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哀歌 21 side凪

さわさわと、風が吹く。 俺を優しく包み込むように。 「俺ね、今バンドでキーボード弾いてるの。ギターもちょっとだけ。まぁ、ギターはまだ、全然下手だけどね」 一度、深呼吸をして。 意識して、少しだけ声のトーンを上げた。 「…それが、すごく楽しい」 言葉にすると、自然と笑みが溢れる。 「今まで、俺の音楽はピアノだけで…それも、半分義務みたいな気持ちでやってた。みんなが愛したママのピアノを、受け継ぐんだって。ママと俺の音を、世界中の人に聞いてもらうんだって。そう思いながら、ずっと弾いてた。でも、ママが死んで…ママのピアノの音、わかんなくなっちゃって…自分の生きてる価値もなくなった気がしてた」 俺の中で 俺とママのピアノは同じモノだったから 「でもね…奏多と出会って…初めて、奏多と一緒にピアノとバイオリンで演奏した時に、なんか雷で打たれたみたいな衝撃を受けた。上手く言葉に出来ないけど…新しい音の世界が、開けたみたいな…」 夏生に頼まれて 渋々向かったあの練習室 伴奏なんてつまんないだろうと思ってたのに 奏多と音を合わせた瞬間 目の前の世界が鮮やかに色を変えた 「…俺ね…奏多が好きなんだ」 二人で音を重ねる瞬間の あの高揚感が好き もっともっと 一緒に音楽やりたい 俺たちだけの 俺たちにしか出来ない音楽を見つけたい 「奏多と夏生と賢吾が、好き。4人で合わせる音が好き。…ようやく見つけたんだ。俺の…俺たちだけの、音を」 もう一度、伊織の名前を指先でなぞる。 少し、震えてしまった、けど。 「だから…俺は、行くよ」 伊織への愛は少しも変わらない それでも 「俺は…伊織のいない、未来にいく」 この想いを抱いて ひとりで 「だから…見ててよね、そこから。…ママと、一緒に…」 見上げた空は、雲一つない快晴で。 遥か遠くに、伊織の優しい微笑みが見えた気がした。 その幻を見つめながら、立ち上がる。 「また、しばらく来られないかも。ごめんね」 今は 前だけを向いて歩いて行きたいから… 「…バイバイ…伊織…」 涙が零れないように、空を見上げたまま、踵を返した。 そのまま、那智さんたちが待つ車へ向かって足を踏み出す。 何度も何度も、振り返りそうになって。 でもその度に歯を食いしばって、耐えた。 「凪…」 ゆっくりゆっくり、時間をかけて車へとたどり着くと、那智さんは車の外で待っててくれて。 俺の顔を見ると、小さく頷いて。 ただ黙って、優しく抱き締めてくれた。

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