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マイ・アイディアル 4

 『Hello, Little Kiss』を動画サイトのNewTubeに投稿すると、コメント欄は実流の変化を問う声が多く書き込まれた。「メジャー路線に行くんですか?」というコメントもあったし、「恋人ができたんですか?」というコメントもあった。  真理は三週間後に東京へ戻るといって大阪に帰っていった。三週間後はお盆休みだ。真理の顔を見られるのはスマートフォンのなかだけという日々が続くが、会える日を楽しみに待とうと実流は思う。  実流はNewTubeに上げる新曲を考えようとノートを開いた。恋愛の歌を作りたい。わたあめのようにはかなく溶ける恋や、失われた生涯一度の恋の思い出。言葉を蒐集するようにメモを書いていく。  初めて真理に抱かれた日は、展翅板の上の蝶のような気分だった。ピンで身体を縫い止められて、真理の手に心を委ねる。真理は優しかったからよかったけれども、女の子はずいぶん怖い思いをしているのだと実感した。  それと同時に、好きな人と重なる幸福感に胸がワクワクした。快楽よりも、あの多幸感を味わうために実流は真理と身体を重ねているような気がする。  「あなたのほかに何もいらない」と歌う人の気持ちがわかるような気がする。  一週間後の夜、スマートフォンの通話ソフトで画面越しに顔を合わせた真理は、すこし疲れたような影を落としていた。 「何かあった?」  イヤホンのマイクで声をかける。真理は目元を和らげて苦笑すると、髪を手で掻き混ぜた。 「仕事で飛ばしすぎた」  真理が身じろぎをして背筋を伸ばす。 「頭が痛くてあまり眠れなかったんだ。でも、実流の顔を見たら、ちょっと安心した」 「今は大丈夫?」 「実流の声を聞いたから、平気」  真理の声に張りがない。実流は直接真理に会って確認したいと思う。 「タブレットで実流の歌を流して寝たよ」  恋人が眠れる歌を作っておけばよかったと後悔する。真理が画面越しに眩しげに笑う。 「でもやっぱり動画より本物がいいな。前行ったとき、もっとキスをしておくんだったと思ったよ」 「小さいキスを?」 「小さいキスも、大きいキスも」  もう遅いから寝ようといって真理は通話を切った。真夜中の自分の部屋に取り残されて、周囲の温度が下がったような気分になる。  ふと、真理が眠るための音楽を作ろうと思いついた。が、自分の手持ちの歌ではしっくりこない。  実流はスマートフォンでNewTubeを開いて、眠れそうな歌を探した。自律神経に効く水の音、緩やかなピアノ曲、童謡の子守歌。画面をスワイプしながら、自分の心になかなか響かないと感じる。  実流はチェット・ベイカーの歌を思い出した。『マイ・アイディアル』。自分の理想の恋人を夢見る、スローテンポのかわいらしい歌だ。  あの曲なら以前歌ったことがある。  実流は歌詞をスマートフォンで検索すると、アコースティックギターを取り出して調弦を始めた。  スマートフォンのカメラで動画を撮影すると、実流はNewTubeに動画をアップしてベッドに入った。アルバイトの時間が迫っていたが、眠れるだけ眠ろうと実流は目を閉じた。  着信音が鳴ったとき、実流はそれが真理からの反応だと思った。が、メッセージは兄の繁流(しげる)のものだった。  「話があるんだけど、なるべく早く会えない?」。久しぶりに来たのに、そっけないメールだとおかしくなる。  「仕事が終わったあとで兄貴のマンションへ行く」とメッセージを送った。「了解」という猫のスタンプが送られてくる。  起きる時間までもうすこしだ。実流はスマートフォンを枕元に置くと、布団のなかに身体を沈めた。

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