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 どうにも離れがたくて、二人でシャワーを済ませた。 「エヴァンって思ったよりもえっちだよね」なんて軽口を叩いてみると、やけに余裕ぶった笑顔で「俺も男だからな」と返された。  シャワーから出て髪をタオルで拭きながら、なんとなく洗面台の鏡に映った身体が目に入った。  首に胸に点々と赤い痕が残っている。  見てわからない程、鈍くは無い。こんなにもキスマークをつけられていたなんて。  鏡の前で赤くなる俺を後ろから抱き寄せて、エヴァンが首筋にキスを落とした。 「どうかしたか?」  なんて言って、寄り添われて、その仕草に胸を締め付けられつつも、気が気でなかった。 「どうって、こんな目立つところに、もうっ」  服で隠しようもないような位置に点々とついた赤い痕。  エヴァンはくすりと微笑んで、鏡越しに焦る俺を見ていた。 「どうしよう、明日仕事なのに……職場の人だけならまだしろ、学生に見られたら」 「見せつけたら良い。いつも隙だらけだから、これくらいしないとな?」  ひやひやしている俺をよそにエヴァンは満足そうに微笑んで、頬にキスをしてきた。  こんなふうに直球に愛情表現をされるのは嬉しくないわけがないけれど、それはそれこれはこれというやつだ。 「まだ、足りないくらいだ」  なんて悪びれることなく首にまた唇を寄せるエヴァンからどうにか離れて、洗面台に後ろ手をついた。 「だ、だめだってば、もう。せめて見えないところに」 「見えるとこじゃないと、意味ないだろ?」  迫ってくるエヴァンに手をつくと、その手を取られて指先にキスをされた。  ちゅっちゅと唇が離れては触れて、手首に甘く吸い付かれる。じんと痺れるような感覚に、心臓が高鳴った。  もともとスキンシップが多くて翻弄されていたけれど、恋人になってからの躊躇いのない触れ合いは心臓がいくつあっても足りないくらいだ。    梅雨入りしてからは珍しくすっきりとした快晴だった。  残り物で軽く朝食を済ませたあと、エヴァンが紅茶を淹れてくれた。警察署に行ったりと用事で出歩いている最中に茶葉を買っていたらしい。  ばあちゃんが使っていたガラスのポットとティーカップを棚から取り出して、ヴィンセントからもらって残っていた焼き菓子もいくつか出し、準備をした。 「前に話していたことあっただろ、お茶しようって」 「うん! お父さんとの思い出、なんだよね?」 「あぁ。無知で教養の全く無かった俺に、父が多くのことを教えてくれた。その中のひとつなんだ」  沸いたお湯を茶葉の入ったティーポッドに注ぎ、紅茶の香りがふわりと広がった。  穏やかな表情をしつつも、どこかさみしげなエヴァンの手をそっと握った。 「不思議なものだな、香りひとつで、やけに鮮明に記憶が蘇る」 「エヴァン……」  握り返す彼の手を両手で包みこんだ。 「よく家族で集まったんだ、お茶をしながら。兄弟で話をして、それを父は黙って聞いていた。ヴァンパイアになる以前、俺には家族というものは無いようなものだったから、それが俺にとっての初めての家族の温かみだったんだ」  ガラスのティーポットの中でじんわりと紅茶の赤い色がお湯を染めていった。 「父と二人の時は決まって俺が淹れていた」  そこまで話して、一つ息を吐きエヴァンは言葉を詰まらせた。  心配になって彼を覗き込んだ。 「辛かったら無理しないで……?」  エヴァンは柔らかく微笑んで俺の手をぎゅっと握り返した。 「大丈夫。俺がしたいと思ったことだから。俺がお前にしてやれることは、これくらいだから……」 「ありがとう、エヴァン」  彼の大事な思い出の側に置いてもらえることが心から嬉しかった。  数分蒸らした紅茶をティーカップに注いで、エヴァンが俺に差し出した。  そっとカップを口元に運ぶと優しい香りが鼻腔を通り過ぎ、一口含むと渋みの少ないすっきりとした味わいが広がった。 「美味しい!」 「よかった」  ほっとしたようなエヴァンも紅茶を一口飲み、満足そうに微笑んだ。 「そうだ、紅茶の淹れ方、俺にも教えて?」  エヴァンの大切な人との思い出を俺も大切にしたいから。  辛かったことだけでなく、幸せだったことも含めて全てを。  彼との別れを前にして、そんな気持ちが湧き上がる。  紅茶の淹れ方を教えてもらい、お互いのことを話しながらのんびりとお茶を楽しんだ。  一緒にいる時間は、いつもより早く過ぎていくようだった。 「ねぇ、映画見に行かない? クロオンの映画見ようって約束してたでしょ」 「もちろん、いこう」 「やった! デートだね」  一分一秒が惜しい。  休日は、あっという間に過ぎていった。

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