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第69話 こんな朝が

 かっこいい大人。  とにかくそんな感じだった。俺の中にある先生って。  ――相田、少しだけ手伝ってくれるか?  いつだって落ち着いていて。  ――相田、大丈夫か? 鼻声だぞ。  俺のちょっとした変化だってすぐに気がついてくれて、なんて素敵な人なんだろうって、かっこいいなって、いつもいつも思ってた。 「ね、篤樹さん、歯ブラシ、このままうちに置いとくでしょ? 次、来た時用に」  先生はかっこいいって、ずっと思ってた。 「あ、ね、篤樹さんって、朝飯、もう少し待てる? 俺、目玉焼き食いたい。追加で作ってもいい?」  可愛いって思ったことは、あんま、なかったんだけど。 「篤樹さん」 「…………お前、ね」  ちょっと、可愛い人だなって思う。 「? どうしたの? 篤樹さん」  俺が名前で呼ぶ度に、ピクって一瞬停止して、ちょっと耳が赤くなる。  うん。 「篤樹さん?」  ちょっとどころか、結構可愛い。 「どうしたのって、お前、わざとさっきから連呼してるだろ。名前」  思わず、口元がふやふやになっちゃったじゃん。だって、振り返って怒ったように言ってる先生の顔が真っ赤なんだもん。 「ったく」 「そんなことないよ、篤樹さん」 「!」  ほら、また、ピクって。  それが可愛くて、にやって笑っちゃったら。 「ふごっ」  鼻をぎゅって握られた。  その拍子にブタみたいな返事をしたら、今度は篤樹さんの方が笑ってる。  昨日、たくさん、した。俺も、篤樹さんも、止まらなくて、「欲しい」が溢れてて、収まらなかったんだ。気持ちを確かめ合うように、気持ちを伝え合うように、ずっと抱き合って離れたくなかった。寝たの、日付変わっちゃってから。しかも、すっごい腹ぺこになっちゃってさ。もう一回、なんて思ったところで、お互いに、腹の虫がさ。  ――ぐるるるる、ぐううううう。  って、おーい、いい加減、飯食べてくれー、ぺこぺこだーって、大騒ぎしたくらい。  二人で笑っちゃったんだ。  それで、飯にしようかって、適当に先生が作ってくれたチャーハン食べた。俺は、お風呂に先に入ってこいって言われて。  お風呂上がったらさ、キッチンに先生がいた。  俺しか使わないフライパンで、俺が作る時よりもたくさんチャーハン作ってた。  二人分。  いつもは俺が一人分しか作らないフライパンで。  なんか、フライパンも驚いてるみたいにさ、先生がひっくり返す度に、お米がハイジャンプしてて。  ただのチャーハンなのに、なんか感動した。  ――腹ペコだったから美味いな。  そう言って笑ってたけど、俺は、本当に世界で一番美味いチャーハンって思った。  一つ一つ、感動しながら、眠ったんだ。  おやすみなさいって言って、部屋の電気を消す瞬間すら愛おしく思えた。  もう離れることを考えなくていいんだって思えた。  きっと俺たちはずっと一緒にいられるんだって、安心できた。  俺、もう貴方がいなくなっちゃう日のこととか、貴方が他所に行っちゃう時のこととか考えなくていいんだよね? 「ふふ」  自然と口元が緩んでく 「志保は、卵二つか?」 「え?」 「目玉焼き食べたいんだろ? 作るから座ってろ」 「!」  夜だけじゃないよ。  今朝だって、起きてすぐ、先生が同じベッドにいることの幸せを噛み締めた。しかも、俺のベッドだよ? ちょっと、夢みたいでさ。思わず、篤樹さんが本物かどうしても確かめたくなって触って起こしちゃったんだ。  会えないかな。  もう一度だけでいいから会いたいよ。  ねぇ、今、どこにいるの?  あの学校にいる?  俺のこと覚えてる?  先生が学校来る時間なら覚えてるよ。そのくらいに学校の前、通ってみようかな。驚く? 引くかな。今更、何? って怖がられるかな。  ねぇ、先生。  そう思いながら朝、目を覚ましたベッドにその先生がいるんだ。  夢見心地になっちゃうに決まってるよ。  昨日は一人で朝を過ごした部屋に先生がいる。篤樹さん、なんて呼んじゃったりしてる。 「はい。目玉焼き、卵二つ」 「あ、りがと」  どういたしましてって、表情だけで答えて、肩をすくめてくれる。小さな、一人で過ごすなら十分な大きさのテーブルに先生と向かいあわせで座ってる。 「あ、ね、先生、写真撮ってもいい?」 「志保の自撮り?」 「違っ! んなわけないじゃん。朝飯のっ、先生が作ってくれた!」  そんなの撮ってどうするんだって顔しないでよ。こんなの記念に撮っておかないともったいないじゃん。 「そんなの、撮っとくのか?」 「うん」  目玉焼き二つ。それに先生が切れ目を入れてくれたソーセージも二つ。 「スマホの画面に使う」 「それを?」 「うん」  記念の一枚だよ。  俺にとって、最高の朝食。 「ただの目玉焼、! おまっ」  パシャリ。 「俺は撮らなくていいよ」 「えー、なんで? 今の、いい感じだった」 「ただの寝起き顔だったろ」 「それがいい感じ。日常っぽくて、あ、これは画面に使わないから」 「当たり前だ。あとで消しとけよ」 「やだし」  でもそれ以上は何も言ってこないで、笑って、セット前の素髪に触れてくれる。 「寝癖、ある?」  ないと思ったけど。 「ないよ」  篤樹さんは笑いながら、手を合わせて、いただますをしたあと、お味噌汁を飲んだ。インスタントだけど、でも二人じゃなかったら、一人だったらインスタントでさえ面倒になっちゃってた。朝のお味噌汁って、なんか、特別な感じがする。  篤樹さんと、さ。  その――。 「志保は大学だろ?」 「あ、うん」 「今日は撮影は?」 「あ、ない」 「じゃあ、部屋の掃除と、夕食、作って待っててもいいか?」 「え?」 「絶賛無職」 「!」 「いかがです? 旦那様」 「! ………………っぷ、あはは」  篤樹さんとさ、一緒に暮らしたら、こんなふうなのかなって。  こんなふうに、朝から笑ったりするのかなって。いつも一人で適当に支度を済ませてた小さくて狭いワンルームに明るくて、少しふにゃりとしてる寝ぼけた笑い声を聞きながら、そんなことを思ってた。

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