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奏鳴曲 11 side凪(過去編)
車は、しばらく海沿いの道を走ったあと、重機が何台か置かれただけのだだっ広い土地を横切り、海の直ぐ側に建てられた小さなロッジみたいな建物の前で止まった。
春くんに促され車を降りると、潮風が僕を包み込む。
毎年一度は家族で出かけた、あの湘南の海と同じ香りの風が。
鉛のついたように重い足を引き摺り、春くんに背中を押されながら、その建物の中に入り。
短い廊下を抜けて、リビングらしきドアを開けると。
中には和哉と那智さんと誉先生と。
櫂が、いた。
その顔を見た瞬間、なにかが一気に身体の奥から溢れてきて。
思わず駆け寄ろうとした。
けど。
「真白、おかえり」
櫂の口から真っ先に出たのは、僕の名前じゃなくて。
その事実に、一瞬にして心が凍りついた。
「ありがとな」
「ううん」
彼に歩み寄った櫂は、優しい顔で彼を労って。
それからやっと、僕へと顔を向ける。
「凪、おかえり。ごめんな、急に呼び戻したりして。ここまで遠かっただろ?疲れたよな」
そう言った櫂の表情には、暗い影が落ちていて。
少し離れたところから僕を見てる和哉や那智さん、誉先生の顔も、みんな同じで。
全身から
さぁっと血の気が引いていく
「でも、ママが待ってるから…会いに、行こう?」
目の前に櫂の大きな手が差し出されて。
反射的に、僕はその手を思いっきり払い除けた。
「凪っ!?」
驚いた顔の櫂から、一歩後退る。
「…僕、だけ…?」
みんな
知ってた
僕だけが
知らなかった
「…なんで…?なんで、僕だけ知らないの…?みんな、知ってたんでしょ…?なんで、僕は知らないんだよっ!」
僕はママの子どもなのに
なんで関係ない人がママの病状を知ってて
なんで僕だけが知らないんだよ…!
僕、だけが……
全身に力が入らなくて。
その場にずるりと座り込んだ。
「凪っ…」
「さわんないでっ…!」
触れようとした櫂の手を、もう一度力の限り払い除ける。
僕は…
なんにも知らずに
能天気にピアノなんか弾いてて…
上達していくのがただ楽しくて
夢中になって
日本に戻ることなんて考えもしなかった
その間ずっと
ママが苦しんでたかもしれないのに…
僕は最低だ
「…蓮さん、呼んできます」
痛くて、苦しくて。
呼吸がうまく、出来なくて。
蹲ったまま動けないでいると、ふわりとパパの優しい香りがして。
「凪…おかえり…」
優しいパパの声が、聞こえた。
のろのろと顔を上げると、パパがちょっと困ったような、でも優しい微笑みを浮かべて立っていて。
「…っ…パパぁっ…」
迷わず、その胸の中に飛び込む。
「ごめんなさいっ…ごめんなさいっっ…」
「凪は、なにも悪くない。悪いのは、パパだから」
いつだって僕を包みこんでくれる大きな手が、優しく僕を抱き締めてくれて。
「パパが、全部悪い。凪は、悪くない。ごめんな、凪…」
何度も繰り返されるパパの言葉を聞きながら、僕は小さな子どものように声を上げて泣いた。
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