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第60話 不穏

××× 少しだけかさついた唇を、指先でそっと触れる。 ──あのキスは、何だったんだろう。 あれ以来、アゲハは何事もなかったように振る舞っているけど。ふとした瞬間、答えのない沼に嵌まっていく感覚に陥る。 ……考えすぎ、なのかな。 特に意味なんてなくて、ただ僕を安心させようとしただけ。ハグの一種みたいなものだったのかも。 釈然としないまま、何となく出した答えで納得させる。 もう、何度目だろう。こんな事で悩みたくないのに。きっとまた思い出して、同じように悩んで。ぐるぐると同じ事を何度も繰り返すんだろうな。 「……」 先程から聞こえる、校庭からの騒がしい声。思考が遮られると共に、ピィーと笛の音が鳴り響く。 何が、あったんだろう…… いつもとは違う騒ぎに意識が移り、保健室の温いベッドの中で外の様子を想像する。 先日の通院で、僕は激しい運動を禁止された。 その診断書が受理され、見学届けを毎回出さなくてもよくなった。 でも、やっぱり外は寒いし。あんな事があって、顔を合わせたくないから──今まで通り、見学せずに保健室に引き籠もっている。 カラカラカラ…… 外へと繋がる引き戸が遠慮がちに開き、冷えた空気が流れ込む。 微かな息遣い。布擦れの音。 ──だれ……? 強張る身体。高鳴る心臓。 掛け布団の端を掴み、顔半分が隠れる程に引き上げる。 息を潜めじっとしていれば、ひたひたと足音が近付く。 「……あれ、先生いないの?」 静かな室内に響いたのは──清井の声。 その瞬間、無意識に止まっていた息を吐き出す。 何かを探してるのだろう。棚を開く音や、引き出しを開ける音がする。 「きよ、い……?」 まだ心臓が落ち着かないまま、仕切りカーテンの向こうに見える人影に話し掛ける。 「えっ、工藤?」 「……うん」 怖ず怖ずと答えると、仕切りカーテンがシャッと開かれる。 「よかった。 絆創膏と消毒液、何処にあるか知らない?」 僕を見下ろす柔やかな瞳。 カーテンを握り締めた方とは反対の腕には擦り傷があり、血が滲んでいた。

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