8 / 64

第6話 おもちゃ

 自分が不倫とか浮気とか、アリの人間だとは思わなかったな。  まぁ、高校生で先生と……ってのも、フツー、ナシだけど。 「エレベーターは……あっちか」 「あ、うん……」  恋人いるんでしょ?  奥さん?  どっちにしても、俺も先生もかなり最低だよね。  地獄行きじゃん。 「……ラブホ、じゃないんだ」  そう、ぽつりと呟いたら、エレベーターを待って段々とフロアの階数が小さくなる表示を見つめてた先生が、チラリとこっちを見た。  だって、するんでしょ?  セックス。  それなら、ラブホかな、って。  相手が不倫か浮気か、そういう適当な、雑多な、遊びの相手なら、おもちゃのようなものなら豪勢なホテルでも、丁寧な接遇の場所でもなくて、行為だけに浸れるラブホなんじゃない? って。 「……一応、な。男同士だし。それに志保、モデルやってるんだろ?」 「……ふーん」  男同士でも使えるとこけっこうあるよ? って思ったけど言わなかった。だって指輪してるんだから、人に訊かれて答えられる恋人もしくはもっと奥さんがいるわけでさ。  そしたら男同士でも使えるラブホがけっこうあるって知るわけないだろうから。  先生は、久しぶり、かな。  男とするの。  っていうか、たった四年前でしょ。俺と関係してたの。なら、その「人」と被ったりしてないの? その時から、俺って浮気相手の遊び相手だったりしてないの?  なら、俺も大概だけど。  先生は相当だよ。  相当な。 「どうぞ……」  悪党。 「……部屋、けっこう広いな。何か飲む? 酒は……もういっか」  けど、悪党でもいいよ。 「……すご」 「? 何か見えた?」  大きな道路がぶつかり合う角のホテルの一室。窓の下にはその大きな道路をオレンジ色の街灯が等間隔で照らしてる。まだ雨は降り出してないけど、もうそろそろ天気予報では降り始めるっていう言ってた時間帯だからか、どの車もすごい速さで駆け抜けていく。  急げ急げって、走り抜けて。  信号に阻まれて、止まって、また走って。  タクシーも、乗用車も。  誰かがそこにいるんだなぁって。 「……先生は?」  先生にも誰かがいるんだなぁって。 「? なに、」  先生とその「人」は昨日キスしたのかなぁって。 「……」  でも今日キスしたのは俺。 「先生は、この後、用事なかったの?」  ね、先生。 「明日は、用事、なかった?」  俺はね。 「……ない」  キスしたの、あの日以来だよ。 「そっか……っ……っ、ン、あっ、はぁっ」  唇が触れ合うだけのキスも、舌をこうして絡め合って。 「ん、はぁっ……ンン」  唾液がやらしい音を立てるキスも。  夏休み最後にしたっきり。  ――俺、引っ越すんだ。  すごい奇跡的、最後の夏季特別授業は英語だった。  先生に教えてもらえて、噛み締めるようにその声を聞いていた。  それでいつもどおりにあの部屋に行って、いつもどおりにキスをした。  あの日以来のキス、だよ。 「っ、ン、あ、先生、さ、きにシャワー」 「……」  このまま雪崩れ込むには、ほら、身体洗ってないし。準備は、してあるけど。  って、それも笑えるよね。先生が来るのかまだわかってなかったのに。先生が俺ことかまってくれるかなんてわからなかったのに、奥、準備だけはしておいたなんて。 「待ってて」  あの日以来の、セックスなのに、しっかり指がさ、届くところまではちゃんとほぐしてあるなんて。 「待っててね」  ヤバいよね。  フツーに地獄行きなのにね。  嬉しくてたまんないなんて、ヤバいでしょ。  抱ける、のかな。  無理、だったりしない?  だって高校生の頃とはさ、背も身体つきもまるで違うよ?  ほら、肩幅も全然違う。  ホテルのバスルームの大きな鏡に映る、清々しい青白い光で照らされた自分の裸をじっと見つめた。  男、の身体に育っちゃったからさ。  あの頃の俺はどこか中性的だったと思う。  自分の恋愛対象が同性で。その同性に抱いてもらいたかった俺はできるだけ華奢でいたいと願ってた。だからその当時の俺はラッキーなことに、ノンケの先生でも魔が差したとかで抱くことができそうな感じだったかも。  だけど、今の俺は全然そんなことない。  平気かな。  どうだろ。  ノンケで、女の人としてるんじゃ、俺とはできないかも。  萎える、かも。  そう思いながら、ふぅと溜め息を一つついて、さっきした久しぶりの先生とのキスで普段よりも赤い気がする唇をタオルで拭った。  もう一度、丁寧に洗った身体は、うずうずして仕方ない。  だからもう考えないでいいんじゃん?  これで抱けないって言われれば、それはそれで、あぁ終わったって踏ん切りついて、他を探せるかもしれないし、抱いてもらえたらさ。 「……先生」  それこそ、ラッキーって。 「……上がった、よ」 「……あぁ」  心臓がトクンって高鳴った。 「じゃあ、今度は志保が少し待ってて。そこの冷蔵庫に飲み物色々あったから適当に飲んでな。アルコールはやめた方がいいかもだけど、水とかお茶と、か」 「平気」 「……」  その手を捕まえて、まだしっとりしているはずの胸に触れるように、バスローブの中に連れ込んだ。 「先生は洗わなくてもいいでしょ」 「いや、けど」 「いいよ、早く、しようよ」 「志保」  ちらりと、視線を下へ向けるとちゃんとそこが反応してくれてた。俺のあの頃のペラペラな感じがなくなった胸板に触れても萎えてないから、慌てて、それが萎れてしまう前にって。 「俺たち、初めてだね」 「志保?」 「ベッドでするの」  ね? でしょ?  いっつもあのソファか先生の机のとこだった。机はごく稀に、本当に誰もいなくなった時だけ。ガタガタとけっこううるさいから、それでなくても静まり返った夏休みの間じゃあ、学校中に響き渡っていそうで。だから大概はソファのところ。狭くて、跨るの上手にできなかったっけ。 「こんなに積極的にされたことってない?」 「志保?」  ベッドに先生を押し倒すことだってできるよ?  あの頃の俺はできなかったでしょ?  でも今なら、先生を押さえつけて、襲うこともできるんだ。ね、その指輪の人は、こういうのしてくれる?  「俺だと重いよね」 「いや、あの」 「けど、先生の好きなところは覚えてるよ。男同士だし、普段はできないことたくさん」 「おい」 「したげる。胸はないけど、俺が乳首敏感なの、覚えてる? 感度なら、きっと」 「志保」  いいな。 「楽しめると思うよ」  この人に、昔の俺がしてもらったみたいに可愛がられる「人」がどっかにいるだなんて。 「ね、先生」 「志保っ!」  世界がぐらりと揺れて、反転した。 「……」 「お前、さっきから何言って」 「……」 「って、あ……あー、あれか、志保の隣に座ってたの、飯田と沢下か」 「……」  名前、そんなだっけ、覚えてない。どっちが飯田で、どっちが沢下? 二人は下の名前で呼んでたから、今、名字で言われても、全然。 「指輪」 「!」 「見られたからな」  そうだよ。だから。 「知ってるよ。先生、が薬指にしてたって」 「……っ」  ね? 知ってるんだ。そんな失敗したって顔しても、もうわかってるし。わかってて、俺、不倫相手でいいとか思ってるし、だから、このまま気にせず、してよって。 「あれ、お前のだよ」  言おうと思った。 「いや、正確にはお前のじゃないか」 「…………は?」 「ほら」  言いながら、先生がスラックスのポケットから出したのは。 「!」 「捨てただろ?」  その手のひらにあったのは。 「……これ、夏に」  おもちゃの指輪だった。  俺が買って、捨てた、安物の拙いおもちゃだった。

ともだちにシェアしよう!