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第71話 狭くて窮屈で

 大学終えて帰ったら、篤樹さんがいてくれた。  おかえりって言ってもらえた。  ただいまって言っちゃった。 「志保」  俺ね、嬉しかったんだ。 「なんか、あったか?」 「? な、ン、で?」  良い先生なんだって、学校辞めちゃったこと、寂しいし悔しいって思ってくれる生徒がいたこと。 「いや、なんか」 「あっ、ン」  奥に篤樹さんのが届くと、下腹部のとこが、きゅぅんってした。まるで甘酸っぱい蜂蜜漬けのレモンでも食べたみたいに喉奥が、きゅん、ってしてる。 「楽しそうだなって」 「あっ」  楽しい、っていうか。 「ふふ」 「っ」  嬉しい、って感じ。 「笑いながら、締め付けるな」 「あっンっ、あぁっ」  だって篤樹さん、めっちゃ人気だったんだもん。 「あぁっ、そこっ、気持ち、ぃっ」  だって、手巻き寿司、美味しかったんだもん。  ワインはやっぱりちょっと苦手だったけど。柚子サワーの方が断然美味しかったけど。篤樹さんはちょっと甘いすぎないかって、甘いの飲んで渋い顔してたけど。 「あ、あ、あっ、篤樹さんっ」 「志保」 「?」  だって。 「好きって、言って、志保」 「っ、ン」  幸せ、なんだもん。 「あ、篤樹さ、ンッ、好き」  奥が溶けちゃいそう。篤樹さんの硬いのがすごく熱くて。 「あぁ、好きっ、篤樹さんっ」  帰ってきたら貴方が楽しそうに笑ってくれたんだ。おかえりって単語があんなに気持ちをあったかくしてくれるんだって、わかった。ただいまって言ったら、今日の疲れが吹っ飛ぶ気がした。 「好きっ」  それから手巻き寿司して、一緒にお風呂入って。ちょっと狭かったけど。完全一人暮らし用の部屋だからさ。けど狭いのも嬉しいよ。貴方がいるんだって実感できる窮屈さを堪能してる。 「俺も、好きだよ。志保」 「!」 「好きだ」  ねぇ、本当。 「あ、ダメ、イクっ、篤樹さんっ、イク、イクっ」 「志保」 「あ、あぁあっ」  幸せだ。 「……そういえば本屋さん行ってきたの?」 「あぁ、夕食の買い物ついでにな」 「参考になりそうな本、あった?」 「あったあった」 「?」  そこで篤樹さんがニヤリって笑った。  バスルームも部屋も狭いけど、ベッドはもう少し大きいのがよかったかもね。マジで完全一人用なんだ。先生のベッドはもう少しだけ広いよね。っていうか、俺のは申し訳ないくらい狭いんだ。部屋が小さいからさ。ベッドもできるだけ小さくしたんだよね。別に誰かと寝る予定なんて皆無だったから、俺一人が眠れたらそれでよかったし。  そのベッドの前でボディクリームを塗ってるところだった。  冬が近くなってきたからちゃんとケアしとかないとさ。肌も髪も。篤樹さんに気に入ってもらえる身体でいるためにも。  篤樹さんはベッドの脇、布の簡易的なバッグの中から、本を――。 「! そ、それっ」 「すごいな、雑誌に載ってる」 「!」  SHIHOだ。  しかも、これ。 「この写真、いい表情だ」 「……」  ――ね? すごくいいでしょ。モデル、頑張って。  あの時のだ。 「この写真なんて、すごく楽しそうだし」  俺にくれたあの写真、使わなかったんだ。あのカメラマンの人。 「それ、あの写真のだよ」 「?」 「俺の、これ」  ほら、同じ服、着てるでしょ?  篤樹さんは、本当だって目を丸くしてる。俺はそんな篤樹さんの膝に顔を乗っけながら、買ってきてくれた雑誌を覗き込んでた。 「この写真、これは篤樹さんと行く旅行の話してた時に撮ったよ」  めっちゃ笑ってんね。恥ずかしいくらいに嬉しそう。あ、しかも、なんかこの辺、服ちょっと皺感出ちゃってない? いいのかな。通販とかだとアウトなんだけど。皺できるだけ出ないようにってポージングするからさ。でも、まぁ、なんか、着心地良さそうではあるかな。うん。生地が柔らかそう。実際、この服、すっごい着ててリラックスできたんだよね。シルエットがさスリムで綺麗だったのに、着てる心地は窮屈な感じが一切なくてさ。 「これはイルミネーション見たいって言った時。ほら、篤樹さんとこれからどこ行きたい? みたいな話してた時あったじゃん。あの時のことを話しててさ」 「……」 「けど、どうなんだろうね。楽しそうだけど、あんまモデルっぽくなくない? なんていうか」 「いいんじゃないか?」  頭を撫でてくれた。大きな手のひらは世界で一番、俺の髪を艶々にしてくれる魔法の手に思えた。 「見てるこっちも笑顔になる」 「……」  そう? かな。 「あの時、本当に旅行行けたらいいなって思ったよ」  たくさん行きたい場所の話をした。 「どんどん羽ばたいてく志保の隣に、俺はまだその頃いられるんだろうかって思いながら」 「! いるし! 冬も、春も、夏だって、指輪だって」  大慌てでそう言ったら、そのでかい声に篤樹さんが瞬きを二回して、それからくしゃっと笑った。笑って、それで。 「あぁ」  そう言って頷いてくれた。 「そうだな。ずっと一緒だ」  頷いて、おでこをくっつけてくれる。 「モデル、頑張れよ」 「……」 「俺も、新しい先生頑張るから」 「……うん」  ここから伝わりますように。  貴方への好きが。  貴方からの好きが。  くっついた場所から伝わりますように。  それなら、やっぱりちょうどいいかもしれない。隙間なんてないほど抱き合って眠る俺たちには、このくらいのベッドでもちょうどいいのかもしれない。

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