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第53話 忘れ物
自分が写ってる写真が苦手だった。気恥ずかしくて見てられないっていうか、慌てて伏せてしまっちゃいたくなる感じで。
モデルなのにって思うけど、やっぱり自分の写真はどうしても苦手で。
けど、こんな顔、するんだ。
嬉しそうな顔してる。先生と行く旅行の話してた時に撮ってくれたって言ってた。俺、こんな顔しながら旅行のこと話してたんだ。
なんか、すごく。
「……」
幸せそうで、見てると、口元が緩んで仕方ないから。
早く渡そう。
先生にも見てもらいたいし。
だから、大学が終わってすぐ、合鍵持って先生のうちに行くことにした。
八時くらいには帰ってるって言ってたから、逆にさ、俺が夕飯作ってあげたらいいでしょ。
適当なのしか作れないけどさ。
何度か先生と行ったことのある、スーパーに寄って食材持って。先生のとこに着くのは六時、すぎるかな。けど、もしも七時に帰宅だとしても一時間ある。余裕でしょ。そう思いながら、電車の電光掲示板を見上げた。
「ぇ……あれ、本物?」
「絶対にそうだって」
そんな声が聞こえた。
視界の端、多分、高校生。わかんないけど。
「SHIHOだって」
初めて、かも。
帽子とか持ってないんだけど。
大学ではチラチラと感じることのある視線を、外で、電車の中とかでされるのは初めてだった。
ど、しよ。
「!」
困ってたら、目が合って、そんで、どうしたらいいのかわからなくて、ぺこって頭を下げたんだ。大学でヒソヒソ言われた時もそうしてるから。
「あ、あのっ」
そう、全然知らない女の子に声をかけられて、その瞬間、視線がいくつかこっちに向けられた気がして、
「は、はい」
返事の声、変に感高くなった。
「へぇ、ナンパされたのか」
「ナンパじゃないってばっ」
隣で俺の作った、なんだっけ……あ、そうそう、白菜と豚バラ肉の美味しいやつを、先生がパクって食べた。
白菜と豚バラ肉があればできるって書いてあって、簡単そうだったからこれに決めた。余ったら白菜、次の時に鍋に使えばいいしって思ったんだけど、白菜ってこんなに少なくなるんだ。びっくりした。フライパンに入れた時はやばいくらいに多いって思ったのに。出来上がったら、あんなにあった白菜どこ行っちゃった? ってくらいに量が減ってた。
先生が帰ってくる前に作りたくて、すごい急いだんだ。
一生懸命やってたら、最中に先生が帰ってきちゃって、俺の目論見は失敗に終わったんだけど。
ほら、「ご飯にする? お風呂にする?」ってやつ。
あれしたかったんだ。
けど、俺を見て、すごく、ものすごく嬉しそうにしてくれたから、いいかなって。
本当にフニャって笑って。
――何これ、幸せだ。
なんて、呟くから、いいかなって。
着替えて来ていいって言ったのに、ワイシャツのままの先生が配膳とか手伝ってくれた。出来立ての方がいいって、これ、フランス料理のフルコースでもないし、「ごちそう」なんかじゃない普通の夕飯なのに早く食べようって言ってくれたの嬉しかった。
美味しいって言ってくれて。
やばいくらいに嬉しくて。
「すごいな。本当に有名人だ」
「たまたまじゃん」
「そんなことないだろ。サインしてくださいなんて」
「でも、サインなんてないよ。だから、そういうのしたことないんでって断った。で、握手し、て……」
ふと、先生が俺の手を取った。
「先生? ……」
「握手、嬉しかっただろうな」
「えー? いや、そんなん、あんまでしょ」
「そうか?」
手、指を合わせて、しっかりと恋人繋ぎみたいに触れてくれる。
「俺は嬉しいけど」
「……」
「とっても……」
心臓が、キュって、した。
「そ……なの」
言われたら、こっちが、嬉しくて、溶けそうなんだけど。
「……」
手を繋いで、少し先生に引き寄せられて、そのまま自然に、当たり前みたいに唇が重なる。
「ん」
触れるだけのキスの後、柔らかい唇が、満足そうに笑ってる。
「志保」
「ぅ、ん」
「今日は帰る?」
けど、満足しないでよ。
「泊まっても、い?」
俺、もっとしたい。
「もちろん」
おしゃべりも、キスも。
「じゃ、泊まってく……」
セックスも。だから、満足したみたいに笑うのは、あとで、全部してから、がいいよ。
「……あ」
気がついたのは、翌日、大学でだった。
先生に見せたかったけど、折れたらやだったから、ノートに挟んじゃったんだ。それで、そのまま、昨日、急いで料理頑張って、一緒に夕飯食べて、それから、初めて、ファン、かどうかはわからないけど、人に声かけられたこと話して、セックス……だったから。
見せるの、忘れた。
朝、一緒にマンション出て来た。大学のノートとか昨日使ったっきり。カバンの中に入れっぱなしだった。
また次の時、かな。
今日も先生のとこ行きたいけど、今日の講義の、課題出されるだろうから。で、週末はまた撮影がびっしり入ってるし。そしたら、再来週、にでも写真は見せよう。
そう決めたところで教授が入ってきて、写真を別の、今日は使わないノートの中に挟み直した。
そっと、丁寧に、苦手な自分の写真だったけど。
先生のことを思ってる時の表情は、まぁ、その、いい感じだったから。
先生のこと、すごく好きなんだって顔をしてる自分、先生に見せたかった。
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