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第21話 bugsの隠れ家
向島の閑静な住宅街の一角、今にも崩れ落ちそうな古びた小さな一軒家に、霊糸は伸びていた。
夕刻と呼べる時間はとっくに過ぎているせいか、辺りはやけに静かだ。
どこからでも入れそうだが、結界の気配は感じる。敢えて隠していない印象だ。
「こういう時は、玄関から強行突破かな」
瑞悠の言葉を智颯は激しく否定した。
「流石にそれはないだろ。二人しかいないんだから、もっと隠密行動をとるべきだ」
「でもさぁ、家の中の人の気配、少ないよ。一つは円ちゃんだし、妖怪と、人間が一人」
瑞悠が指摘する通り、生き物の気配が少なすぎる。
他者の侵入を警戒しない、あまりに雑な警備態勢だ。
「お前ら、何しとんの?」
突然、後ろから声を掛けられて、智颯と瑞悠は振り返った。
保輔がコンビニの袋をぶら下げて立っている。
(気配、全然しなかった。わざと消した? そんな能力が保輔にあるのか?)
智颯の背中に嫌な汗が流れる。
瑞悠が戦闘態勢に入っていた。
「なんや、智颯君か。隣のは妹やんな? 二人で来たん? 気張るなぁ」
警戒する二人をすり抜けて、保輔は玄関に向かった。
二人の殺気など、全く気にしていない様子だ。
「円を助けに来たのやろ。中入れたるさけ、入りや」
「どういうつもり?」
瑞悠の声に、保輔が振り返った。
「どうもこうも、円は中におるから、どうぞ、いうとんのや」
玄関に手を掛ける保輔の腕を智颯は握った。
「だったら、何のために円を連れ去ったんだ。お前の目的は僕じゃないのか? 円に何かしたのか?」
保輔を掴む腕に力が入る。
その手を、保輔がじっと見詰めた。
「智颯君は、円が大事なんやね。俺の目的が自分やって、わかっとんのやったら、ここには来るべきやなかったやろ」
なんの感情もない淡々とした言葉が、やけに引っ掛かった。保輔の言葉は正論だ。直桜の言葉と重なって聞こえて、智颯はぐっと唇を噛んだ。
「それでも来てくれたなら、中には入れたるよ。俺的には大歓迎やしな」
保輔が瑞悠に目を向けた。
瑞悠の殺気が濃くなった。
「妹まで来たんは予想外やったけど。面倒やし、帰ってくれへん?」
瑞悠が大薙刀を振って保輔の首元に刃をあてた。
「みぃがいたらなんか良くないの? 殺されちゃうから? さっさと円ちゃん、返してくれたら帰るけど」
瑞悠の目が鋭く保輔を睨む。
「大業物はここでは向かんよ。武器替えや」
とても面倒そうに、保輔が薙刀の刃を摘まんで避けた。
「ここで問答しとっても埒が明かんやろ。どうする? 入る?」
中を指さされて、智颯は息を飲んだ。
「中に、入る」
「ちぃ! こんなの罠に決まってるよ。一緒に入るのは危ない」
瑞悠が更に薙刀を保輔に突き出す。
「勿論、罠やで。智颯君に来てほしかったから、円を攫ったのやもん。今更、どこから入っても罠は発動するよ。俺のナビがあった方が、幾分かマシやと思うけど」
瑞悠の薙刀に動じることなく、保輔は智颯を眺めている。
保輔の言葉に嘘はないと感じた。
(初めて会った時から、ずっとだ。保輔の言葉には、嘘がない。円の懐中時計に録られていた言葉くらいだ)
「瑞悠、薙刀、降ろしてくれ」
智颯は薙刀の束に手を添えて、武器を降ろさせた。
「一緒に入る。円は返してもらう。お前たちも捕縛させてもらう」
保輔がニタリと笑んだ。
その視線が瑞悠に向く。瑞悠が武器を収めた。
「んじゃ、決まりやな。bugsの隠れ家へ、ようこそ。惟神の双子はん」
保輔が玄関の扉を開いた。
中からは濃い妖怪の気と、何かの香の匂いがした。
玄関を入ると、一般家屋の玄関だった。
保輔の後について家の中に入る。中もまた、一軒家の間取りだ。
「普通の家やなぁって、思うたやろ。普段はここでbugsのメンバーが暮らしとんねん。生活空間や」
「今は、いないのか?」
「皆、仕事中。歌舞伎町に行っとるよ」
智颯と瑞悠は言葉を飲んだ。
新宿歌舞伎町の雑居ビルの地下には精子バンクがある。そこでの仕事に行っているのだろう。
「仲間に、そんな仕事させて……」
食って掛かった智颯の前で、保輔が歩みを止めた。
奥の居間の戸を開く。
中に敷かれた布団の上に、円が横たわっていた。
「円!」
保輔を通り越し、円に飛びつく勢いで駆け寄る。
目を閉じていた円が、声に反応して体をピクリと震わせた。
「……智颯君、やっぱり、来ちゃった、ね。ごめんね、迷惑、かけて、ごめん」
起き上がろうとする腕に力がない。
智颯が手を貸して体を支えて、何とか上体を起こした。
円の体が力なく智颯に凭れ掛かる。
「今の、俺は、お荷物、だから、瑞悠ちゃんと、早く、逃げて」
声が弱々しくて、震えている。
何かを盛られているのは明白だ。
「何、言ってるんだ。僕は円を助けに来たんだ。一緒に帰るぞ」
「ダメだよ、だって俺、保輔が、大好きだから、望むこと、してあげたいって、おもっちゃってる、だから、逃げて」
円の手が、力なく智颯の体を突き飛ばした。
「保輔に、何、されて……」
草の円がここまで弱っている。時間はあったはずなのに、耐性術も間に合っていない。継続して何かの毒を盛られているのだとわかった。
「ちぃ、浄化! 円ちゃんを浄化して!」
後ろで瑞悠が叫んで、智颯は我に返った。
振り向くと、瑞悠が保輔を後ろ手に掴んで捕えていた。
「そっか、そうだ、浄化すれば、元に戻るよな」
円の口から出た言葉があまりに衝撃で、智颯の思考が鈍っていた。
(保輔が、大好きって、それって、保輔と寝たってことか? 犯されたってこと?)
理研の少子化対策の被験体に射精されると高確率で相手に強い好意を持つ。フェロモンで欲情を煽る以上の効果がある。
懐中時計に録られた保輔の言葉にもあったし、13課組対室の資料で読んだから、よく覚えている。
(円は草だ。仕事で性交することもあるって前にも言ってた。大丈夫、大丈夫のはずだ。浄化すれば、そんなの全部、大丈夫。円はきっと、気にしない)
震える手に神気を集約する。
(けど、僕は。他の男に円を取られて、ソイツを好きって言ってる円を見て、僕は、今すごく、動揺している。本音じゃないって、精子のせいだってわかってるのに)
揺れて不安定な金色の光を円の頭部に翳す。
『智颯、瑞悠、動くな』
甲高い声が響いて、体が動きを止めた。神力がしぼんでいく。
聞いたことがある声だと思った。
「峪口君いらっしゃ~い。思ったより遅かったねぇ。妹ちゃんも来てくれたんだぁ。ラッキー。千晴所長にお土産が増えちゃった」
坂田美鈴が智颯の隣に屈んだ。首に手を回されて何かを付けられた。
徐々に神力が消えていくのが分かった。
反比例するように甘い香りが濃くなって、体が疼くのを感じる。
「智颯君も瑞悠ちゃんも強い惟神だからねぇ。神力も霊力も抑える特性の封じの鎖だよ。小型軽量化して、前より性能良くなったんだって。しかも可愛いでしょ? 首輪とか、私のワンちゃんみたいで最高。智颯君、今日から私のペットだねぇ」
美鈴が智颯の頬に口付ける。
ぞわりと全身に鳥肌が立った。
「美鈴、手ぇ出すなや。智颯君は六黒に精子取ってもらわな」
保輔の隣で、どさりと音がした。
へたりこんだ瑞悠の首にも、同じ首輪が付けられている。
「なん、で、何が、起きて……」
「あれぇ、わかんない? さっきの私の言霊だよ。動けないでしょ?」
「言霊師……?」
智颯の顔を見詰めて、美鈴がニンマリと笑んだ。
「そう。安倍英里と同じ霊元を持った被験体なの。少子化対策室の中でもmasterpieceは一握りの優秀な個体にしか付けられない、最高の称号だよ」
美鈴の唇が智颯の唇に重なる。下唇を舐め回して強く吸われた。
甘い香りを口から流し込まれて、頭が朦朧とする。手足の感覚が徐々になくなっていく。
力が抜けて倒れた体を美鈴が抱きとめた。
「峪口君好みだから、入学した頃からずっと狙ってたんだぁ。花笑くんも好みだけどぉ。二人とも、精子取ったら私と遊ぼうね。惟神の峪口君になら射精されても千晴所長、怒らないと思うし」
智颯の体を抱いて、美鈴が首筋に舌を這わせる。
「ん、は、ぁぁ……」
肌が鋭敏に舌の滑りを感じ取る。思わず、声が漏れた。
「この程度で感じた声出しちゃって。峪口君、可愛い。私が抱いてあげたぁい。突っ込んでないといられないくらい、ドロドロに溺れさせてあげるね」
美鈴がうっとりと智颯の髪を弄ぶ。
瑞悠の震える手が、美鈴の腕を掴んだ。
「離せ、クソ女。智颯に、触れんな」
冷めた目で瑞悠を睨むと、美鈴がその手を振り払った。
「動けんるんだ、すごーい。神力も霊力も抑え込まれてるのに、どうやったの? まさか、根性? 萎えるんですけど。ヤス、その女にフェロモンたっぷり吸わせてやりなよ」
苛々を孕んだ低い声で、美鈴が瑞悠を見下《みくだ》す。
「体疼かせて自分から犯して~とか言っちゃうくらいの方がテンション上がるなぁ」
保輔がげんなりした顔で瑞悠を見下《みお》ろした。
「せやかて、この女、処女やろ? 俺、遊び慣れた女の方が好きなんやけど。惟神の処女なら、そのまま持って帰った方が所長は喜ぶんとちゃう?」
不機嫌な顔で美鈴が保輔を睨んだ。
「私の命令、聞けないんだ? blunderのお前が、私に逆らうの? 中に出さなきゃ、ある程度は好きにしていいよ。心、折れちゃうくらい、めちゃくちゃに気持ちよくしてあげて」
美鈴が保輔を見上げでニコリと笑う。
保輔が面倒そうに頭を掻いた。
「しゃーないなぁ」
保輔の手から白い糸が無数に飛び出し、瑞悠の口と体を拘束した。
「俺の部屋で遊んどくから、邪魔すんなや。途中で横やり入れられんのは好きやないねん」
「拘束プレイたのしそー。瑞悠ちゃん良かったね。男に嬲られてないといられないようなビッチにしてもらってね」
「お前、俺をなんやと思うとんの?」
美鈴が保輔ににじり寄り、肩に腕を回した。
「何ってそんなの、私の有能な下僕でしょ? 霊能がもっと優秀だったら、保輔もmasterpieceだったのにね。でも、大丈夫。ヤスのことはぁ、私が一生、面倒見てあげる。masterpieceである私のお気に入りなら、ヤスも理研で可愛がってもらえるよ。だからこれからも、私の従順なお人形でいてね」
「……あぁ、期待しとくわ」
美鈴のキスを受け入れる保輔の表情は、床に倒れ込んだ智颯の場所からはあまり良く見えなかった。
しかしその声は、明らかに本心ではないと神力がなくても感じ取れた。
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