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第8話

「……あら」 事務机にいた保険医が此方を振り返り、廊下に突っ立っていた僕に微笑みかける。 「どうしたの? 具合でも悪い?」 「……」 何も答えずにいれば、くるんと椅子を回転させて立ち上がり、白衣の裾を翻しながら此方に近付いてくる。 セミロングの黒髪をハーフアップにし、楕円形のチャコールグレーの髪留めをしたその保険医は、幼さの残る顔立ちをしている事もあり、人懐っこい印象を受けた。 「……ちょっと、貧血気味で」 そう答える僕の顔を覗き込むと、本当に顔色が悪かったんだろう。別段疑う事も無く、僕を中へと引き入れる。 「大丈夫? 少しベッドで休む?」 「……はい」 壁際の奥にある、ふたつ並んだ医療用ベッド。窓側の方は先客がいるんだろう。クリーム色の間仕切りカーテンが、きっちりと閉まっていた。 オープンになっている手前のベッドに促され、腰を掛けると保険医がカーテンを引く。 「君、最近転校してきた、二年の工藤さくらくん……よね?」 「……はい」 「わぁ、やっぱり……! お兄さんによく似てるわねぇ!」 カーテンを閉め切らず、その隙間から顔を覗かせた保険医が、満面の笑みを浮かべて燥ぐ。頬を赤く染め、恋する乙女のような声まで出して。 「……」 ……ああ、この人もか。 こんな事だったら、教室にいれば良かったな。 胸の中に冷たいものを感じながら、上靴を脱いでベッドに入る。 仮病とはいえ、具合の悪い生徒の前で、あからさまに嬉しそうな顔をするなんて…… 「それじゃあ、担任の先生に伝えておくわね」 「……」 「それと、お兄さんにも」 シャッ。 勢いよく閉められる仕切りカーテン。その直前、細めていた保険医の眼の奥に、意味深な色が浮かんでいた。 「……」 ……そっか……そういう事か。 随分な歓迎ぶりに、違和感を覚えていたけど…… 成る程。確か転入手続きの際、一部の先生に携帯番号を教えたと言っていた。 この女は、最初から僕を心配してた訳じゃない。僕をダシにして、アゲハ()と繋りたかっただけ。 そう思ったら、何もかもが気色悪い。 「……兄には、黙っていて下さい」 カーテンに向かって小さく吐くと、裾の下から覗く保険医の足が止まる。 「また転校する事になったら、嫌なんで──」 更に追撃すれば、制止した足先がゆっくりと此方へ向けられる。 「………そう。じゃあ……担任の先生にだけ、伝えておくわね」 「……」 それまでの浮ついた声が消え、事務的で落ち着いたものへと変わる。 その切り替えの早さに驚愕しながらも、細くて長い溜め息をつく。

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