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第11話 待ち伏せ

 護が円から連絡を受けた次の日。  直桜たちは新宿歌舞伎町の、とあるビルの前に立っていた。 「ここの地下にbugsの精子バンクがあるんだね。如何にも風俗店な感じだけど」  狭い路地の狭い区画に立ち並ぶ一棟のビルを上から下まで眺める。 「そうですねぇ。半分、風俗ですよぉ。建前は献血と同じで善意の精子提供のための施設ですけども」  花笑初が半笑いで応えた。 「精子の採取については産婦人科学会の基準に沿った規定は設けているようですが、持参方式ではなく、基本その場で抜いて採取という方法で精子を集めているようです」  花笑稀が表情も変えずに淡々と語る。 「精子バンクって、日本には明確に規制する法律ないって話だけどさぁ。こういうとこ利用する奴とか、なんか、もう殺しちゃえばいいって思うよねぇ」 「ねー」 「うん」  瑞悠の物騒な言動に初が笑顔で同意している。表情は変わらないが、稀も輪の中で頷いている。  三人娘を前に、護が苦笑いしていた。 「曲がりなりにも神様を背負ってる惟神なんだから、殺すとか言っちゃダメ。利用している人は完全に善意かもしれないんだから」」  直桜は珍しく苦言を呈した。 「えー、そうかなぁ。普通の風俗行くより、ある意味で質が悪い気がしますけどぉ」  初が眉を下げた顔で苦笑した。  今日ばかりは保護者に徹しなければならないと、何となく思った。  淫鬼邑から戻ってからの数日間で、bugsの精子バンクについてはかなり情報を集められた。それというのも花笑の草のお陰だ。  智颯と瑞悠の護衛に入った円や初、稀も大きく貢献してくれた。 「抜く時、じゃなくて精子採取の時に手助けと称して女の子や、場合によっては男の子が、文字通り手を貸すんですよぉ。手助け付の場合は有料でしたぁ」 「恐らく、その子たちがbugsのメンバーであると思われます。保輔に良いように使われているのでしょう」 「霊の感度の高さで客のランクを決めているみたいでぇ、霊感高いほど好待遇! 普通の風俗より激安です」 「店の中には淫気、被験体の皆様が発するフェロモンと同成分の香が焚き締められているようです」 「つまりぃ、お客様は皆ぼんやりしてるから、中で起きていたこと、ほとんど覚えてないんですねぇ。気持ち良かったなぁってだけ」 「建前は精子バンクですし、快楽を得て善行をした気分になり帰れる。しかも相場の半額以下で遊べる。そんな場所ですから、客に守られ、これまで摘発も免れてきたものと思われます」 「名目上は風俗法にはギリ違反しないかもだけどぉ、採取した精子を法外な値段で売り捌いてるのが一番の問題ですかねぇ。取引相手に確かに理研も入ってましたしぃ」  初と稀が交互に説明をしてくれた。  事前に送られてきた資料よりわかり易くて助かるが、年頃の女の子に喋らせて良い内容か、些か戸惑う。 「お浚いしてくれて、ありがとう。わかり易くて、助かるよ。資料を読んでも思ったけど、よくそこまで調べられたね」 「ウチの草が体験入店したんで、丸わかりですぅ。ちなみに可愛い女の子が一緒に気持ち良いコトしてくれて、無事に精子採取してくれたそうでーす」 「実際は、手助けの子に突っ込んで殺精子作用のない特殊なゴムに出させて精子採取というのもあるようです。風俗法にも違反ですね。行為としては、がっつり本番ですから。あ、ウチの草はやってませんよ。他の客です」 「その辺は、他の風俗にもありがちなグレーゾーン的な話なんでしょうねぇ。精子バンク的には、その精子、使えんの? って思いますけどぉ。ま、新鮮なうちに液体窒素で凍結させれば問題ないのかもですけどぉ」 「そういう問題ではない気がします、初姉さん」  思いもよらない初と稀の会話の応酬に、ドキリと肩を震わせる。 「フェロモンと同じお香が焚かれてたんでしょ? 中で起きたこと、よく覚えてたね。しかも他の客を観察する余裕まであったんだ」 「勿論、潜入組と観察組に分かれてますよぉ」 「我々草は、直桜様のように神力で弾いたりはできませんが、体に毒を慣らす耐性術があります。時間はかかりますが、慣れれば自我を保てます」 「そうなんだ……」  感心しすぎて最早、それしか返事ができなかった。  花笑家は、様々な名称を持ついわゆる忍の中でもかなり稀な霊能特化の一族で、本来は呪詛返しを生業とする特殊な草らしい。  有史には既に家系図が存在するほどに、歴史の長い家柄だ。時代が下るにつれ、花笑特有の様々な術が編み出されてきたのだそうだ。 「その耐性術、私も是非体得したいですね」  護が直桜の後ろでぽつりと呟いた。 「護には解毒術があるし、俺の神力を巧く使う方法を考えた方が現実的だよ」  直桜の言葉に、護が目から鱗が落ちたような顔をした。 「にしても、やっぱりセキュリティの甘さが気になるな。罠とかないといいけど」  優士が警察庁の組対4課に出向していた頃は、マークされていながら逮捕されてはいなかった。霊力がなければ摘発が難しい対象ではあるし、理研や反魂儀呪が裏から守って警察やそれ以外の追撃を免れてきたのかもしれないが。そう考えたとしても、今回の13課の調べが順調すぎる。 「注目度の問題じゃなくてぇ? 今まで槍玉に挙がってなかったから、色んな目をすり抜けてきた的なイメージだけどなぁ」  瑞悠の発言も一理あると思う。  集魂会の行基や槐の発言がなければ、13課がbugsや伊吹保輔を監視対象に挙げることはなかっただろう。 「いずれにしても、警戒するに越したことはないでしょう。円くんと智颯君の話の内容を思い返しても、誘導されている印象は否めません」 「確かに、そうだね」  護の言葉に、直桜は頷いた。  昨日、智颯と円が帰宅後、組織犯罪対策室の事務所で会議になった。室長の清人も紗月も同席したので、兼任の二人を含め、初めての全員参加での会議だ。  智颯と円が学校で遭遇した妖怪と伊吹保輔の繋がり、花笑の草が集めた精子バンクの情報など合わせて急遽、今日の作戦が決まった。  智颯と円が保輔に接触するのに合わせて精子バンクと併せての摘発だ。強く押しきったのは、意外にも智颯だった。 (いつもの智颯らしくなかった。何かを焦っているような。大変なことにならないといいけどな)  直桜が知っている智颯は、充分な下準備をして結果の確信を持ってから事にあたる、常に確実を求める人間だ。  今回の作戦は、あまりに唐突で場当たり的な印象を受けた。  直桜が智颯と集落で暮らしていたのは、智颯が中学に上がる前までだから、多少の考え方など変わっているのかもしれない。だが基本的な性格が、そう変わるとも思えない。 「不安ならぁ、スタッフ側に変装して、私が潜入しましょうかぁ?」  黙り込んだ直桜を案じたのか、初が声を掛けてきた。 「それはダメ。どんな危険があるかわからないし、女の子の初を準備もなくそういう現場には行かせられない」  今回の現場指揮は直桜だ。被害は出したくない。  そうでなくても、この手の事件で女の子に無理を強いるのは嫌だった。  初と稀が驚いた目で顔を合わせる。 「直桜様ぁ、我々に遠慮は無用ですよぉ」 「必要があれば仕事で性交も行います。それが草です。この程度は赤子の手を捻るようなもの。お気になさらず」  直桜の心中を察してか、初と稀から、とんでもない情報付きのフォローが入った。  とりあえず二人を、ぎゅっと抱き締めた。 「俺が口を挟める立場じゃないけど、なるべくそういう仕事が入らないよう、祈ってるよ。とりあえず、今回はダメだから」  男女関係なく、好きでもない相手と性交なんて嫌だろうと思う。少なくとも、直桜は嫌だ。  腕の中の二人は顔を見合わせていたが、嬉しそうに頷いてくれたので、安堵した。 「直桜様、みぃも。みぃも、ぎゅってされたい」  一人だけしないのも可哀想なので、とりあえず抱き締める。 「瑞悠は突っ走らないで、今回はちゃんと俺の指示に従って、頼むから」 「わかってるってぇ」  嬉しそうにしているが、きっとわかってないだろうなと思う返事が返ってきた。直桜の中にぼんやりとした不安が擡げた。  直桜の不安げな様子を見ていた護が、肩を叩いた。いつになく同情的な表情だ。女の子を三人も抱き締めても嫌な顔をしない辺り、護も直桜と同じ心境なのだろう。 「とりあえず、昨日の打ち合わせ通り、智颯と円くんの動きに合わせて突入するから、準備はしておこうか」  地下へ下る階段を一瞥すると、直桜たちはその場を離れた。 「ちぃ、大丈夫かな。保輔にめちゃくちゃにされてたら、みぃ、本気で保輔殺しちゃうかも」  歩きながら零した瑞悠の言葉は確実に本音だ。気持ちは解らなくもない。 「大丈夫だよぉ、みぃちゃん。円はめちゃくちゃのぐちゃぐちゃにされても立ち直れるはずだから、智颯君を守るってぇ」  初が瑞悠を励ましている。有難いが、弟への扱いが雑過ぎて同情する。 「円は智颯君のお陰で心も強くなりました。きっと命を捨てて智颯君を守ります」  稀の言葉は多少マシに聞こえるが、弟への配慮としては正しいのか微妙だ。きっと草の者としては良い評価なのだろう。 「どっちにしても、自分から囮を買って出たのは智颯だからね。ある程度は瑞悠も覚悟して。一番は自分が暴走しないように、気を付けること」  直桜の注意に、瑞悠が不満げな顔をする。 「最悪の事態が起きないための準備は、智颯君も円くんも出来ています。二人とも弱い術者ではありません。きっと大丈夫ですよ。信じましょう」  護に微笑み掛けられて、瑞悠が頷く。  不安そうにしながらも、一応は気持ちを落ち着けたようだ。 「じゃ、空間術で移動しよっか。学園の様子も確認したいしね。護、大丈夫そう?」  護が安定の表情で頷く。 「近距離なら五回前後は移動可能です。勿論、余力もありますよ。直桜の神力のお陰です」  護が自分の腹を摩る。ちょっと安心できた。 「必要ならいくらでも送るから、遠慮なく使って。何なら今のうちに、送っとく?」  護の顔に手を伸ばして、唇を近づける。 「直桜、今は!」  護の視線が、三人娘に向いていた。  三人が、まじまじと直桜と護を見詰めている。 「あ、そっか、そうだった」  いつものこと過ぎて意識していなかった。 「お気になさらず、どうぞ」 「しちゃってくださぁい」 「みぃも、みてるぅ」  三人三様に促されて、直桜は回した手を離した。 「……後でね」  今日はいつもとは違う意味で疲れる仕事になりそうだなと感じた。

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