62 / 64
第60話 突然
あの頃は考えもしなかった。
先生のこと彼氏って言って、知り合いに話をするなんてこと。
モデルの仕事をしながら、先生の部屋に泊まってキスをして、抱き合って、夜一緒に眠るなんてこと。
本当に、あの頃、高校生だった頃は考えもしなかった。
「え? 今、なんて」
浮かれてたんだ。ううん。ずっと、今、この瞬間までずっと浮かれてた。先生と付き合えるってなった、あの日からずっと、嬉しくて楽しくて、ふわふわと浮かれていた。
だから、考えも、しなかったんだ。
「志保、お前、今、付き合ってる相手がいるだろ」
「……」
「いや、恋愛は自由だし、性別も特にこのご時世、とやかく言われるようなことじゃないと俺は思う」
「……」
「だが……」
そこで社長が口を閉ざした。
「あの、なんで、急にそんなこと」
今日は平日だから撮影は入ってなかった。講義を受けてた時に社長からメッセージが届いてた。すまないが、今日、大学終わったら、事務所に来てもらえるか? って。車で迎えに行きたいけれど、少し忙しくて無理だからできたら、自力で。タクシーを使ってもらって構わないからって。けど、大学行く時は帽子も眼鏡も持ってるから電車で来たんだ。
懐かしいなぁ、なんて思いながら。
前は大学が終わった後は事務所になんとなくで顔出して、手伝った方が良さそうな事務やってから帰ってたから。たまに入る通販サイトでのモデルの仕事やりながら、どっちがメインのバイト仕事だっけ? とか、ぼやきながら。今はもう事務仕事を手伝ってる暇ないんだもんなぁ、なんて。
思ってたんだ。
「写真を撮られた」
「……」
「これはまだ世に出回ってないが」
「……」
社長が見せてくれたのは、俺、だと思うシルエットと、先生だと思うシルエットの二人がただ夜の街を歩いてる写真。
「これ……」
こんなの、いつの間に。
多分、先生のうちの近くのコンビニだと思う。景色が、そんな感じ。
「うちの事務所にこのゴシップをもみ消せるような力はない」
「……ぁ」
「そのゴシップなら、うちの事務所がもみ消すよ」
「「!」」
後ろから聞こえてきた低音に社長が目を見開いて、俺は慌てて振り返った。
「え、平、川……」
「それ、俺にダメージあるから、うちの事務所がもみ消す。もみ消した、か」
「なんっ」
「ボーダレスの広告、かなりの反響だっただろ。一年契約で、初女性コスメの専属契約を俺が取れたんだ。事務所大喜び」
レミも、言ってたっけ。あそこの契約取れたらって、けど、もうそこにはすごく有名な女優さんが何年も専属で契約結んでて無理だって、リーも。
「そのボーダレスに共演してたSHIHOのゴシップでこの話がパァになったら困るんじゃね? ってことになって、今の時代、どんなゴシップがダメージになるかわかんねぇから。下手したら永久追放だってある」
「あのっ」
「だから、それ、心配しなくてもいいよ」
「それは本当に有難い。なんてお礼を言ったらいいか……」
「いや、全然、そのくらいのゴシップなら、うちの事務所何度も揉み消してるからさ。得意だし、慣れてる」
平川は不適に笑ってた。
「けど、少しだけ、志保と話してもいいすか?」
「……」
「知り合いとして」
俺は、突然、目の前に突き出された問題に、まだ、心臓が爆発でもしたんじゃないかってくらい、身体の内側が熱くて、手のひらはじっとりしとした汗が滲んでた。
「気にしないでいいよ」
「!」
「にしても、もう寒いな」
「あ、ごめ、エアコン」
慌てて壁にかけられてるリモコンでスイッチを押すと、小さな機械音が静かな部屋の片隅から聞こえた。
うちの事務所の応接室。ってことになってるけど、ほとんどただの倉庫。ほぼ誰も使ってないこの部屋はエアコンをつけることもあまりなくて、冬になりかけの空気でひんやりとしていた。
「あの、なんで、俺のこと助けてくれたんだ」
「そりゃ、応援するって言っただろ」
「でも」
ゴシップをもみ消すなんてこと、そう簡単にできることじゃないだろ。それを難なくできるような事務所なら、平川のところまで影響がこないように調節することだって簡単だっただろうし。それなのに、俺を助けてくれた。それはきっと平川がそうしてくれって言ってくれたからだ。それは平川にとってマイナスになるんじゃないのか? 事務所に手間をかけさせたんだろ?
その心配が顔に出てたんだろう。
平川が俺をじっと見て、いつもみたいにソファに浅く座りながら背もたれにゆったりと寄りかかった。
「本当に気にしなくていいよ。別に多額の賄賂送ったとかでもないし」
「じゃあ、なんで」
「映画出るって言っただろ? それの独占インタビュー枠をあげるって言っただけ。プロモにこっちも使うから」
ひらひらと、まるで軽やかな花びらみたいに優雅な笑みを浮かべてた平川の表情が、突然、厳しく、険しく変わった。
「けど、あっちは、助けられないぞ」
あっち、って。
「ゴシップはいくらでも消せる」
助けられないって。
「けど、どこからか漏れ出す、噂は」
何、を。
「一回別れたって言ったよな」
指先が痛んだ。
「それって、お前が高校の時?」
そして、体温が一瞬で消えた。
「相手って、学校の先生?」
そんな気がした。
ともだちにシェアしよう!