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第3話

 メロスには怒られた。俺もバイトそっちにしときゃよかったわと小突かれた。知り合いの知り合いのツテでちょっとかわいいJKの家庭教師になれたと浮かれていたくせに。  母からまた電話があったので、連休の前半に3泊だけ帰ることにした。人が作ってくれたものを食べたい気がしたのもあった。4列シートの狭いバスを使った。車内の乾燥がひどくて喉を痛めた。 「ちょっと痩せたじゃない」  顔を見るなり母は言った。バスが着く駅の駐車場で顔を見るなりすぐだ。実家を出てからほんの1月しか経たないのに目に見えて痩せるわけがないと思った。車の中で、お金の入った封筒を差し出された。断った。3回断っても引っ込めてもらえなくて、結局受け取ってしまった。  家に入ると、ちょうど出かけるところだったらしい上の弟が、うわワタ痩せたと言った。  その日の夕飯は父が半分、母が半分作った。父は、昔は土曜の昼のカレーくらいしか作らなかったくせに、今は揚げ物が趣味らしい。体を使う訓練だと父は笑う。間違いなく顔に肉がついた。父の揚げたメンチカツを(わたる)の皿に移しながら母が言う。 「あんたこっちで予定ないの。葛城くんとか」  葛城とは、高校の3年間ずっと同じクラスだった。初めて話をしたときから不思議と気が合って、同じハンドボール部に入った。航が部活をやめたあとも、休みがあればすぐに誘ってくれて、お互いの家を行き来したり、近くの運動公園で走り回ったりした。他のどの同級生より一緒にいて心地がよかった。志望校も同じ地元の大学で、葛城が部活を引退したあとは、毎日2人で勉強をした。合格したら2人で通おうと約束をした。航は落ちて葛城は受かった。葛城は困ったような顔をしていたけれど、航はおめでとうと言った。あれから2ヶ月も経つだろうか。久々に来たメールには、連休は帰ってくるのと書いてあった。わからないと返したままだ。 「家のこと手伝うよ」  そう答えて食事を終えた。上の弟が風呂を溜めてくれていた。久しぶりに1人で風呂に入って、誰の体もないことに安心した。体を洗いながら鏡を見てみたけれど、そう痩せたようには見えなかった。  翌日、掃除機をかけたり庭木の面倒を見たりして過ごしていると父に叱られた。せめて家族ででもいいから出かけようと言われて、夕方、両親と1番下の弟と4人でドライブをして、夕方になって残りの弟たちを拾って、近所の安い焼肉屋に行った。  3日目、やっぱり高校の友だちと遊ぶと母に言って街中に出た。別に誰とも約束はないし、あまりお金も使いたくない。大通り沿いの繁華街と、そこから枝分かれしている半分シャッターの降りた商店街をぐるぐる歩いた。マクドナルドの前で肩を叩かれて振り向いた。葛城だった。日焼けして、丸刈りに近かった髪を伸ばしはじめて、ジャージではなくなんだかおしゃれなシャツとズボンを着ているけれど、葛城だった。航は驚いて、謝ってしまった。 「ごめん、帰ってくることにしたんだけど、言ってなくて」 「いいって。元気してた? ヒマ?」  葛城の手は航の肩にかかったままで、熱いと航は思った。 「おお。どうする? メシにする?」  航は右手でマクドナルドを指した。 「え、でも、いいの」 「いいって。俺も小腹空いてたし」  2人でマクドナルドに入った。葛城がこれがうまいとかこれが得だとか言ってあれこれと注文したあと、航はハンバーガーとコーラのSを頼んだ。  葛城は中学からハンドボールを始めて、高校3年生の引退試合まで部活一本でやりきって、そこからの受験勉強で航の本命校に受かった。けれど、大学ではヨット部に入ったそうだ。航は驚いた。ヨットと言われても海の絵に浮いている三角の船というくらいしかイメージがないのだけれど、葛城にとっては面白いものらしい。 「トレーニングキチいけど。下っ端だし」  ちっともキツくなさそうな顔で笑う。葛城には、たぶんキツいことなんて何にもない。クレヨンで青く塗った海の上を、真っ黒な葛城が白い船に乗って通り過ぎていくところを想像する。たぶん格好いいだろうと思う。 「モテそう」 「んーどうだろ、男も女もめっちゃ体育会系ノリだかんなうち」  葛城が自分の後ろ頭を掻く、その手首の筋を航は見る。他人の体を見ている自分にはじめて気づいたのは、たぶん葛城といたときだったと思う。 「女の子いるんだ。マネージャー?」 「もいるけど。選手のが多いよ。皆して部室溜まってる」 「へえ」  航はコーラを飲んだ。 「新藤は? 寮ってやっぱおもしれえ?」  清渓寮の話なら間をもたせられる。航はメロスの言動についてできるだけ誇張して喋った。葛城が笑うので安心した。笑っている口元を見ながら話した。話の隙間隙間でコーラを飲んだ。最後の方はほとんど氷の溶けた水しかなくなったけれど、それでもストローを吸った。一通り話したあと、葛城は言った。 「じゃあ、また夏に会おうな」 「うん」  頷いて見せながら、きっと会わないなと思った。  葛城とマクドナルドの前で別れて携帯電話を開くと、ガンディーさんからメールが来ていた。連休明け月曜に店で歓迎会どうですか。火曜も1時間目からだけれど、談話室に行くより安全だと思った。

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