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奏鳴曲 6 side凪

都会の真ん中にある、小さな診療所。 一度建て直したらしいけど、どこか古めかしさを感じる診療所の、今どきどこにも見ない『ただいま休憩中』の札がかかったドアを確認して、建物の裏手に回る。 裏側にあるもう一つのドアの横に付いてるインターフォンを押すと、すぐに応答する声が聞こえてきて。 バタバタと足音が聞こえた。 「凪!?」 ドアが開き、驚いた顔で出てきたのは、もうすっかり白髪だらけの頭になった誉先生。 「…ご無沙汰してます」 ここを出てから一度も顔を出してなかったから、申し訳なさを感じながら頭を下げると、誉先生は目尻のシワを深くして、いつもの優しい笑顔を見せてくれた。 「よく来たね。寒いだろ?早く中に入って」 ビルの隙間に吹いた冷たい風に思わず身を竦めると、誉先生の大きな手が俺を家の中へと促す。 「…お邪魔します」 懐かしい、微かに消毒液の香りのする家へと足を踏み入れる。 「那智ー、凪が来たよー」 俺をリビングへと促しながら、階段の上へ誉先生が声をかけて。 2階でドタドタっと騒がしい音がしたと思ったら、階段の上に那智さんが姿を現した。 「…凪…久しぶりじゃねぇか…」 相変わらず厳つい顔に、安堵の笑みが広がった瞬間、思わず涙が込み上げてきてしまって。 「…ごめん、なさい…」 俺は、深く頭を下げた。 「最近は、どうしてんだ。ちゃんと食べてんのか?」 俺の前に熱い紅茶とチョコレートケーキとイチゴのムースの乗った皿を置いて、那智さんは向かい側に座った。 「うん。ちゃんと食べてるよ」 「ホントか?またちょっと痩せてんじゃねぇか?」 ほら食え、なんて言いながら、ケーキの乗った皿をずいっと俺に近づける。 「これは…ちょっと…この間のヒートがヒドかったから…」 那智さんに隠してもどうせすぐにバレるから、正直に話すと。 那智さんの眉間の皺が、深くなった。 「…薬、相変わらず合わねぇのか」 「それもあるけど…無理やり、誘発剤飲まされちゃって…」 そう言った瞬間、隣の部屋でパソコンで何かをやってた誉先生が、ガタンと椅子を鳴らして立ち上がる。 「…それで?」 こっちへ来ようと身体を向けた先生を那智さんが視線だけで制しながら、低い声で続きを促した。 「それだけ。なんとか逃げ出したから…でも、抑えるために薬いっぱい飲んじゃって、しばらく寝込んでた」 奏多のことは、言えなかった。 「…誰なんだ?」 「大学の、教授」 那智さんが、深く長い溜め息を吐く。 「…ったく…相変わらずクソみたいな世の中だな…」 忌々しそうに呟いて。 「…それって、もしかしてあの日か?」 不意に思い出したように、訊ねた。 「…うん」 頷くと、また大きな溜め息を落とす。 「蓮から連絡は来たのか?」 「…一度。でも、出られなかった…」 「相変わらずヘタレだな、あいつは」 タバコを取り出し、火を着けようとして。 でも、俺の顔をチラリと見ると、一度取り出したタバコを箱に戻した。 「…いいのか?蓮に言わないで」 「うん。だって、大学辞めさせられちゃうもん。俺の取り柄ってピアノしかないから、それを取り上げられたら生きている意味がなくなっちゃう」 そう言うと、那智さんは自分が痛いみたいに顔を歪めて。 「んなこと、ねぇだろ。おまえは、おまえだ」 怒ったみたいな低い声で、呟く。 「…わかった。蓮には、俺から上手いこと話しておくから」 「うん…ありがと、那智さん…」 そうして、ガラリと変わった優しい声でそう言ってくれて。 また涙が込み上げてきて、俺は慌ててチョコレートケーキを口に放り込んだ。

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