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哀歌 11 side奏多

ほぼ確信していたことだったのに。 言葉として凪の口から出た瞬間、頭ん中が真っ白になった。 「いや…だって、さ…斎藤伊織って、番いないって噂だったじゃん…」 押し出した声は、みっともなく震えて。 凪は、相変わらず微笑みを湛えたまま、そんな俺を見ている。 「そうだね…公表する時間すら、なかったから…」 「え…?」 「…俺たちが番だったのは、たった一ヶ月だから」 静かに紡がれた事実に、俺は今度こそ言葉を失った。 凪は小さく息を吐くと、ふいっと顔を背けて窓の外へと視線を投げる。 愛しい人へと 思いを馳せるように 「伊織は…俺が生まれる前から、パパとママの友だちで…だから、物心ついた頃からずっと側にいた。俺、小さい頃からなんとなく自分はΩなんじゃないかってわかってたから、パパと同じくらい強いαの伊織がすごく好きだったんだ」 「え…?」 小さい頃からって… そんなのわかるもんなのか? 俺なんて 中学の時の2次性別検査でわかって初めて αだって自覚したのに 「…言ったでしょ?俺は、ちょっと特殊なんだって」 「特殊って?どんな?」 問いかけには、曖昧に笑って答えてくれなかった。 「…最初は、パパみたいな気持ちで好きだったんだと思う。でも、いつの間にか俺の中で伊織の存在がどんどん大きくなっていって…この好きが家族としてじゃない好きなんだって気がついたのは、中学生の頃。でも、その瞬間に失恋が確定しちゃった」 「え?なんで?」 「…伊織は、俺のママのことがずっと好きだったから」 そう言った凪の頬に、一瞬暗い影が落ちる。 「俺のパパとママはね、運命の番だったんだ。二人の間には、子どもの俺たちでも入れない強い絆があって…伊織も、もちろんそれはわかってた。それでもママを諦めきれなかったんだと思う。絶対口にはしなかったけど、ママを見る伊織の目は、愛する人を見つめるそれだったから…」 淡々と話す瞳が、微かに揺れた。 「絶対、届かない恋なんだってわかって…苦しくて悲しくて、でも諦められなくて…その時、ちょうどウィーン留学の話が来て、俺はそれを口実に日本から逃げ出した。ママを見てるのも、伊織を見てるのも、櫂と真白さんを見てるのも辛かったから…でも…俺が呑気にピアノを弾いてる間に、ママの病気が悪化して…戻ってきた時には、もう危篤状態で…」 揺れる瞳から、大粒の涙が零れ落ちる。 咄嗟に腕を伸ばそうとして、既のところで堪えた。 今、俺が凪に触れちゃいけない気がした。 「ママが死んだのは、俺のせい」 「…んなこと、ないだろ」 「ううん。俺のせいなの」 はっきりと言い切って、凪が乱暴に左腕で涙を拭う。 「それなのに…ママのお葬式の日にヒートが来た。それまで来なかったヒートが。なんでこんな時にって…絶望したよ。Ωである自分が酷く悍ましくて…もう、死んでしまいたいって思った。その時、伊織が抱き締めてくれたんだ。好きだって言ってくれた。凪が自分のこと嫌いでも、僕が好きだって。そう言って俺に触れて…抱いてくれた。俺は…悲しくて、辛くて、死にたかったはずなのに…すごくすごく、幸せだった…最低だよね」 窓に向けていた顔を、また俺に向けて。 凪は哀しいほどに美しく、微笑んだ。

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