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ちゃんと恋人編 2 友だち同士

 今日は撮影短く済みそうだけど、課題とか今のうちにやっておこうかな。 「今日の撮影はすごいぞー」 「もうそれ、一週間で十回は聞いたってば」  タブレットをカバンの中から出そうとしたところだった。運転席の方に顔を上げると、社長がそうだっけって、楽しそうに笑ってる。  十回以上、一週間は七日。だから、一日に二回それを言われてる日もあるってことだ。休みで社長に会ってない日もあるから、もしかしたら毎日二回言われてるって感じかもしれない。  でも、そのくらい、今日の仕事はまたいいきっかけになるかもしれない。 「それに、分かってるってば」  今日の撮影はきっと早く終わる。  何せ、相手が平川大師だから。  超絶売れっ子。去年、一緒に仕事をした時もかなり人気で、見ない日はないかもしれないってくらいだったけど、今はもっとすごくて、CMは今、タレントの中でダントツ一位の八本も持ってるって、この間、芸能ニュースで言われてた。映画の公開が控えてて、来年、新年の大型ドラマの主役に抜擢されるんじゃないかって噂されてる。  そんな超絶売れっ子はもちろんいつだって忙しいから、今日の撮影も押すことはないと思う。  そもそも、あいつ、ダラダラ長いの好きじゃないし。パッと切り替えて、パッと撮って、サッと帰る。あの長い足で颯爽と現場を去っていく姿が簡単に想像できるよ。  けど「ボーダレス」の撮影の時はそんなことなかったな。  なんか、のんびり雑談とかしてたっけ。  でも、もう、今は、そんな同年代との戯れも――。 「ほら、着いたぞ」 「はーい」  スタジオの裏手駐車場に車が滑るように入って行くと、日中の日差しを遮れる木の下に停まった。 「俺、降りるね、社長」  撮影だ。  しっかり、やろう。  そして一つ深呼吸をして、レポートに頭を抱える大学生から、今、トップの仲間入りをして先頭に踊りでようとしてるSHIHOにスイッチを切り替えた。  今日はファッション雑誌の撮影なんだ。  今、エンタメのトップを走る平川と、ショーモデルっていう世界で、たいして背が高いわけでもないモデルが一人、その頂点に向けて手を伸ばしてるSHIHOのツーショット。あのコスメランキングを総なめした「ボーダレス」から一年後のそれぞれをフォトグラファーに収める――。  とか、だったかな。打ち合わせの時に編集者の人から聞いたテーマは。 「はーい、いいねぇ、最高」  カメラマンさんがテンション高く声を張り上げると、騒がしいくらい、カメラのシャッターを切る音がスタジオに響き渡った。 「おー、すごくいいじゃーん」  褒められて平川が不敵な笑みを浮かべカメラの前に仁王立ちをして見せる。  俺は、そうだな。この雑誌の発売って夏、だよね。  暑いかな。雨降ってないかな。毎日暑くて、気だるいかな。なら、こんな表情はどうだろ。  右の横顔の方がお気に入りなんだ。だから、そっちをカメラに向けながら、少し目を細めて、気持ち良さそうな表情をしてみた。ちょうど夏服だし、暑くて、バテそうって時にはこういうサマーニットのサラサラした感じ、気持ちいいだろうから。 「……ぉ」  あ、カメラマンの人が足踏み止めた感じ。  じゃあ、この表情気に入ったっぽい。  なら、こうやってみる、とか?  首を傾げて、最近少し長めにしてる髪を耳にかけたり。 「……うん」  そうカメラマンが小さくだけど頷いたのが分かったから、手探りで見つけた、この人の「好み」を演じようと、目を一回閉じて、スイッチの、気持ちと表情のスイッチボタンを押すように、目を開けた。 「お疲れ」 「……ぁ、お疲れ」  もう帰ったかと思った。  やっぱり平川との仕事は予定よりも一時間も早くに終わった。で、着替えて、今、スタッフさんたちと軽い打ち合わせをしている社長を待ってる間に、篤樹さんに連絡をしておこうと思った。  日本語学校ってさ、終わるの遅いんだ。  学校の先生をしてた時は朝行って、夕方七時くらいに帰ってくる感じだったんだけど、今は、お昼ちょっと前に学校に行って、学校でお昼を食べながら、授業の準備をする。実際の授業は七時間。途中、夜に一時間の休憩があるから、そこで夕食を済ませたりもする。俺の仕事があんまり遅くならないようなら、その休憩時間に夕飯は食べずに、授業の準備とか雑務をこなして、帰ってから食べる。  そんな毎日。  だから、今日は早く終わりそうだよって、連絡をしておいた。 「まだ、いたんだ」 「失礼だな」 「だって……」  平川忙しいじゃん。この撮影が終わっても次の仕事があるでしょ? だから、もうそっちに移動しただろうと思ってたのに。 「まぁ、このあとも撮影がラスト一個残ってるけどな」  ほら、やっぱり。それにしても大変だ。今からもう一本撮影が残ってるなんて。 「お疲れ様」 「……なんか」 「?」 「お前、良い感じになったな」 「……はい?」  何が? そう怪訝な顔をして見せると、平川がおかしそうに笑ってる。 「いや、なんか、いいモデルといい仕事できたなぁって思っただけ」 「はい?」 「それよりまだ続いてんだな」 「……」 「先生」 「続いてる」  SHIHOに同性の恋人がいることは公表はしてる。プロフに書いてあるとかじゃない。でも、そうなんですか? と訊かれたら隠すことなく、そうなんですって答えるって感じ。  だから、まぁ、恋人がいるっていうのは、知られてる。 「すごいな」 「また、その話? 芸能人と一般人、みたいな」  住む世界が違うとか、そのうちすれ違うぞ、とか。 「いや」 「?」 「あ、そうだ」  何?  ほんと、自由なんだよ。平川って。  話がぴょんぴょんあっちこっちって飛んでいく。 「俺、芸能ニュース興味ないんだ」 「…………はぁ」  だから、何?  そう不思議そうな顔をすると、平川が、やたらと楽しそうに笑ってた。 「その恋人がいるからこそ、今のSHIHOなんだろうなって思っただけ」 「……?」 「今のSHIHOの表情と、昔っから持ってた服への敬意とセンス」 「……」 「いいモデルと仕事できたって嬉しかっただけ」  すごいのは平川で、才能も、人気も、何もかも持ってるのも平川だけど。 「あ、りがと」  そう言われると、くすぐったくて、俺は、なんだか、さっきカメラの前では作れた笑顔を作り損ねて、「ふーん」なんて愛想のない、子どもみたいなリアクションになってた。 「あはは」  それがおかしかったのか、平川が笑ってる。いつもの、不敵で、大人びていて、王様みたいな感じじゃなくて、もっと幼くて、もっと気さくで、もっと優しい笑顔だった。

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