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第44話 勝負

「先生って買い食いしたことある?」  そう急に訊いたら、不思議そうな顔してた。  もう深夜、先生は飲み会もあったし、俺はセックスの余韻で身体がポカポカしていて、だからお互いに少し眠くて。けど、せっかく先生と過ごしてるから俺はまだ眠たくなくて。さっきまでたくさんしてシーツが皺くちゃになったから、新しいのに交換したベッド。ほんのり良い香りがするその先生のベッドに潜り込んでこの幸福感をもうちょっと味わってたくて、話しかけた。 「あ、いや、なんか、さ。さっき、肉まん、半分こしたの楽しくて。先生が学生で俺も学生だったら、そういうのやってみたかったなって」  他愛のない話。  先生は先生だし。歳はどんなに追いかけても並ばないし、時間は魔法のように巻き戻しも、早送りも一時停止もできなくて、言ったところでどうにもならない話だけれど。 「あぁ、なんだ」 「?」 「てっきりうちの高校の校則の話かと思った」  買い食い禁止なんて学校のルールにあったっけ? と思って、じっと先生を見つめたら、進学校だからなって小さく笑ってた。  そうなんだよね。けっこう偏差値高めの進学校で、だからこそ、夏休みなのに補習じゃなくて、予習の特別授業があったくらい。バイトも確か禁止だったと思う。 「俺は、普通の学生だったよ」 「えー? じゃあ、どんな?」 「普通」 「普通って?」 「志保みたいに綺麗でもないし、可愛くもない」  俺、綺麗じゃないし、可愛くもないよ。 「髪型は? 今と変わらない?」 「あーいや、変わる」 「え? そうなの?」  ちょっと、前のめりになった。潜り込んでいた先生の布団から、興味津々でひょこっと起き上がると、照れくさそうに笑ってる。 「部活があったから短髪にしてたよ」  わ、すご。先生の短髪。 「見たい。卒アルは?」 「持ってきてない。実家」 「えー」 「残念」  あ、勝ち誇った顔、可愛い。今の、写真撮りたかった。 「部活はサッカー。中学、高校って」 「……すごいモテそう」 「全然」 「彼女、とか、いた?」  いたよね。先生、ふつーって言うけど、絶対にかっこいいと思うし。 「まぁ、いたけど」 「……」  だよね、いたでしょ。そりゃ。そっか。彼女いたんだ。じゃあ、その子と帰り道で買い食いしたりしてたのかな。今日みたいに肉まん半分ことかしてたのかな。 「でも、フツーだよ」  いいな。先生の彼女だった人。買い食いも、登下校もできて。 「フツーに告白されて付き合って、別れて、クラスメイトの一人に戻るだけ」 「……」 「フツーのだよ」  羨ましい。  自分で振った話なのに。その話に妬いてる。もう今妬いたところで、その高校生だった先生とその彼女の邪魔をできるわけじゃないのに。 「フツーの交際」  先生の昔を、俺と出会うまでを知りたいのに。どうしたって手の届かない、今いる場所よりずっと後ろにある過去に妬いてる。 「高校の時、付き合ってたのは女子。大学でも二度付き合ったけど、どっちも女の子」 「……」  どっちも女の子なんだ。先生の恋愛対象は。 「付き合って、半年とか一年で、別れたりする、フツーの恋愛」 「……」 「今」 「?」  先生が前を見て、小さく笑って、それから、手を俺へ伸ばしてくれる。  伸ばした手で、俺の頬を触ってから、鼻先をキュッと指で摘まれた。 「今してるのは、特別な恋愛」 「!」  今、先生のベッドを独り占めしてるのは、俺で。  今夜、ここに泊まっていっても良いのは、俺で。  クローゼットの中に専用の物入れを置いてもらえてるのも、先生から家着を借りて良いのも、俺。 「……ぁ、の」 「……じゃあ、次、志保は?」 「え?」 「俺と出会う前は?」 「!」 「好きな子とか、いた?」 「い……た、けど」  クラスメイト。男子で、席が隣で。俺よりも背が高くて、ほら、学生の時は小さかったから。部活、野球部だった。坊主で。優しくて、いつも笑ってる奴だった。 「俺と、終わってからは?」 「ぇ、あ、高校?」 「そう、二年とか、三年生の時。大学生の時も」 「いなかったよ」  欲しかったけど。彼氏とか、好きな人とか。 「探したりしたけど」  だって、もう会えない先生をずっと思ってるの、ちょっと寂しいでしょ。 「見つからなかった」 「……」 「先生、よりも好きな人」 「……」  誰と会っても先生のことを思い出した。声とか、話し方、笑い方、頷き方。同じ仕草の人なんているわけないのに、ちょっとでも違うと、残念で。 「じゃあ、一緒だ」  そう言って、先生が手の甲の方で俺の鼻先をコツンって、して。 「俺も見つからなかったから」  あ。 「志保より、好きな人」  指輪。おもちゃの、いくらでもサイズが変えられる、メッキのおもちゃが、唇に触れた。敏感な唇に、骨っぽいけれど優しい手が触れる。けれど、一瞬、瞬きくらいのほんの短さで金属の硬いのを感じた。俺があげようと思った指輪。 「うん……先生」  やっぱ、まだ寝たくない。 「というか、探したんだな」 「だ、だって、もう」 「俺は探さなかったよ」 「そうなの?」 「だから俺の勝ち」 「! え、えぇ?」 「志保」 「?」  まだ、こうしてたい。 「好きだよ」  やっぱり、まだこの幸福感に浸ってたくて、眠りたくないのに、ベッドに来てくれた先生に抱き締められると、たまらなく心地よくて。 「志保」  途端に眠気に包まれてた。

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