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第58話

どうして…… ただ医者だというだけで、よく知りもしない人に心の内を探られなくちゃいけないんだろう。 打ち明けなくちゃいけないんだろう。 話したくなんてないのに。 それでも……ここにいる以上、話さなくちゃいけないんだろうな。怪我をした人が、医者に傷口を見せるのと同じように。 『そのお兄さんだけど。……性的な意味で、襲われた事があるそうだね。 一緒に住んでいて、何か要求されたり嫌な事はされてないかな?』 『……』 『例えば、必要以上に身体を触られる、とか』 『……え……』 思ってもみなかった方向に話が転がっていったかと思えば、心無い台詞が吐かれ、思わず声が漏れる。 それを言い当てられたと勘違いしたんだろう。先生の口元が緩み、オタマジャクシのような目が僅かに開かれる。 『よければ、先生に話してごらん?』 「……なんだ、それ……」 アゲハの声が、僅かに動いた口から溢れ落ちる。 軽蔑した眼──眉間にしわを寄せ、嫌悪感に満ちたその表情は、あの時の僕と何ひとつ変わらないように見えた。 「それで、さくらはどうしたの?」 「……」 あの時の事を思い出すだけで、心が張り裂けそうになるのに。声にしたら、もっと苦しくて。 瞬きをする間もなく、目の縁に溜まった涙の雫が、下睫毛を濡らしただけで零れ落ちていく。 「誤解を解きたくて。 嫌だったけど──あの日、何が遭ったのか……話した」 時計のない部屋。 窓の外から降り注ぐ陽光の傾きだけが、ぼんやりとした時間を刻む。 『そんな事……されてません』 静かに否定しながら、川村に絡められた視線を外す。 嫌悪感に苛まれ、気持ち悪さが勝って次の言葉が中々出てこない。 『本当の事を、教えてくれないかな?』 『……』 こんな奴に何を言っても無駄──そう思うのに、話さなくちゃいけない空気に、簡単に飲まれてしまう。 ぽつり、ぽつり……と。生い立ちからあの日の出来事までを簡潔に話す。 僕とアゲハは、父親の違う兄弟である事。 僕の父が、アゲハを支配していた事。 その父の恐喝により、……目の前で、性行為をしなければならなかった事。 もし拒絶すれば、殺されていたかもしれない── アゲハの血飛沫を浴び、恐怖に駆られ、足が縺れながらも必死で逃げた記憶が、否応なく引き出される。 胸の内に秘めた出来事を曝す、恥辱行為。 その度に起こる、フラッシュバック。 話す度に酸欠状態になり、脳内が痺れ、視界が端から暗くなっていく。 苦しいのに。目の前のカウンセラーは相変わらず笑顔の仮面を貼り付けたまま、僕の話を聞いていて。細くて黒い無機質な眼だけが、じっと僕を見据えていた。 『身体を許して、お兄さんと最後までシちゃったんだね』 ねっとりと、舌なめずりをするような声色。 川村の表情が歪み、水を得た魚のように瞳が生き生きと光る。 『それで? 君は、どう感じたの?』 『……え……』 『気持ち、良かった?』

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