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奏鳴曲 10 side凪(過去編)

もう秋も深いのに生暖かい風が吹く地へ降り立つと、見たくもない顔が走って近付いてくるのが見えた。 「春海さんっ!凪くんっ!」 長い髪を靡かせて、大きく手を振るその姿を見たくなくて、僕は顔を背ける。 「真白くん、迎えありがとう」 「これくらい、全然!凪くん、長旅大変だったでしょう?」 僕が嫌悪感を顕にしてるのがわかってるだろうに、平気で話しかけてくる神経にイラッとして。 「なんで、あんたがここにいるの」 出た声は、自分でもわかるくらい感じ悪いものだった。 「ごめんね。でも、僕が一番身軽だから、迎えには僕が来たほうがいいかって…」 「そうじゃなくてっ!なんで、家族でもママの友だちでもないあんたが、ここにいるのかってこと!」 話の通じなさに、更にイライラが増して。  つい、キツイ口調で問い詰めると、彼は息を呑んで口を噤む。 「…凪。そんな言い方は、良くないよ。真白くんだって、楓を心配してここまで来てくれてるんだから」 春くんが静かに僕を嗜めるけど。 謝る気なんて、起きなかった。 「…ごめんね。僕のこと嫌いだろうけど、今はちょっとだけ我慢して?楓さん、凪くんのこと待ってるから」 悲しみを浮かべながら無理やり笑う彼に、ほんの少しだけ良心が痛んだけど。 やっぱり、謝るなんて出来ない。 「ほら、早く行こう。楓が、待ってるよ」 膠着状態の僕と彼の間に、春くんがそっと割り込んできて。 優しいけど強引に、車に乗せられた。 「楓の様子は?どう?」 「今日は朝から意識もあって、気分もいいみたいです。蓮さんが作ったスープも少し召し上がってて…きっと、凪くんが帰って来るからでしょうね」 「そっか、良かった。あのまま、意識が戻らなかったらどうしようと思ったよ」 「ええ。亮一先生も驚いてました。楓さんの凪くんに会いたいって気持ちが、奇跡を起こしてるのかもって」 後部座席で、日本じゃないみたいな南国の景色をぼんやりと見つめながら。 運転席と助手席で交わされる、聞きたくもない会話を強制的に聞かされる。 耳を両手で塞いでしまいたいのに、なぜか身体が動かない。 意識が戻らなかったらって、なに 奇跡って、なんのこと そんなの信じたくなんかないよ 本当はママが危篤なんて冗談でしょって思ってた。 もうすぐママの誕生日だから、僕は壮大なドッキリを仕掛けられてるかなんかで。 慌てて帰ってきたら元気なママがいて、「凪、びっくりした?驚かせてごめんね」なんて言って、いつもみたいに優しい笑顔で抱き締めてくれるだろうって。 不安で押しつぶされそうになりながらも、そんな希望を持って長いフライトを耐えて帰ってきたのに。 いや、やっぱり全部嘘だ みんなで僕を騙してるんだ ママが死ぬなんて、そんなことあるはずないもん 絶対絶対、元気なママが笑って迎えてくれるはずだもん 何度も何度も呪文のように自分に言い聞かせながら。 ガタガタと震える両手をぎゅっと握りしめて、僕は窓から見える真っ青な海を睨むように見つめていた。

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