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第59話

「……話さなければ、良かった」 理解できなかった。 どうしてあんな台詞が出てくるのか。 カウンセラーの癖に。同じ人間の癖に。 どうして患者の心を平気で踏み躙れるのか。ズタズタに切り裂くような、酷い言動ができるのか。 あんな対応をされて、喜ぶ人なんているのか。 病院で見た、女性患者に囲まれる川村──その光景が脳裏に蘇り、僕だけがオカシイんじゃないかと錯覚する。 あの人達は、少なくとも川村を慕っている。カウンセリングを受けたいと願っている。 拒絶してるのは、僕だけ── 「……受けなくていい」 静かに。だけどハッキリと、アゲハが言い放つ。 「もう受けなくていいよ、そんなカウンセリング」 カタ、 席を立ったアゲハが僕に近付く。 瞬きも忘れて視線を上げれば、目の縁に溜まっていた涙が一筋、頬を伝う。 「……ごめん」 僕の傍らに立ったアゲハに、そっと抱き締められる。 ふわりと香る、爽やかな匂い。 ……アゲハの匂い。 「そんな辛い目にあっていたのに……気付いてあげられなくて」 苦しげに吐き出される、穏やかな声。 優しい温もり。 その刹那──胸の奥が、切なく締め付けられる。 「……」 違うよ。 僕が……もっと上手く立ち回れれば良かったんだ。 そしたら、何の問題もなく……アゲハと一緒にカウンセリングを── 「さくら」 僅かに折り曲げたアゲハの指の背が、僕の頬にある涙の跡をそっと拭う。 「これからは、お兄ちゃんが話を聞くから」 「……」 「頼りないかもしれないけど……辛いことがあったら、何でも話して欲しい」 間近で僕を見つめる、アゲハの優しい瞳。 「……ん」 幼い頃から、アゲハが僕の居場所だった。 僕を否定したりせず、辛い現実から守ってくれてた。 ……どうして、アゲハの傍から離れちゃったんだろう。 こんなに優しくしてくれていたのに。 アゲハを見つめながら背中に手を回すと、涙を拭った手が僕の頬を包む。そしてもう一度、親指の腹で僕の下瞼を拭うと、息が掛かる程にアゲハの潤んだ瞳が近付く。 「約束、だよ……」 そう囁いたアゲハの唇が、僕の唇にそっと重ねられた。

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