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第61話 氷
「電話、まだ電源、切ってる……」
何回目だろう。平川から先生のことを聞いてから電話かけまくってる。
もしも履歴が残っていたら、ものすごい数、ちょっと「大丈夫?」って心配になるくらいに、何度もしつこく先生に電話をしてる。
けど、まだ、昨日のまま、先生の電話は繋がらないんだ。
昨日、俺のゴシップのことがあったところから先生に連絡が取れてない。
――相手のところに行こうとか思うなよ。絶対に。どっかで撮られたんだ。お前がその相手と一緒にいるところ。それで探られてんだろ。今、その相手んとこ行ってみろ。確実に煽るだけだ。
そうかもしれないけど。
平川の言うとおりなのかもしれないけど。
でも、電話、昨日から繋がらないんだ。
メッセージも送ったけど、全然既読が付かないし。
何かあったんじゃ。
――ラッキーだったのは、今、お前が成人ってことだな。昔は学校の先生と生徒でした。今、そういう関係になりましたってゴリ押しもできるだろ。そう押し切るためのも、今はとりあえずじっとしてろよ。恋愛対象が同性っていうのも、結構仕事には響くぞ。色物扱いされたりとか、売り出し方間違えると、ろくなことにならない。とりあえず、時間が経つのを待て。
だから? だから先生と連絡がつかないの?
――とにかく動くな。
でも。
だって。
「っ」
頭の中で平川の言葉が俺の頭を押さえ込むように強く大きく響き渡る。
でも、先生、なんだ。
学校があって、生徒とそういう関係になってたなんて噂だけでも十分なダメージで。
もしかしたら職員室でめちゃくちゃ言われてるかもしれない。校長とか、教育委員会とかに責められてるかもしれない。
それを想像しただけで、心臓が捻り潰されそうになるんだ。
「お、志保、今日も元気か?」
先生にとってはさ、教師なのに、これ、致命傷だ。
けど、今は「元」だよ。元生徒だ。
でも、そんなの通用するわけないじゃん。
けど、今は生徒じゃない。関係ない。
でも、生徒と先生だったでしょ?
けど。
でも、生徒だった時から好きで、大好きで。セックス。
「…………どうした?」
してたじゃん。
「おい、志保?」
きっと、俺はすごい顔、してたんだと思う。
山本がいつもどおりにっこりと笑いながら声をかけて、俺が顔を上げた一瞬で表情を強張らせたから。
「……講義、受けてる場合、って感じじゃなさそうなんだけど。なんか、あったのか?」
声も出なかった。ただ、ぎゅっと握っていたスマホと一緒にそのまま腕が肩の辺りから固まったようになった俺の代わりに、カバンを持って、外へと連れ出してくれた。わずかに視線を感じたけれど、今の俺にそんなの気にかけてる余裕なんて、少しもなかった。
「なるほどな……確かに、なんか、噂になってるっぽいな。SNSでだけど」
「そう、なんだ……」
山本がスマホを見つめながら、難しい顔をして溜め息を重たげに吐いた。
知らなかった。SNS、興味なくてやってなかったから。
「お前の方の、そのゴシップはもう大丈夫なんだろ?」
「多分……」
「実際、ニュースになってないし。SNSとかで阿呆がガタガタ言ってるだけっぽい。んで、先生の方だけいらない噂っつうか、憶測っつうか、とにかく色々言われてんのかもな。それもうるさくて、先生、スマホの電源切ってんじゃね? じゃなくても、高校生なんてSNSが世界の中心って感じだろ」
「……」
「俺が見てきてやるよ」
「え?」
「学校。行ってみるよ。女子コーセーの妹を迎えに来た風にして、ちょっと様子見てきてやるって」
「けどっ」
山本がニコッと笑って、明るく、待ってろって言ってくれた。講義あんのに。それよりも、今はこっちだろって、飄々と。
また連絡するって、言って。
俺は待ってるくらいしかできそうになかった。
SNS、探すと、本当に無責任な言葉で繋がれた噂がウロウロとネットの中を漂ってた。止まることなく、浮いて流れてた。
最近気になってたモデルのSHIHOが地元だった。ここの学校。
知ってる。大学はここ。
ずっと通販のモデルやってたみたい。
ボーダレスきっかけ。
いや、めっちゃかっこいいし。
売れるよ。
イケメン。
ナチュラル感がいいよね。
しかもすごい頭良い。
先生にも評判良さげ。
夏休みに一緒に授業受けてた。夏休みだけの特別授業。
優等生。
きっと、高校生の時からかっこよかったんじゃん?
先生も気に入ってたとかでさ。
夏休み毎日学校行ってたんだって。
先生に会いに行ってたりして。
ないでしょ。
あるんじゃん?
先生と一緒にいるとこ見たって、友達言ってた。
やば。
英語の先生。
生徒と、親密とか。
しかも男同士。
そこは関係なくね?
学校の先生と生徒とか。
先生、もうクビじゃん。
何? なんなの?
友達が言ってたって誰だよ。
見たのかよ。
クビって。
その言葉に、指先が氷に変わった。冷えた、とかじゃない。氷そのものになって、体温がなくなって、きっと、今、何か、石ころでもこの指先に落ちてきたら、その瞬間に粉々になると思う。
その指が、氷になった指が、画面に山本からの着信が届いたと同時、すぐに、ボタンを押した。
『志保? 学校、来たけどさ』
「……」
もしもし? ね、先生、いた? 元気だった?
『お前の先生ってさ、桐谷?』
そうだよ。先生。
『もう学校、辞めたらしい』
指先だけじゃない。
『今日、辞めたって、通りがかった高校生から聞いた』
全身が氷になった。
『おい、志保?』
倒れたら、そのまま粉々に壊れてしまいそうな気がした。
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