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奏鳴曲 18 side凪
「腹減ってる?」
「ううん」
「じゃ、先に曲聴いてくんない?」
いそいそとトートバッグからパソコンを取り出す奏多が、なんかすごく可愛く見えて。
つい、笑みが零れる。
「なに?なんで笑ってんの?」
「ううん、なんか可愛いなぁと思って」
「は!?可愛い!?俺が!?」
瞬間、耳まで真っ赤になって。
「うん。なんか、弟みたいで可愛い」
でもそう付け加えると、ガクッと肩を落とした。
「弟、かぁ…」
「そりゃそうでしょ。俺のほうが年上だし。不満なの?弟ポジ」
「不満っていうか…って、ちょっと待て!弟って、あいつと一緒ってこと!?」
ガバっと顔を上げて、今度は心底嫌そうに眉を寄せる。
そのコロコロ変わる表情が、面白くて。
俺は、また笑った。
「いや、櫂は可愛くない。ふてぶてしい」
「あー、わかる…つか、圧がスゲーよ。俺はαだぞ!って圧!」
「そう?まぁでも、偉そうだよね、いつも。奏多とは大違い」
「俺は、αって言っても底辺のαだから…」
わざとらしくショボンとした表情を作るから、ついに笑い声が出てしまう。
「あははっ…んなことないでしょ。バイオリンだってギターだって、誰よりも上手いじゃん。俺のヒートの時だってさ、ラット起こさなかったし。俺、人よりフェロモン強いらしいから、それに当てられないってことだけでも、奏多は優秀なαだと思うけど」
思ってたことを素直に口にすると、奏多はちょっとびっくりしたように目を見開いて。
それから、ふわりと優しく笑った。
「…初めてだな」
「え?」
「そうやって、声出して笑ったの」
「え…そう、だっけ?」
「うん。すげー、いい。そうやって笑ってる凪、スゲーいいよ」
ストレートに、言葉にされて。
俺は、反射的に顔を背ける。
ヤバ…
絶対今、顔赤くなってるし…!
「そ、そんなのどーでもいいから。早く曲、聴かせてよ」
ドキドキと、急に早鐘を打ち出した心臓の音をかき消すために、早口でそう言うと。
「おう」
奏多はそんな俺の様子を気にした風でもなく、パソコンを立ち上げた。
「今回の、めっちゃ自信作なんだー。楽しみにしとけよ?」
楽しそうな横顔を見つめて、俺はそっと息を吐く。
こういうとこ
奏多って何気に凄いと思う
人の機微に聡いっていうか…
俺が嫌だなって思うこと
絶対に避けてくれる
まぁだいぶ強引なとこもあるけど…
それでも
俺が本当に嫌なことはしてこないし
だから
一緒にいても心地良いのかな…
まるで
伊織といるときみたいに
そう考えた瞬間。
ぐっと心臓を鷲掴みにされたような痛みが走って。
息が、詰まった。
脳が、勝手に記憶を再生する。
優しい微笑み
温かな眼差し
大きな腕
熱い吐息
そして
『…凪…僕のことは…もう…』
嫌だっ……
「凪っ!?どうした!?大丈夫かっ!?」
強く、肩を掴まれて。
目の前にあった伊織の顔が、一瞬で奏多に変わった。
「…かな、た…」
「急にどうしたんだよ!?具合、悪くなったのか!?」
心配そうな眼差しに、心の奥でなにかがぷちんと切れて。
気が付いたら、奏多の胸に飛び込んでた。
「えっ…凪っ…!?」
「…ごめん…ちょっとだけ…」
今だけ…
お願い…
もう
なにも思い出したくない
だから打ち消して
奏多の匂いであの人の面影を………
一瞬の間の後。
奏多がそっと俺を抱き締めてくれて。
何も聞かずに、そっと背中を撫でてくれる。
爽やかで優しい香りが、俺を労るように包んでくれて。
その胸の中でそっと目を閉じると、涙が一粒だけ零れ落ちた。
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