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「少し寄ってもいい?」  数日後の昼下がり。絢子との打ち合わせのために家の近所のカフェにやってきていた。その帰り、カフェの窓から花屋がふと目に入り、立ち寄る事にした。  店先に並ぶ色とりどりの花々を眺めながら、頭に浮かぶのはやはり彼のことだった。  ヴィンセントは、なにかにつけて花を贈ってくれる。記念日にデート、それだけじゃなく何気ない日にも。  思い返せば貰うことはあっても私から渡すことはあまりなかった。  彩り豊かな花に囲まれながら、なんとなく私も真似して贈ってみようかと思い立ち、絢子と二人、店内に足を運んだ。 「贈り物ですか?」  絢子に問われて、素直に頷いた。 「学生の頃、花屋でバイトしてたんですよ、私」 「へぇ、そうなの?」 「花には花言葉ってのがあるんです。それが面白くてつい調べてしまって、今でも結構覚えていて」  そういえば、そんなものもあると聞いたことがある。宝石や何気ないモチーフにも意味があるように花にもそれぞれ込められた思いがあるのだ。 「バラは愛、かすみ草は感謝……あ、これなんてロマンチックで」  綾子が指差したのは、淡い黄色が目を引く小さな花だった。 「カレープラントっていうんですけど花言葉は『不滅の愛』」 「不滅の愛……」 「乾燥してもきれいなままで色褪せない花なんですよ? 素敵ですよね」  ヴィンセントとは、言葉にして態度に表して何度も想いを確かめあった。  不安になる必要なんて無いくらいに彼は、私のことを見ていてくれる。  それは間違いない事実なのだが、幸福の中に拭い去れない過去の傷がある。  そうならないようにと思いつつも、すれ違いやそんな漠然とした不安がある。  言葉でも行動でも足りず、物にも縋りたくなってしまう。  一度離れたからこそ、別れを知っているからこそ、今が長く続くようにと願ってしまう。 「懐かしいな……ドライフラワーを贈ったことあるんですよ、元彼に。彼はそんな意味があることなんて、気付いてもなかっただろうけど」 「だけど、それでも、そういう思いを込めて贈り物をするのは素敵なことだと思うよ。私もいつも贈ってもらうのに、その意味なんて深く考えたことなかったな」  きっとヴィンセントのことだから、なにかしら意味を込めていてもおかしくない。  受け止めきれてない愛があるのかもしれない。 「こんなプライベートなこと聞くの不躾ですけど、やっぱり恋人でもできたんですか?」  絢子が肩を寄せて声を潜めて聞いてきた。 「……うん、実はそうなんだ」  最近別れたばかりの彼女に話すのはどうかと思ったが、思いの外、気にする素振りも見せずに絢子は微笑んだ。 「やっぱり! じゃあ、とびきりいいお花贈りましょう」  絢子や店員に相談に乗ってもらいながら、カレープラントをメインにかすみ草や白いマーガレットを添えて花束を用意した。  目にも鮮やかできれいな花束に満足して手に抱え、店を出ようとしたとき、ふと店内に入ってくる見知った姿が見えた。 「おや、奇遇だね」  淡い緑色のシャツを身にまとったヴィンセントが私を見て微笑んだ。爽やかで落ち着いた風合いが見立て通りよく似合っている。 「わ、かっこいい……」  隣に立つ綾子が、ヴィンセントの姿をひと目見て息を飲む。  そんな綾子に余裕たっぷりに微笑みを向けるヴィンセント。 「はじめまして。間違ってたらすいませんが、もしかして絢子さん?」 「は、はい! でも、なんで私の名前を」  ヴィンセントに名前を呼ばれ絢子は珍しくあからさまに動揺して視線を彷徨わせる。 「彼から話を聞いていて」 「あ、クロードさんのお知り合いだったんですね! はじめまして須藤絢子です」 「ヴィンセントです。よろしく絢子さん」  彼が手を差し出し、絢子がその手を握る。  見るからに色男に微笑まれて頬を緩ませる絢子と、そんな彼女を惜しみなく魅了するヴィンセント。  恋人の前だというのにと、咳払いをして見せた。  ヴィンセントはふっと微笑んで私に視線を向けた。 「きれいな花束だね」 「ふふ、きれいでしょ」  私の手元の花束に手を添え、じっくりと眺める彼に期待で胸が高鳴った。 「贈り物?」 「あぁ。もちろん、あなたにね」 「えっ」  絢子が驚いたように声を出し、慌てて口元を抑えた。  その姿に微笑みながらヴィンセントに花束を差し出した。 「ありがとう……イモーテル素敵だね」  イモーテル……それが花の名前を指すのだと聞いてすぐわかった。  フランス語で「永遠」を意味する言葉だ。 「頼んでた花瓶が届いたから、花を買いに来たんだけど必要なかったね」  愛おしそうに花束を見つめ香りを嗅ぎ、ヴィンセントは私を見つめた。 「お仕事はもう終わり?」 「あぁ、ちょうど帰るとこだったんだ」 「じゃあ一緒に帰ろうか」  差し出された手を握ると、ヴィンセントは心底幸せそうに微笑んだ。 「帰ろう。じゃあお疲れ様、絢子さん」 「はい、お疲れ様です」  三人で店を出て、絢子と店の前で別れた。  外に出ると今日も夏らしい日差しが眩しく降り注いでいた。  ヴィンセントと手を繋いでゆっくりと家に向かって歩いた。  どうかこの何気ない日々ができるだけ長く続きますように。こうして彼の隣を歩けますように。  死が二人を分かつまで、離れていた時間よりもずっと長く、長く……一緒にいられますように――。  そんな願いを込めて、こう締めくくろう。 ――そして二人は末永く幸せに暮らしましたとさ。めでたしめでたし。 

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