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第29話
視界が狭まるかの如く、黒い砂嵐が端の方からじりじりと現れ、徐々に辺りが暗くなっていく。
暗闇に包まれるアゲハの背後。その肩口から姿を現す──刃渡り10センチのバタフライ・ナイフ。
「──!」
ビクンと跳ね上がる肩。
止まる息。
鋭く冷たい金属の刃先が、僕の心臓に直接当てられたかのよう。
目が、離せない。
怖くて……酷く震えてしまうのに、身体が動けない。
「ごめん……嫌なことを思い出させて」
アゲハの手が、喉元にあるバタフライ・ナイフに伸ばされる。
重なる幻影。
その指先が手術跡の傷を覆い隠した刹那、薄闇に包まれていた部屋がパッと元の明るさに戻る。
「……」
夢でも……みていたんだろうか。
チラチラと視界の端に残る黒い砂嵐。眼の奥を鈍く圧されたかのような痛み。
止まっていた息を細く吐けば、痺れて感覚を失っていた指先が、ピクンと小さく跳ね上がる。
「──でも、これだけは覚えておいて欲しい」
背けていた顔を遠慮がちに向けたアゲハが、憂いを含みながらも優しげな表情を浮かべながら僕を見つめる。
「俺にとってこれは、名誉の負傷なんだよ」
静かに。でもはっきりとそう言い切りながら、首元の手術跡からそっと指を外す。
「ずっと抗えなかった若葉に抗い……命を掛けてまで守りたいと思っていたさくらを、守る
事ができた傷 だから」
少しだけ盛り上がり、色素の抜けた跡。
痛々しい傷跡。
「……」
……なんで……
なんで、そんな風に思えるの……?
喉奥がキュッと締まり、胸が締め付けられる。
だって僕は、アゲハに酷い感情を抱いていたんたよ。
傷ついた顔が見たいからって、あんな光景まで見せ付けて……
「だからね、さくら。
この傷を負い目に感じて欲しくないんだよ」
「……」
穏やかで澄んだ声。
痛い程に優しさを含んだ視線。
真っ直ぐ向けられるその眼差しに耐えられそうもなく、瞬きをしながら僅かに目を伏せる。
「……!」
不意に、伸ばされる手。
驚いて視線を上げれば、僕の横髪にその指先が差し込まれ、そっと梳きながら耳に掛けられる。
「……」
間近で合う視線。
逸らさずに見つめていれば、やっとお兄ちゃんを見てくれたとでも思ったんだろうか。
アゲハの口角が少しだけ持ち上がり、長い睫毛を下ろして僕に優しく微笑む。
「……さくらと、再会できて……良かった」
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