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第15話 甘くて、しょっぱくて、酸っぱい
ノンシュガー。
しかも塩入りレモン味。
「ってこれ、塩分チャージのじゃん」
口に入れると、しょっぱくて、甘くて、酸っぱい。忙しい味がする。
山本に今朝、先生と付き合うことになったって話をした。そしたらお祝いだなって言いながら飴くれた。
塩分チャージのやつだけど。
多分、今も地元でサッカーやってるから、それでたまたまカバンに入ってたってだけだろうけど。
「……甘」
けど、しょっぱい。
あと、酸っぱい。
ありきたりなドラマの展開に山本が驚いてたな。でも俺が一番驚いてるよ。
まさか、付き合えるなんて。
「…………はぁ」
今頃、先生はまだ仕事中なのかな。夜の六時。フツーのサラリーマンなら定時くらい? けど、高校生が授業終えるのが四時とかじゃん? そっからすぐに帰るんじゃないだろうし、色々、会議とかあるんだろうし。じゃあ、まだ仕事中かな。
「……」
――先生はまだ仕事中?
「……」
これって、質問だから返信しないとだよな。じゃあ……。
クエッションマークを削除して。
――仕事中なのかなぁって思いながら、俺はこれから、バイト。
そう、打ち直した。
うん。
これなら返信とか気にしなくていいでしょ。迷惑にならないように、先生の邪魔にならないように、細心の注意を払いながら。
「お。もう来てた。お疲れ様」
「あ。お疲れさまです」
送信したところだった。
「あー、そっか、今日はみんな外で打ち合わせだった」
「あ、うん。みたい」
バイトはモデル。
と、アシスタント事務。
どっちかっていうとモデルが四割、事務が六割。
シフトはとくに決まってない。
時給はまぁまぁもらえてる。山本が辞めるなら代わりにやりたいと思うくらいには。事務だけでも大歓迎って言ってた。
会社は広告代理店兼モデル事務所。広告を作成する時にモデルが必要で、そのモデルが俺って感じ。他にもいるみたいだけど、一緒に仕事とかをしたことはない。事務は、将来どっかでちゃんと働く時に役立つかなって率先してやってるだけ。
すっごい小さな会社。
だから全部自分たちでやらないといけない、というのがモットー。
「志保は今日……なんで来てるんだっけ?」
ね? ほら、モデルなのに、なんで来てるんだっけ? と言われちゃうくらいに、ふわふわな業務内容。
そして、この人が社長。そんなふわふわなすっごい小さな会社の。
軽い口調に軽い笑顔、軽いふわりとした栗色の髪が、軽そうな、というか軽薄そうな印象を与える。業界人っぽい怪しさはあるけど、仕事はけっこう好評らしい。
「今日は仕入伝票やりに」
「あ、そうだった。経理の子が今、風邪だから。夏風邪」
「うん」
――うちのモデルにならない?
そう言われたのがきっかけだった。
――え、ヤです。俺、今年から大学あったりするんで。
当時、怪しそうにしか見えない大人に突然そんなこと言われて「わーい」なんてなるわけなくて、即答で断ったけど。
ナンパ? とも思うじゃん。
けど、モデルとかしたら、噂になるかな。うちの高校に夏までいたあの人、モデルなんだってって、噂になって、先生の耳に届くかな。
俺、ここにいるよ。
ここ、です。
って、届くかな。
そう思ったら、頷いてた。
「あ、そうだ。志保、これ、いる? 今度の新商品。シミシワ改善。夏の蓄積ダメージも、これからやってくる冬の乾燥ダメージも完全防御の完全スキンケアクリーム」
モデル業。
ネット広告、通販サイト、通販雑誌でのモデル。
五日以上の連続休暇取得可能。
急なお休み考慮OK。
駅近、冷暖房完備、綺麗めオフィス。
ネット広告の作成。
リモート化。
商品の分析結果のデータ入力。
検証結果のまとめとそのレポート作成。
SNS用のバナー作成、サムネイルの修正。
などなど。
途中からモデルには全く関係なくなったけど。
「今回のは水っぽいテクスチャーだから使いやすいよ」
「へぇ……あ、ホントだ」
「いいだろ。けど保湿力はまぁまぁ」
「あ、いい感じ」
「だろ? 試供品」
「いいんすか?」
「もちろん、一週間後にその感想踏まえた、広告アレンジ案ちょっと出してみて」
「えぇ? なんで俺が」
「お前の感覚、良いんだよ。おっさんにはない瑞々しさがだな
「……それ、セクハラ」
ほら、なかなかにけっこう本当に大変。モデルがそれやる? ってことを、軽やかに頼むんだこの人は。
「あ、じゃあ、これちゃんと考えてくるんで、次の出勤、一週間後でも。今、撮影も入ってないでしょ?」
「いいけど。一週間後じゃなくてもどっちでも。秋に発売の商品らしいし。撮影も……あぁ確かに、しばらくなさそうだ」
そう言って、社長がやたらと分厚い手帳をパタンと閉じた。今時、手帳でスケジュール管理とか、ちょっと古臭い。
「なんか、予定あんの?」
「あーいや……まぁ」
そしたら、週末デートできるって、後で。
「なんか良いことあった?」
「! ないですよっ」
「そっかぁ?」
あぁ、もぅ、本当にこの人はいつだって軽いのに、こういう時に鋭いんだ。
「じゃあ、俺はこれで」
「え? もう? 仕入れ伝票は?」
「終わってます。それといくつか頼んだ方がいいものあったんで、そのメモを挟んであるって言いたくて残ってただけなんで」
それと今度の週末は休みでいいかって聞きたかっただけだから。
「お疲れ様です」
「なんだ。今日、誰もいないし、飯でも誘おうと思ったのに」
「大丈夫っす」
「焼肉だぞー」
あははってそこで笑って、事務所を出た。そんで、エレベーターに乗りながらボディバッグの中にしまっていたスマホを出して。
週末大丈夫って、メッセージを。
「!」
送ろうと思ったんだ。
けど、マジ?
先生から返信来てた。
わ。
嬉し。
――お疲れ様。俺は今から職員会議だよ。月曜は毎週そう。
へぇ、そうなんだ。
あは。
先生、ダルいの? ダメじゃん。元生徒に、めんどくさそうにしてるウサギのスタンプ送ったら。
――頑張って。俺、週末空いてるよ。
そう返信した。
「!」
すぐにまた先生が返事をくれた。
「っぷは」
思わず笑ったんだ。
だって、先生が今度はめちゃくちゃ嬉しそうなウサギのスタンプを送ってくれたから。
ね、先生、職員会議が始まるんでしょ? なのに、スマホいじってちゃダメじゃん。しかも元生徒にさ。
怒られるよ?
そう思って、笑って。
週末が楽しみで仕方なくって。
それはいまさっき頼まれためんどくさそうな広告アレンジ案考えるのも頑張れそうなくらいで。
もしも先生も俺のメッセージで、めんどくさそうな職員会議が頑張れそうなら、嬉しいなって。
もう口の中にはいつの間にかいなくなっていた、飴玉の甘くてしょっぱくて酸っぱい、忙しい味の名残りを感じながら、飛び跳ねるようにエレベーターを降りた。
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