの不意打ちのキスに驚いていると、優しげな瞳に見つめられて心臓が跳ねた。 「お前のそういうところがもどかしくもあるが……好きだよ」  そう囁くように言って、また何事もなかったかのようにエヴァンはお皿を拭き始めた。  こうして、彼の近くにいればいるほど彼に惹かれていく。  今、この時間をこの瞬間を、しっかりと噛み締めていたい。  彼の中に残るものが寂しさだけじゃないようにしたい。  そんな思いが余計に強くなった。 「こら、正樹!」  お風呂上がりで裸のまま走ってくる正樹の笑い声と春樹さんの声が響く。電話を終えた父さんが丁度リビングに戻ってきて、濡れるのも構わず正樹を抱きしめるのが見えた。  エヴァンの言うように疎外感を感じる瞬間も時々はなくもないけれど、それ以上にこうして幸せそうに笑ってる父さんを見られるのが嬉しかった。  微笑ましく思っていると、正樹が今度はキッチンの俺とエヴァンの方に走ってくる。 「こら風邪ひくぞ」  すかさず抱き上げて微笑むエヴァン。  父さんがバスタオルを持ってきて、正樹を包み込み身体を拭いた。 「もう遅いし、泊まっていったらどうだ?」  そうして何気なく父さんが言った。  確かにもう夜も深まりいい時間だった。 「今日はやめとく」  ちらりとエヴァンを見る。  家族との時間も大切だけれど、俺にはもっと今一緒にいたい人がいるから。 「帰ろっか、エヴァン」  俺のことをよく見てくれていて、優しく受け止めてくれる彼といると貪欲になってしまう。  もう一つだけ、わがままを言ってもいいだろうか。

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