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奏鳴曲 24 side凪
その時、お酒と料理が運ばれてきて。
真白さんの手が離れていった。
「さ、食べよ食べよ。腹が減っては戦はできぬ、って言うでしょ」
不意になくなった温もりを、なんだか名残惜しく感じてると、真白さんがわざと明るい声でそう言う。
「戦って…誰と戦ってんの」
「もう!そうやっていちいち揚げ足取らない!」
「いや、だって…」
「あ、でも戦ってるかも!最近、園長が代わったんだけど、そいつが嫌な奴でさぁ。僕が意見すると、男Ωのくせに、ってすぐ言うの!最悪!教育者が言っていい言葉じゃないでしょ!そう思わない!?」
「ま、まぁ…」
「だから、毎日バトルだよ。でも、他の先生たちはみんな僕を応援してくれてるし、絶対負けないんだから!」
「う、うん。がんばって…」
拳を握り締めて高らかに宣言するから、その勢いに押されて拍手を送ると。
真白さんは嬉しそうに頷いた。
「うん。頑張る。Ωだからって、バカにさせない」
穏やかに、でも強く言い切った彼は、すごく輝いて見えて。
孤児院育ちだって言った
赤ちゃんの頃に親に捨てられて
親の顔も知らないって
うちが援助するって言ってんのを断って
バイトしながら学費稼いで
自力で保育士の資格取って
なんでこんなに強くいられるんだろう?
櫂っていう運命が側にいるから?
それとも……
「凪くんは?最近どうなの?ピアノ、楽しい?」
針で刺したような痛みが、胸にちくんと走って。
無意識に手を当てた俺に、真白さんが尋ねた。
「ピアノ…」
その言葉に、一瞬息が詰まる。
楽しい…?
ピアノを弾いてて楽しいなんて
もう何年も感じたことなんかない
ピアノは
俺がやらなければならないことだから
楽しいのは
俺が今楽しいのは…
チケットが入ったカバンを、ぎゅっと握りしめた。
「あの…あのさ…」
「うん?」
不思議そうに首を傾げた真白さんを見つめながら、深く息を吸い込む。
「俺、ね…」
それでも、声が震えて。
でも。
「俺…今、バンドやってるんだ」
今、俺が楽しいって思うこと
ちゃんと胸張って言いたい
「え…バンド?」
「うん」
真白さんは、驚きに大きく目を見開いて。
「…あ!もしかして、奏多くんと!?」
それから思いついたように、ポンと手を叩いた。
「そう。奏多だけじゃないけど…」
「そういえば彼、いつも背中に大きな荷物背負ってるもんね。あれ、もしかしてギター?」
「う、うん」
真白さんの瞳は、話してるうちにどんどんキラキラ輝いていて。
「そっかぁ!いいね、バンド!」
本当に嬉しそうに、笑ってくれる。
「い、いい、かな…?」
まさかそんな反応が返ってくるなんて期待もしてなかったから、おずおずと訊ねると。
「もちろん!だって凪くん、楽しいんでしょ?わかるよ。だって、すごくいい顔してるもん」
嘘なんて付いてなさそうな、優しい微笑みでそう言ってくれて。
そっと背中を押されたような気がして、俺はカバンからチケットを取り出し、真白さんの前に置いた。
「えっ、これ、もしかして!?」
「…俺が出る、ライブの、チケット…クリスマスだから櫂とデートだろうし、無理にとは…」
「行くっ!もちろん行くよっ!櫂も一緒に!」
真白さんは嬉しそうに俺の辿々しい言葉を遮って。
引ったくるように、チケットを手に取る。
「4枚もある!じゃあ、春海さんとか誘ってもいい?いいよね!?」
「あ、う、うん…」
無理やり、俺を頷かせて。
「ヤバい、今からすっごく楽しみなんだけどー!」
本当にワクワクしてるみたいな顔で笑うから。
「頑張って、凪くん!僕、全力で応援するから!」
なんかちょっと頑張ってみようかな、なんて。
「…うん。ありがと」
俺はたぶん初めて、真白さんに笑顔を向けた。
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