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奏鳴曲 29 side凪
「凪くん!良かったよー!すっごい、カッコよかった!もー、僕興奮しちゃって、途中叫んじゃったよ!」
真白さんは全速力で俺に駆け寄ると、ぎゅうっと痛いほど俺の手を握りしめて、興奮気味に捲し立てた。
「あ、ありがとう…」
「春海さんも、すごく良かったって凪に伝えといてって言ってたよ!また次も見に行くって!」
「え…ホントに春くんも誘ったの?」
「うん!和哉さんは仕事で無理だったけどね」
「あ、そう…」
本当に春くんも来てたのかと思うと、今更ながらに少し恥ずかしい気分になる。
「次も絶対見に行くから、次のライブ決まったら教えてね!僕、追っかけるから!」
「あ…うん、わかった…」
ぎゅうっと手を握られて満面の笑顔を向けられると、ますます恥ずかしさが増して。
反射的に視線を下に落とすと、コツコツと足音がして。
視界に、櫂の革靴が入ってきた。
「ね、櫂も良かったよね?…え?どう…」
弾んだ真白さんの声のトーンが落ちた瞬間、パンと左頬に衝撃が来て。
少し遅れて、じわりと痛みが広がる。
何が起きたのかわからず、顔を上げると。
櫂の怒りを込めた眼差しが、俺を突き刺した。
「櫂っ!」
「なにすんだよっ!」
慌てて真白さんと奏多が俺たちの間に入ってきて、俺と櫂を引き離す。
「凪、大丈夫か?」
ジンジンと痺れる頬を奏多の大きな手が包んだ瞬間、ようやく櫂に頬を叩かれたんだと理解した。
「う…ん…」
呆然と櫂を見返すと、その顔は苦しげに歪んでいて。
「てめぇっ!なにしやがるっ!」
「櫂っ!なんでこんなことするのっ…!」
2人の責める言葉に、怒りを通り越して憎しみにも似た感情がその瞳に浮かび上がる。
「…おまえは…捨てるのか…」
「え…?」
「おまえはっ…ママのピアノを捨てんのかよっ!」
叫んだ櫂の声は、まるで慟哭のようで。
「俺は、認めない。絶対に。あんなもの、絶対に許さないっ!ママのピアノを捨てるなんて、絶対に許さないからなっ!」
吐き捨てるようにそう言うと、くるりと背を向けた。
「櫂、待ってっ!凪くん、ごめんっ!」
早足で車へと戻っていった櫂を、真白さんは泣きそうな顔で追いかけて。
真白さんが車へと乗り込んだ瞬間、車は急発進する。
「あいつっ…最低野郎だなっ!凪、本当に大丈夫か?」
あっという間に遠ざかっていく車へと悪態をつきながら、奏多が心配そうに顔を覗き込んできたけど。
俺は頬の痛みよりも強い胸の痛みを抱えて、立ち竦んでいた。
ああ、そっか…
俺、勘違いしてたよ
櫂には真白さんって運命の番がいて
だからもうとっくにママの死のことは乗り越えられたんだと思ってた
ママの死を引き摺ってるのは
俺だけなんだって
俺だけが
この世界にひとりぼっちで取り残されたんだって
でも違った
おまえは俺のピアノの中にママの面影を求めてたんだ
だから俺がピアノを弾くことに固執してたんだな
でも……
「…ごめんな、櫂…」
「凪…?なんであんな奴に謝ってんだよ…?」
ママのピアノを捨てたわけじゃない
ママの音はずっと俺の中にあるよ
だけど
俺は見つけたんだ
そしてもっと知りたくなった
俺の
俺だけの音を………
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