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「誰かを想って苦しんだことがねえってか? 俺、そんなふうに見えっか? だったらそりゃあんたの誤解だな」 「……誤解?」 「そう、誤解」  紫月は腹を立てることもなく、声を荒げることもなく、真っ直ぐな澄んだ瞳で戸江田を見つめた。 「な、戸江田さん。俺はさ、ガキん頃からずっと遼二ンことが好きでな。けど告るなんてできなくてさ。理由は野郎同士だからってのや世間の目がどうこうってのもあったけど、あいつはいずれ組を背負って立つ立場の男だ。当然、姐さんだって後継ぎだって必要だべ? いつかあいつは惚れた女を娶ってガキをこさえて、組を守ってくんだって思ってた。俺は側でずっとそれを見てるしかできねんだとも思ってた。俺たちは幼馴染だからさ。家も近所で、だから嫌でもそういうのが目に入る距離にいる。正直苦しかったよ。辛くて堪んなくて、何べん一人で泣いたか分かんねえ。告るだの振られるだのなんざ論外でさ。けど――俺ァてめえでてめえを粗末にしてえとは思わなかった。遼二に当て付けるように好きでもねえ誰かと恋愛ごっこするくれえなら、一生一人でいい。辛かろうが苦しかろうが、あいつの側から逃げずにあいつの幸せを願って生きられる人間になろうって思った」  例えば他の誰かと一時の戯れで身体や心を重ねれば、その場限りの苦しさは解消されるかも知れない。だが、必ず後悔がやってくることも必須だ。自分で自分を汚してしまったことを悔い、鐘崎には軽蔑されて、前よりももっと辛く苦しい思いに苛まれ惨めな思いだけが残るのは分かりきったことだ。 「同じ惨めな思いでも、目を逸らして偽りの快楽で癒したところで結局は解決しねえ。逃げても逃げなくても傷つくのは変わんねえ。だったらてめえの心のど真ん中にある正直な気持ちを受け止めていくしかねえって決めたんだ。俺はどう転んでもあいつしか好きになれねえことが分かってっから、例えあいつがよその女と結婚して、あいつの一番になれなくても――俺ン中の一番はあいつしかいねえ。苦しいからって逃げたところでぜってえ逃げ切れねえ想いなんだって。だから思ったんだ、あいつは俺で俺はあいつなんだって。あいつが、遼二が幸せなら俺も一緒に幸せだと思えばいいじゃねえかって。あいつが愛した相手を俺も好きでいられれば幸せじゃねえかって。形としては添えなくても気持ちを添わして生きるのは自由じゃねえかって。そういう生き方もあるんじゃねえかって気が付いたらさ、すげえ気持ちが楽ンなったんだ。俺は一生あいつの幸せを願って生きていけばいい。それが俺自身の幸せでもあるんだって」  見上げた紫月の視線はどこか遠くを見ているようだった。それはまるで現世からずっと離れた遠い別のどこかのようにも感じられて、彼の今言った言葉のすべてが綺麗事などではなく本心なのだということが本能で分かるかのようだ。戸江田は返す言葉も見つからずに、瞬きすら忘れてしまうほど、まるで時が止まってしまうほどに衝撃の只中に立ち尽くすしかできずにいた。  次元が違う。  本当の愛とはこんなにも深く重く、そして尊いものなのか。  それに比べて自分はどうだ。単に好いた惚れた、告った振られた、遊んだ遊ばれたなどと一喜一憂して被害妄想に浸っていただけではないか――。  そんな自分に気付きもせずに自暴自棄になっていただけだ。  また再び、ポロポロと溢れ出て止まらなくなった涙を、戸江田は拭うことさえできなかった。

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