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奏鳴曲 9 side凪(過去編)
【7年前】
「凪!こっち!」
1年半ぶりに成田空港のロビーに降り立つと、春くんが大きく手を振って僕を迎えてくれた。
「春くんっ!」
荷物がぎゅうぎゅうに入ったスーツケースを転がして、春くんの元へと駆け寄る。
「ねぇっ!ママが危ないって、どういうことっ!?」
居ても立っても居られなくて。
挨拶もせずに訊ねると、春くんは僕の手からスーツケースをひったくるように奪い、急ぎ足でロビーの出口へと向かった。
「詳しいことは、車の中で話すよ。とりあえず、飛行機の時間がギリギリだから、このまま羽田に向かうから」
「飛行機!?どういうこと!?」
今飛行機を降りたばっかりなのに、飛行機ってなんのことかわからないでいると。
「…楓は今、宮古島にいる」
春くんは、さらに理由 のわからない事を言う。
「宮古島っ!?なんで、そんなとこ…」
言いかけて、思い出した。
パパが今、宮古島のリゾート開発の仕事を請け負っていることを。
「…パパの、とこ…?」
「うん」
「なんで…?」
だってこの間まで、東京のあのホテルでピアノ弾いてたはずなのに…
春くんの車に着くと、春くんはヒドく硬い表情で僕のスーツケースをトランクに入れ。
僕を助手席へと押し込む。
「…もう、あんまり保たないから…最期は蓮の側でって…」
そうして、フロントガラスを睨むように見つめながら、低く唸るような声で呟いて、車を発進させた。
「最期、って…なに…」
本当に、わけがわからなかった。
中学3年の時から、僕は当時師事していたピアノの先生の勧めでウィーンの音楽院に留学していた。
それから1年半の間、日本に帰ることはなかったけど、ママやパパとは定期的に連絡を取っていた。
はずだった。
なのに。
「最期って、なんのことっ!?そんなの、僕、聞いてないっっ!」
恐ろしい単語に、指先が凍りつく。
「…楓はね…もうずっと…心臓が悪かったんだ…」
春くんの声は、微かに震えていた。
「…心臓…?もうずっとって…なに、それ…」
だって
僕の知ってるママはいつも元気だったもん…!
そりゃ、定期的に紫音先生のとこに通ってはいたけど
それは抑制剤をもらいにいったりとかっていう、Ωなら誰でもある普通のことで
ママが病気だなんて、誰も言ってなかった
誰も………
「…ごめんね…」
春くんの横顔が、泣きそうに歪んだ。
「凪が留学してた1年半、楓はずっと入退院を繰り返してたんだ…でも、絶対に凪には知らせるなって言われてたから…」
「…誰、に…?」
「楓本人に」
春くんが発した言葉が、鋭いナイフのように心に突き刺さる。
「今、自分の病気のことを知ってしまったら、絶対日本に戻ってきてしまうって。自分のせいで、凪の未来の可能性を潰したくないって…そう言ってさ…」
その痛みが、あっという間に全身へと広がって。
息が、出来ない。
「ごめんね…こんなに早く容態が悪くなるなんて、誰も思ってなかったんだ。だから、凪に知らせるのが遅くなっちゃって…本当に、ごめん…」
震える声で、そう言った春くんの手は。
指先が真っ白になるほど強く、ハンドルを握り締めていた。
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