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第49話 武御雷神の使い
武御雷神《たけみかづちのかみ》の気さくな笑顔を見ていたら、直桜はある事柄を思い出した。
「あ! 俺、武御雷神《みかづち》に聞きたい話があった!」
武御雷神の腕を前のめりに掴む。
押し倒しそうな勢いに、武御雷神が呆けた顔をした。
「なんだ、なんだ。なんでも聞いていいぞ」
「稜巳って名の角ある蛇が、武御雷神の使いになっていた時があっただろ? 神許から落ちて、今、現世《うつしよ》にいるんだけど、何か、知らない?」
会ったら一番に聞こうと思っていた話だった。
最近、別の色々があり過ぎて、すっかり忘れていた。
「あぁ、そうか。稜巳は現世に、直桜の所にいるのか。少し、安心したよ」
武御雷神が安堵の息を漏らした。
「確かに俺の所で引き取って使いにした蛇だが。稜巳は自分から神許を離れたんだ。どうしても会いたい奴がいるからってな。反魂香を取り込んだ特殊な体だが、それなりに力も強く武力も高い。何かあればいつでも戻れと話して、送り出したんだよ」
武御雷神の話に、直桜は驚きを隠せなかった。
(俺が知ってる稜巳と全然違う。同じ妖怪の話かな)
「元気にしているか? 会いたい奴には会えたのか?」
直桜は首を横に振った。
「現世に来た時に記憶を封じられてて、本人は何も覚えてないんだ。そもそも、俺が知ってる稜巳は武力もないし力も弱い。子供の姿をした女の子で……」
直桜は稜巳の話を武御雷神と罔象に話して聞かせた。
武御雷神が腕を組んで難しい顔をした。
「俄かに信じ難いな。俺の所にいた稜巳は大人の女の姿だったし、そもそも角ある蛇の一族は武力に長けた戦闘好きの妖怪だ。伊吹山に身を隠した時も、人との戦に参じたと聞く」
「伊吹山? 伊吹山って、伊吹弥三郎って鬼が当主の?」
武御雷神が頷いた。
「住処を追われた角ある蛇の一族は、同じ武蔵国を住処とした土蜘蛛と共に伊吹山に逃げた。伊吹山の鬼は人に住処を奪われた妖怪を守っていたからなぁ」
思わぬところで思わぬ名前が出てきた。
円の説明で、伊吹山の鬼は妖怪を守る義賊だったと聞いたから、不思議ではない。 人に住処を奪われて人に負けた角ある蛇が伊吹山の鬼に匿われても、何ら不思議はないのだが。
(土蜘蛛もって、保輔が土蜘蛛を使役できるのって、鬼の遺伝子と何か関係があるのかな)
「伊吹山の鬼ってさぁ、化野の鬼みたいに人の血が濃い割に人が嫌いだったよね。妖怪寄りというか、神様寄りというか」
「そうなんだ……。今、伊吹山の鬼の血を継ぐ人間が一人、俺の所にいるんだ」
直桜の言葉に武御雷神と罔象が驚いた目を向けた。
「伊吹山の鬼が人に寄るとは、珍しいねぇ。鬼誑しの本懐かい?」
罔象が楽しそうに笑う。
どうも直日神は鬼誑しで通っているらしい。
「いや、人の手によって作られたというか、人として生きてきたって言うか、本人も最近、自分が鬼だって知ったばかりで」
こう話すと保輔がサイボーグみたいに聞こえる。
「もし可能なら稜巳とその伊吹山の鬼を会わせてみるといい。何か変化がみられるかもしれないぞ。封印に関しては、俺にはわからぬが、話を聞く限り、強い封印には違いあるまい。直桜でも解けないのか?」
直桜は首を傾げた。
「試してないけど、浄化して何とかなる感じではなさそうかな。根拠はないんだけど、中途半端に浄化とかしたら、良くない何かが起こりそうな気がして、できなかったんだ」
あの後、色々と忙しかったのも事実だが、稜巳自身に掛けられた封印に関して、積極的に手を出す気になれなかったのも事実だった。
「直桜がそう感じたのなら、やめておけ。直桜の直感は神の啓示に等しい。きっと何かがあるんだよ」
最古の国つ神である罔象にそういわれると、手を出さなくて良かったなと思う。
「ふぅむ、力になれず、済まぬなぁ。もし何かあれば、いつでも声を掛けてくれ。今しがた、直桜の稲玉を強めたばかり。語り掛けてくれれば、応えられる」
「ありがとう。二人の話、参考になったよ。稜巳と、伊吹山の鬼を会わせる機会を作ってみる」
武御雷神と罔象が満足そうに頷いた。
「ちなみにさ、稜巳が誰に会いたくて現世に降りたのか、聞いてない?」
武御雷神が首を傾げた。
「そこまではなぁ。神許からは去ったが、現世に降りたのかさえ知らなんだ。会えばまた戻ってくるものと思っていたが、戻らなかったから、幸せにしているものと思っていたよ」
武御雷神の顔が陰った。
ちょっとへこんでいる感じだ。幸せどころか大変な惨事に巻き込まれていたことに心を痛めたのだろう。
強い神様だが、心優しい神でもあることを、直桜はよく知っている。
「もし稜巳が御雷の所に戻りたいって言ったら、また受け入れてくれる?」
「勿論だ。その時はまた俺の使いとして、働いてもらうがな」
そう言ってにっかり笑った顔は、少しだけ元気を取り戻していた。
「あ、直桜、直日神が戻ってきたよ」
罔象が向いた方に目をやる。
護を抱きかかえた直日神が直桜の所に歩いて来た。
抱きかかえられている護がぐったりと肩を落としている。
「どうしたの? 何があったの?」
この短時間で一体何があったのだろうか。
直桜は慌てて護に駆け寄った。
「直桜、すみません。相撲で負けてしまいました」
「は? 一体どんな激しい相撲したわけ?」
その場に護を降ろすと、直日神が腰を下ろした。
護を横にして、膝枕してあげている。
「たらふく酒を飲まされた後に、建御名方神《たけみなかたのかみ》と相撲をしてな。思い切り投げ飛ばされてしまったのだ。吾が付いていながら、すまぬな」
直日神が申し訳なさそうな顔をする。
「相変わらず、加減を知らないな。大国主命に言付けてやろう」
静かな怒りを言葉に込めた。
建御名方神は大国主命の息子だ。あのおおらかな父親から、どうしてこうも荒っぽい神が生まれるのかと不思議に思う。
「俺に勝てないからと鬼神をいじめるとは、不届きな奴だ。どれ、護の仇をとってきてやろうな」
「ほら、護、御神水だよ、お飲みよ」
武御雷神が立ち上がる隣で、罔象が水を飲ませている。
紹介する前から名前を知っているあたり、既に護は有名人らしい。
「お水、美味しいです。仇は取らなくて、いいので。お気持ちだけで大丈夫なので」
弱々しい護の言葉は無視して、武御雷神は行ってしまった。
「放っておいたらいいよ。こういった相撲も宴では余興さ。間違って諏訪湖まで投げ飛ばしても建御名方神は家に帰るだけだよ」
罔象の神様ジョークに護が苦笑している。
護の目が直桜に向いた。
「直桜、私は、出雲に来られて、良かったです。穢れだと言われ続けてきた私でも、直桜の、神様の隣にいていいのだと、大国主命にも他の神様にも沢山教えていただきました。本当に良かった。これで、安心して、傍にいられます……」
嬉しそうに笑んだまま、護が眠ってしまった。
その顔はいつもよりずっと幼く見えた。
「こんなに清い目をした鬼が穢れとは、愚かしい言葉を吐く輩がいたものだ」
罔象が護の髪を撫でながら呟いた。
直日神と罔象の間に座って、護の頬を撫でる。
「俺は最初から全然気にしてなかったけど、護はずっと気にしてたんだね。護がそう思ってくれたなら、良かった」
眠ってしまった護の頬に口付ける。
そんな話は、今まで一度も聞いたことがなかった。胸の内のわだかまりが溶けてくれたなら、直桜も安心できる。
「おや、武御雷神が勝ったようだよ。仇は取ってくれたらしい」
罔象の視線の先を追いかける。
一際大きな歓声が上がったかと思ったら、建御名方神の体が飛ぶように宙を舞っていた。
罔象と直日神と顔を合わせて笑んだ。
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