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第8話 夢、なんでしょ?

 嘘みたい、なんて思った。  だって、いつも先生とこの距離で見つめ合えるのは明るく、ジリジリと焦げつきそうな強い日差しが降り注ぐ夏の教科準備室だったから。  こんなふうに、夜に先生と会ったこと、なかったから。  目を丸くしている俺を見て、先生が笑った。 「引っ越せば距離が離れて、会う時間も頻度も減る。俺は変わらずここで教師の仕事を続けて、その間に志保は新しい場所で新しいクラスメイトに出会うんだ」  嘘、でしょ。  先生が俺のこと、なんて。 「俺より、志保の好みの奴だっているかもしれない。できたら……同級生とか、先輩とか、そういう健全な相手の方がいいけど」  そこで苦笑いを溢してる。 「彼氏でも彼女でも、同じくらいの歳ならデートだって普通にできるし、どこにだって気にせずに出掛けられる。でも俺とじゃずっと無理でしょ」  先生と会えるのはあの教科準備室でだけだった。 「実際、あの夏、ほぼ学校に来てたから、志保、どこにも行かなかっただろ?」  それでよかったんだ。むしろそれでかまわなかった。先生に会えるんなら、海もレジャーも何もいらなかった。 「俺とじゃ……教師とじゃ、どこにも行けない」  本当だよ。俺は先生といられるのなら、別に、本当に。 「そっちの相手の方が絶対にいい……」  あ、今の、顔。  あの時もそんな顔してた。  ――そっか……元気でな。  嬉しそうな寂しそうな顔。  俺は少しその表情と言葉に悲しくなったんだ。あっさりとした言葉と、笑顔。もう歳が上になって遊ばなくなった幼い頃のおもちゃを手放す時はきっとそんな顔をしてそうって思った。もう遊ぶことはないのに、じゃあ、これを小さな、ちょうどいい歳の子にあげるわねって言われたら、急に手放したくなくなったような、そんな顔。  俺はその表情を見て、夏にたくさんかまってもらえたけど、先生はそろそろ飽きてきていたのかもしれないと思ったんだ。  夏休みが始まったばかりの時はプールに早く泳ぎに行きたくて仕方がなかったけれど、だんだんとそれは薄れて、夏休みの終わり頃には、とりあえず、とか、他に行くところないし、なんて理由で泳ぎに行っていたみたいに、俺のことも、そうなのかもしれないって。 「この同窓会に志保が来るとは思ってなかったけど、幹事の太田が、一斉送信で全員に声かけたって言ってたから」  なのに、先生が俺のことを好き、なんて。  嘘、だって。 「いないと思ったよ。もう有名人だし」  そんなのあるわけない。 「最初いなかったから、まぁそうだよなって思った」  夢、とか? 「そしたら、お前が現れて、めちゃくちゃ喜んでた」  そうだ。レモンサワー飲みすぎたのかも。 「隣にいた長谷川に楽しそうって言われて、苦笑いになったよ」  それで酔っ払いすぎて、今、どっかで居眠りしてるのかもしれない。 「志保だって、おおはしゃぎ」  先生に会えたっておおはしゃぎして飲みすぎて、見ている、きっと夢。 「志保」  目が合っただけで心臓がとくんと跳ねる。  頬に触れてくれる手はすごくあったかくて、本物みたい。 「指輪してるって聞いて、俺に恋人がいるって思ったのか?」  都合の良い、浸っていたい夢。 「……可愛いな」 「っ、あっ」  夢にしては鮮明な快感。 「志保」 「あ、ちょっ」  夢にしては刺激が強い快楽。 「ン、先生っ」  首筋にキスをされて。  リアルすぎる感触に夢のようには思えなくなってくる。  本当に?  本物?  現実? 「志保」 「あ、待って、あ、あのっ」 「?」  ちょっと、急にたくさんすぎてわけがわかんないんだけど。  ね、俺のこと好きって。  あの時?  今も?  それじゃあ――。 「さっきの志保、クラクラした」 「っ、はぁっ……待っ」  俺は、今、クラクラしてる。  だってさ。 「ね、先生」 「?」  首筋に先生の唇が触れただけで、ジンジンとした。  ヤバい。  もう、ずっと誰とも。 「ほ、本当に?」 「?」 「本当に俺のこと」 「好きだった、ずっと前から、今も」 「っ、う……そ」 「なんで?」  触られると、ビクってする。肩に口付けられるだけで全身がくすぐったくて、背中を丸めてうずくまりたい。けど、先生にまた覆い被さられてそれができなくて、困る。  ね、困るって。 「だって、あの頃、一回だって」 「言えるわけないでしょ。本来、なっていい関係じゃないんだから」 「っ、あっ」  さっきは自分から手を引いて触らせた肌に先生の方から触られるとたまらなくて、飛び跳ねてしまう。駆け出して、逃げてしまいたくなるくらいじっとしているのが辛い。そんな俺の狼狽え方にまた笑いながら、耳元で「言うのは我慢してたんだ」なんて囁かれたらさ。 「っていうか、それは志保もだろ?」 「え?」 「好きって、言われたことないんだけど?」 「! っ、っ」 「一回も」  ぎゅうって、下腹部が締め付けられた。  そう、俺、一回も先生に好きって言ったことない。 「そ、れは、だって」 「だって?」 「言ったら」  何度も言いたいって思ったよ。そりゃ、キスした時、セックスの時、ふと、他愛のないおしゃべりをしていて目が合った時。  好き。  そう言いたくてたまらなかった。 「言ったら?」 「逃げられそうって、思って」  だって、先生大人じゃん。  俺は子どもで、生徒でさ。  それが本気でそんなこと言ったら、大人の貴方は逃げ出す気がした。 「逃げないよ」 「っ」 「逃げないから、言って?」 「っ、あっ、ンっ」 「志保」  好き。  すごく好き。 「無、理」  すごく好きすぎて、声に出すの無理。  なんかさ。 「俺は言ったのに」  言ったら、今すぐに、蒸発しそうに熱いんだ。  言った瞬間、気恥ずかしさに、走り出して逃げてしまいそうだから、言えなくて。 「好きだよ」 「っ、あっ先生っ」  先生の手に感じて、気持ちいいと喘ぎ声で、好きって言葉を隠した。

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