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第42話

……さくら…… さくら…… ……大丈夫だよ…… 夢の中で聞いた声が、耳奥で響く。 その刹那、胸の奥がキュッと締め付けられ、無防備な心を切なく震わせる。 カチ、カチ、カチ、カチ…… 大きく揺れる、壁掛け時計の振り子。それに連動し、微かに聞こえる秒針の音。 ……おにい、ちゃん…… 視界の端からじわじわと掛かる、黒い靄。何かで口元を塞がれたかように、息苦しくなる。 速くなる鼓動。その脈動が手足の末端にまで伝わり、びりびりと痺れ、不安と恐怖の入り混じった感情が僕を襲う。 おにいちゃん、苦しい…… ……苦しい……よ…… ひんやりとした膜のようなものが背後から纏い、剥き出しの皮膚表面を覆いつくすと容赦なく心を蝕んでいく。 や、……だめ…… ──って、こないで…… 痺れた指先がピクンと跳ね、持っていたおにぎりがテーブルに転がり落ちる。 その瞬間──それまで感じていた息苦しさや背面を覆う冷たい感覚が、煙の如くふっと消える。 「……」 ……なに、今の…… 自分が……自分じゃない、みたい……だった…… 顔を伏せ、自身を抱き、涙で滲む視界を瞼で遮る。 乱れる呼吸。 上下に大きく揺れる肩。 息の仕方を忘れてしまったかのように、苦しい。 怖い── ……怖い、怖い、怖い、怖い、 やっとの事で呼吸が整ってきた頃──例えようのない恐怖が、僕の下腹部の奥から突き上がっていた事に気付く。 「………おにい、ちゃん」 頭の中が──精神が、グチャグチャに引っ掻き回される。脳幹に鈍い痛みがする度、車酔いをしたかのような目眩と吐き気を催す。 記憶にない筈なのに。まるで過去に経験でもしたかのような、嫌な感覚。 全身が……大きく震えて止まらない。 「……助け、て……」 唇を小さく動かし、心情を吐き出す。 胸の前で腕を交差させ、二の腕を掴む指に何とか力を入れる。 『……覚えて、たんだ……』──瞼の裏に映る、複雑そうなアゲハの表情。 きっと何か、知ってる。 知ってて何かを隠してる。 でも── 知りたい気持ちが芽生えるものの、それを上回る程の恐怖が襲い、一寸先の見えない暗闇の中に飛び込む勇気は、持てそうになくて。 「……」 ぶるぶると震える身体。 背中を丸めたまま片手を離し、涙で濡れた頬を拭うことしかできなかった。

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