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サウンド・オブ・サイレンス 5

 実流のアパートへ辿り着くまで、雨は降らなかった。  実流の部屋の扉を叩く。扉から顔を出した実流は眠たげに目を擦っていた。 「ごめん、ボーッとしてて」  実流は大きめの白いTシャツとジーンズを身につけていた。百八十センチの自分より身長が十センチ低い。白い鎖骨から目を逸らす。自分にとっては目の毒だった。  実流が真理を居間へ案内する。築四十年の四畳半二間のアパートには、実流のほかに誰も住んでいない。実流は「自由にギターが弾ける」といってこのアパートから動かなかった。部屋のベージュの土壁も、壁際に立てられたギターケースも、何もかもが学生時代のままだった。 「何で急に東京へ来たんだ?」  キッチンでコーヒーを淹れた実流が、コーヒーカップをふたつテーブルに置いた。 (暗闇で実流が膝を抱えていると思ったから)  すさまじく気障な答えだと口元を歪ませる。 「雨が……」 「雨が?」  雨が冷たかったから。それも奇妙な答えだと自分でも思う。 「ひとりで放っておくと、お前は鎌田にお祝いの歌でも作りそうだからな」  実流は目を見開いて、ふっと息を吐くとあいまいに笑った。 「吉城に話したら、何だか安心して……寝てた」  磨りガラスからほのかに射す光に実流の顔が照らされる。実流は細面の柔和な顔立ちをしていた。色が白いせいか、おぼろげな頬の赤みが果実の肌のように見える。  ほんとうは、ひとりで泣いていたのではないだろうか。真理は不穏な胸のざわつきを抑えながら、そう思った。 「鎌田の結婚式、来るか?」  コーヒーを啜りながら実流が聞いた。 「お前は行くなよ」 「僕が出ないわけにはいかないだろう」  コーヒーの湯気の向こうで、実流が苦笑する。またこの感覚だ。言葉が暗闇の井戸へ落ちる感覚。 (これ以上鎌田を想わないほうがいい)  何度実流へ繰り返しても、実流は真理の言うことを聞かなかった。しかし、今日は違う。今日こそは実流を鎌田から奪い取る。 「鎌田とはもう会うな」  実流が目を細めて口元を引き結ぶ。  屋根を叩きつけるドラムロールのような雨音に、神経が苛立つ。陰鬱な部屋の空気をごまかすために、コーヒーを飲み干す。 「お前はいつまでも鎌田の前では「いい奴」でいたいんだろう」  言葉の刃を実流へ向ける。 「でもお前はそうじゃなかった。鎌田のことが好きだった。いいかげん、諦めろ」 「……想うだけでも駄目なのか?」  実流が首をすくめて拳を握る。 「鎌田が僕のほうを向いてくれるなんて、最初から思っていない。それでも鎌田のいちばん近くにいたかった。それだけでも、願うだけでも駄目なのか?」 「お前は一生ひとりでいるつもりか? 誰よりもひとりが怖いくせに。静寂が怖いって、前に言ってたよな。お前は一生そうやって暗闇のなかで生きるのか?」 「だって僕は男だから!」  実流の目から涙が落ちる。 「好きになってはいけない人を好きになったから。結婚もできないし、子供も産めない。僕は鎌田を幸せにできない。だから」 「男だから、何だ」  実流の肩を掴む。実流が顎を引いて真理を睨みつける。 「男だから幸せになれないってことはないだろう。お前に鎌田へ告白する勇気がなかっただけだ」  ぎらついた目が光を失う。虚空を見つめる実流の喉がヒクリとふるえる。  声を殺して、実流が泣き始めた。小刻みに揺れる身体を抱きしめる。耳障りな雨音と実流の息づかいが部屋に落ちる。真理は実流を抱く腕に力を込めた。実流の身体に潜む暗闇を、苦しみを、悲しみを、実流のはらわたを掴んで引きずり出す。

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