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第1話 殺人の森
一連の事件が一先ずの解決を迎え、直桜たちは岩槻の事務所兼自宅に戻った。約一カ月間の警察庁での共同生活は、色々あったものの楽しかった。だがやはり、二人で暮らすこの部屋に戻ると、日常が戻った気がして安心できた。
今日の直桜と護は、一カ月放置した事務所の掃除に勤しんでいた。
「忍も陽人も、急すぎるよね。そんなに急ぐ必要、無いと思うんだけどなぁ」
「紗月さんの所属部署の関係もありますし、十一月には仮稼働したいと話されていましたから、仕方ありませんよ」
困ったように笑いながらも、護は嬉しそうだ。
護が嬉しいなら仕方がないと、直桜はボヤキを飲み込んだ。
二人が何故、戻って早々に事務所の掃除を始めたのかといえば、総ては陽人の一言に起因する。
『今年中に大規模な部署変更と人事異動をしようと考えていてね。その足掛かりとして、新部署を設立する。お前たちの移動先でもある。今の事務所が本部になるから、片付けておくようにね』
以前に忍からぼんやりと打診があった新部署移動の話は、思った以上に早く具体的に降りてきた。
怪異対策担当を『怪異対策・組織犯罪担当』に変更し、怪異対策室と組織犯罪対策室の二部署に細分化する。
互いに連携を取りながら、各々の仕事に専念するための変更だという。室長にはそれぞれ、水瀬律と藤埜清人が着任したが、担当統括に収まったのは重田優士だった。
「重田さんは警察庁の組織犯罪対策部に長く籍をおいてたんだよね。この新部署立ち上げを見越した移動だったのかな」
「きっと、そうなのでしょうね。桜谷さんの行動に無駄があるとは思えません」
護の言う通りだなと思う。
『組織犯罪対策室』、明らかに反魂儀呪の存在を意識したこの部署に異動になったのは、直桜に護、紗月、室長に任命された清人だ。
意外なことに呪法解析室の花笑円と峪口智颯が兼任の形になっている。
(惟神が三人も所属しているあたり、陽人の本気が垣間見えるな)
更には、統括に起用した重田優士を、副長官である自分の秘書官と兼任させている。陽人自身も組織犯罪対策室の仕事に関わる気でいるのだろう。
陽人も忍も、反魂儀呪を本気で解体逮捕する算段を付け始めたのだと感じた。
「捗ってるかぁ。手伝いに来たぞぉ」
何の気配もなく、清人が突然、玄関の扉を開けた。
インターフォンを押さないのは相変わらずだ。
「ありがとうございます、清人さん」
慣れているせいか、護がにこやかに挨拶している。
「清人、インターフォン押す癖、つけようよ」
仕方がないので直桜が清人に苦言を呈した。
「もう必要ないだろ、インターフォン。地下十三階のエレベーター降りたら、この事務所の扉しかないんだし、押す奴いないと思うぞ」
直桜は、むぅと頬を膨らませた。
岩槻にある直桜たちの事務所は、警察庁の地下十三階と連動して組織犯罪対策室の事務所として活用される運びとなった。勿論、梛木の空間術だ。
それはそれで移動の手間も省けるし、便利で良いのだが。
「もう事務所でイチャイチャできないなぁ」
ニシシと笑って、清人が直桜の膨らんだ頬を指で押す。
「イチャイチャとか、しないよ」
ふぃっと顔を背ける直桜を、清人が面白がって眺めた。
「そうむくれるなって。扇屋のシュークリーム買ってきてやったから。ちょっと休憩しようぜ」
清人の手元の箱に目を向ける。
日本橋扇屋は江戸時代から続く和菓子の老舗で、最近は洋菓子も作っている。特にシュークリームは午前中で売り切れてしまう幻の銘菓だ。
「清人って、良い人だったんだね。俺もう、事務所で護とイチャイチャしない。ちゃんと部屋でする」
「わかりやすいねぇ、お前。直桜を買収するなら菓子だなぁ」
「お気遣いありがとうございます。今、コーヒーを淹れますね」
護が苦笑いしながら、キッチンにコーヒーを準備しに行った。その後に付いて、直桜と清人もキッチンで休憩することにした。
「殺人の森って噂、知ってるか?」
コーヒーを飲みながら、清人が不穏な話を始めた。
「やっぱり仕事の依頼? 清人が只で幻の銘菓を差し入れしてくれるわけないって思ったよ」
「理解が早くて、よろしい」
悪びれもせず、当然のように清人が頷いた。
「この辺りで殺人の森といえば、七里にある心霊スポットですよね? 殺人事件で死体が遺棄された現場で、殺された女性の霊が出るとか、そんな噂だったと記憶していますが」
「七里って岩槻の隣の?」
直桜の問いに、護が頷いた。
「実際は殺人事件なんか起きてないし死体も遺棄されていない。噂だけが独り歩きして心霊スポットになっちまった場所なんだよ。心霊現象のシの字もなかった、最近まではな」
シュークリームに食いつきながら、直桜は首を傾げた。
清人が指を折りながら説明を続けた。
「この三か月で大学生が三人、高校生が四人、近隣在住の四十代から六十代の男女三人がこの場所で行方不明になってる。未だ発見されていない」
「前にも聞いたような話だね」
反魂儀呪が儀式を行っていた時にも、警視庁管轄だった行方不明事件がオカルト案件として13課に回ってきた。
直桜の言葉を、清人がぴしゃりと否定した。
「今回は反魂儀呪の仕業じゃぁなさそうなんだよねぇ。どうにも、妖怪臭い。だから最初から13課案件になった」
直桜と護は顔を合わせた。
「殺人の森、入ったことあるか?」
清人に振られて、護は首を振った。
「噂程度にしか知りませんし、眉唾だと思っていたので確認もしていません。管轄も違っていましたから」
話だけを聞くなら、怪異対策担当の案件だ。霊・怨霊担当だった護が立ち入る事件ではない。
「確かになぁ」と前置きして、清人が説明を続けた。
「あの森の中には小さな神社があるんだが、そこに続く道に細い辻がある。どうも辻神の仕業らしい、ってのが、諜報担当の見解だ」
「辻神か。まぁ、納得できなくはないね」
二個目のシュークリームを頬張りながら、直桜は考え込んだ。
辻神は呼び名に神と付いてはいるが、道の辻に住む魔物の総称だ。ほとんどが妖怪で、人に害を成す者が多い。
「しかし、今まで七里で行方不明事件など、聞いたことがありません。何故今になって、被害者が出たのでしょうか?」
「夏休みだったからねぇ。粋がって度胸試しとかしちゃった若者がやられたんじぇねぇの?」
清人のふざけた発言も、あながち間違ってはいないだろう。
妖怪や怨霊に連れ去られるケースのほとんどが、自ら出向いた心霊スポットで被害に遭っているらしい。
「確かに夏場はそういった事件が増えますが。近隣在住の方々は今更、度胸試しなどしないと思いますが」
「近隣の人間に関しては、生活道路として使用してたみたいよ」
「仕事帰りに近道だから使用した、とかですかね」
護が納得の頷きをする。
「けどまぁ、確かに今更っちゃ今更なのよ。殺人の森も神社も辻も昔からある。なのに何故、今になって被害が続出したのか」
「何かのメッセージかな」
ぽつりと呟いた直桜の言葉に、護と清人が振り返った。
「それだけ派手に人を攫えば13課が動く。狙いは俺たちを誘《おび》き寄せることの方かもしれないなと思って」
「有り得なくはねぇなぁ」
清人が空《くう》を眺める。
「でも、この案件は怪異対策担当の管轄ですよね? 何故、我々に?」
「そりゃ、近いからだよね」
護の問いに、清人があっさり答えた。
殺人の森がある七里は岩槻に隣接した区域で、車で十五分も走らずに到着する。
直桜が、じっとりした目を清人に向ける。
清人が苦笑いした。
「実のところ、怪異対策担当の主要面子が揃って外してんのよ。新部署立ち上げの煽りっつーか、水瀬さん始め数名が関西支部に行っちゃってんの」
怪異対策担当は関東と関西に一ヶ所ずつ部署がある。関西支部は今までも事実上、独立した機関だったので、今後の扱いをどうするか、話し合いに出ているのだ。
「つまり、動ける人間が我々しかいないのですね」
護が諦めたように納得した。
「怪異対策・組織犯罪担当」と一つの部署にまとめられている以上、無視も出来ない。
「新部署の仮稼働は十一月からだけど、もう新しい部署のつもりで動いていいぞ。俺も引き継ぎ終わって、組織犯罪対策室の室長の仕事を始めてるしな」
新しい霊・怨霊担当の統括は、長らく籍を置いていた清祓師の家系が担うらしい。
「急ではあったけど、色々と収まるところに収まった感はあるならな。今更、お前らを咎める輩もいないさ」
その辺りは流石、陽人だなと思う。
新しい部署編成の組織図は確認している。複雑化してはいるが、前より機能的に感じた。直桜より内情に詳しい清人がそう感じるのだから、きっと前よりしっくりくる配置なのだろう。
「これが新部署の初仕事になるのかな」
三個目のシュークリームに伸ばそうとした直桜の手を、清人が弾いた。
「食べ過ぎ。これから紗月も来るから、残しといてやれよ」
「紗月、来るの?」
地下十三階の軟禁状態を終えた紗月は今、清人のマンションで一緒に暮らし始めたらしい。何のかんのと、順調そうだ。
「事務所の片づけは俺と紗月でやっといてやるから。お前らはさっさと辻神の様子を確認して来い」
上司の命令で、直桜と護は七里の辻神の元へと向かう羽目になった。
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